それぞれの流儀

 日葵先輩が道場へ戻って来たのは、「ちょっと御手洗い」と言える時間を大きく超えてからのことだった。中川先輩の話を聞いた手前、体調不良なんかではないと分かる。でも日葵先輩は、恥ずかしそうに「大きい方で……」とごまかすようにはにかんだ。イケメンが言うと、多少下品な言葉もなんかキラついて聞こえるのがずるい。

「ところで……なんだかふたりとも、気合が入ってるね?」

 戸惑うように口にした彼女の目の前では、私と中川先輩が、熾烈な打ち合いを繰り広げていた。上段の扱い方を習うより慣れろといった感じで、見様見真似で竹刀を振う私。それに対して、中川先輩も実践型式――ようは地稽古型式で応えてくれる。

「おらあああああ!」

 練習試合でも見た、ほとんど恫喝に近い先輩の気合だ。あからさまに威嚇するような行為は、審判によっては反則を取られてしまうことがあるが、彼女はすごくギリギリのラインで気合として昇華している。

 ただ、今目の前で繰り広げられているのは、試合なら間違いなく反則が取られそうな、文字通りの恫喝だった。

 まるでヤクザ映画の登場人物みたいな発声。竹刀は打つというよりは叩きつけると言う感じ(もちろん剣道としての最低要件は満たす範囲で)。鍔迫り合いをすれば、そのまま取っ組み合いになるんじゃないかって勢いで、力任せに押さえつけられる。

「おい、こんなんで本当に意味あるんだろうな」

 面金同士がガチガチとぶつかり合うくらいの距離で、不意に中川先輩が声を潜めて口にした。

「とにかく、私が怖がるような人間じゃないって伝われば、日葵先輩も安心するかな……と」

 日葵先輩に上段を解禁してもらおう作戦第一弾。まずは本気の上段を見せて貰うために、「私、怖い剣道に強いよ~。耐えられるよ~」というのを彼女に見せようということになった。その協力者として中川先輩はうってつけだ。

 中川先輩は、半信半疑ではあったが、この作戦に協力してくれた。尊敬する先輩が試合で活躍できないことは、先輩も心苦しく思っていたんだろう。どうにかしたいとは考えていたはずだ。それこそ、昨日今日で状況を知った私なんかよりも、ずっと親身に。

 もっとも、私もこの第一弾作戦に意味があるのか自信はない。でも、とりあえずできそうなことっていうか……五分足らずの作戦会議で出せる案なんて、これが限界だった。第二弾作戦は、まだ未定だ。

「あ、鈴音ちゃん、また身体が浮いてる」

「す、すみません」

 爽やかに指摘されて、私は縮こまるように頭を下げる。いけないいけない。浮ついが気持ちが姿勢にも表れてしまった。

「しゃーない。とりあえず続けるぞ。ただし今夜、作戦会議な」

「う……はい」

 内緒話が終わり、中川先輩は引き技を放ちつつ距離を取る。力を貸してくれるのは嬉しいけど、夜まで一緒かぁ……ちょっと気が滅入る。歩み寄れそうだなとは思ったけど、まだまだ慣れたわけじゃない。

 でも、これも部のためだ。全国へ行くために、日葵先輩の上段が必要だっていう気持ちは変わらないから。妥協した剣道で行けるほど、全国の壁は低くも薄くもない。

 そんな私たちの思惑なんて知る由もなく、トイレ休憩で気持ちを立て直してきたらしい日葵先輩は、すっかり元の調子に戻ってその後の稽古も丁寧につきあってくれた。そう言えば、まだ先輩の課題聞けてないな。日葵先輩も、中川先輩も。それから、黒江達の勝負の行方も――


「合宿最後の夜ということで、今日はバーベキューにしました」

 駐車場に広げた二台のバーベキューコンロを前に、一年生一同、仁王立ちで互いに顔を見比べる。

「火起こしとか、小学校の林間学校以来なんだけど……できる?」

 ちなみに私は、たぶんできない。林間学校の時も、男の子たちが喜んで薪の準備からやってくれるのを見ているだけで良かったから、呑気なもんだった。

「それなら私、やるー! こういうの得意なんだ」

 おしゃれ野生児、竜胆ちゃんがズビシと手を上げて答えた。流石だよ。たぶん、そんな気はしていたよ。

「でも二台あるから、もう一台誰か担当しないと。コンロは一台ごとにひとりつくのが安全上のルールだよ」

「あ……じゃあ、私、やります」

 そう言って、おずおずと手を上げたのは戸田さんだった。

「おっ、姫梅ちゃんもアウトドア得意系?」

「得意かはわからないけど、家族でよくキャンプとか行ってるから、火起こしくらいなら」

「おおー、頼りになるぅ」

 竜胆ちゃんに持て囃されて、戸田さんは恥ずかしそうにしながら火起こしようの軍手を手にはめる。それがオペに望む天才外科医みたいに見えて、実際頼もしそうだった。

「じゃあ、私たちは食材の準備しよっか。切っちゃえば、あとは思い思いに焼くだけだから」

「お肉も柔らかくなるように下味付けたいですねぇ」

 すっかり料理長ポジションに収まった井場さんと、板長ポジションに収まった藤沢さんのおかげで、食材班も問題なく準備が進みそうだ。周りが有能で、私はとても安心です。むしろ、私が何もできなさすぎるよね。これが中学三年間、剣道しかしてこなかった女の末路なのかな。かと思えば、同じく三年間を剣道に費やしていたはずの黒江も、それなりの手際と包丁さばきを見せるから不思議だ。

「なんか、普通に上手いのがずるい」

「鈴音も練習したら上手くなるよ」

「黒江も練習したの?」

「してないけど」

 なんだそれ。やっぱりずるい。

「いいよ……私はせっせと、じゃがをアルミホイルで包むから」

 私の強い希望で、炭水化物代わりにじゃがバターを準備してもらえることになった。ゴールデンウィークは地元に帰れないし、北海道の味が恋しかったからだ。あと、バーベキューで作るじゃがバターって、めちゃくちゃ美味しいよね。

「あ……秋保さん。じゃがいもは、先に濡れた新聞紙とかでくるんで、その上からアルミホイルすると、焦げなくて美味しく焼けますよ」

「へぇ~、そうなんだ。ありがとう、戸田さん」

 キャンプマスター戸田さんの助言で、私は着火剤代わりの新聞紙を一部拝借することにした。確かに、蒸し焼きみたいになって美味しくできそうな気がする。

「そう言えば、姫梅ちゃんとつづみちゃんは、なんでまだ敬語なの~?」

 コンロに炭を並べながら、竜胆ちゃんが片手間でそんなことを呟く。

「同じ一年生なんだし、タメで行こうよ~」

「え……そ、そうかな……? じ、じゃあ、遠慮なく」

 戸田さんは、ぎこちないながらも言葉を崩して、ほんのりと笑みを浮かべる。一方の藤沢さんは、拳を胸に打ち付けるようにして力説した。

「敬語で話すことが、私のアイデンティティだと思ってますので。私、家でもそうなんですよ」

「へぇ。じゃあ、お父さんとお母さんとかにも?」

 尋ねる井場さんに、藤沢さんは「もちろん」と頷く。

「尊敬すべき人生の先輩ですから、敬わない理由がありませんから」

 言われてみたらそうだし、たぶん私も無意識に尊敬しているんだろうけど、行動に移せるほどハッキリ意識したことはないかもしれないな、私。せいぜい父の日とか、母の日に感謝を伝えるくらいだ。普段の生活では、学校や部活のことで、さんざん迷惑をかけてばっかりなのに。

「よーし、じゃがくるみ終わった。あとは、バターと塩辛の準備っと」

「塩辛?」

 誰のか分からない戸惑いの声に、私は弾かれたように振り返る。

「え……じゃがバタだし、かけるよね? 先生にも買って来て貰ったし」

「え~、なにそれ! 初めて聞いた! それが北海道の流儀なの?」

 素っ頓狂な声をあげる竜胆ちゃんに、私の方が心配になって、あわててスマホを取り出す。え、だって、じゃがバタだよ。じゃがいも割って、バター載せて、塩辛たっぷりかけるでしょ?

 それが私の中での常識だったのに、スマホの画面には驚くべきことが書かれていた。

「え、うそ……これって道南の文化だったんだ」

 どやら函館発祥で、そっから北海道全土に広がったものらしい。北斗市は函館の隣だし、そりゃ勢力圏なわけだ。でも、日本全国当たり前にそうやって食べてると思ってた。うわ、恥ずかしい。

「えっと、その……塩辛、なしにする?」

 恐る恐るみんなに尋ねる。疑問調になったのは、心の中では「塩辛のないじゃがバターとか……」という物足りなさがあったからだ。でも、井場さんが笑顔で首を横に振ってくれた。

「両方用意したらいいんじゃない? それこそバターも塩辛も、他の調味料でも、お好きにトッピングって感じで」

「そ、そうだよね! そうすればいいよね!」

「私も食べてみたいしね。じゃがバターの塩辛乗せ」

「食べて食べて!」

 よかった! 私の勝手な行動で塩辛余らせちゃうなんてことにならずに済んで!

 まあ、余ったら余ったで、明日の朝ごはんのお供にできるけど。

 それにしても……同じ日本でも、海を越えたらすっかり別の国なんだなぁって思い知らされたような気がする。言葉は通じても、こんなに文化が違うとは。私はどうやら、井の中の蛙だったようだ。たった今、大海を知って、波に飲み込まれたよ。

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