バラガキ
「じゃあ、今日は上段から竹刀を振ってみようか」
なかなか話題を切り出せないまま、今日も今日とて上段講習が始まる。相変わらず私と中川先輩が構え合って、日葵先輩が横から指導をしてくれるスタイルだ。
「あの、私、まだ片手素振り苦手なんですが……」
「ああ、大丈夫だよ。確かに片手面は上段の必殺技だけど、防御を捨てる諸刃の剣だから。基本は両手で振って大丈夫」
「あ、そうなんですね」
上段と言えば片手面のイメージが勝手にあったけど、そういうわけではないらしい。片手素振りは、黒江の課題でもあるから絶賛練習中だけど、まだまだ鍛え足りない。実用的にはほど遠い。
「そう言えば……中川先輩は、上段やってみたいとか思わないんですか?」
「あ? 何でオレが上段やるんだ?」
「何で……ええと、合いそうだから、とか?」
私と日葵先輩の規格外身長に目が行きがちだけど、中川先輩も高校水準で考えたらかなり体躯に恵まれている方だろう。それこそ宝珠山の南斎部長みたいな、恵体タイプの選手だ。戦術的にもガツガツするのが好きっぽいし、攻撃に振った上段は性格にも合うだろう。
なにより、こういう人が使う上段は、本気で殺されるんじゃないかってくらいの気迫がありそうだ。
「今さら別のことやったって、どうせ夏の大会には習得が間に合わねぇんだ。だったら、この春はオレの今持ってる武器を死ぬほど磨く」
「来年には、伝家の宝刀になってるかもしれませんよ?」
「そりゃ、来年ならな。だが俺はレギュラーメンバーだから、今年の勝利に貢献しなきゃならねーんだよ」
「もしかして、中川先輩も部長のために?」
「部長だけじゃねーよ。日葵サンも、蓮サンも、楓香サンだって。先輩のために力を尽くすのは、当たり前だろ」
その潔い言葉に、思わず息を飲んだ。先輩思いで仲間思い。それこそすっごくヤンキーっぽいけど、言葉は純粋だ。決して馬鹿にするわけじゃなく、ほんとにイメージ通りの人なんだ。これまでは、ただ粗暴で怖そうな人だと思っていたけど、少しずつでも歩み寄る余地はあるのかもしれない。
「鈴音ちゃん、穂波ちゃんのためって……もしかして、蓮ちゃんか楓香ちゃんから聞いたの?」
日葵先輩が、驚いたような、訝しむような、曖昧な表情で私を覗き見る。
「あ……はい、その、安孫子先輩から」
「そっか、蓮ちゃんから……」
先輩はそのまま、考え込むように目を伏せる。やがて恐る恐る、また私のことを見た。
「私のこと、何か言われたりしたかな?」
どっきーん。思わず息が詰まる。こんなところで少女漫画メーターを使いたくなかった。どうせなら、セクシーでラグジュアリーな台詞でどっきーんしたかった!
とは言え、これはチャンスなんじゃないだろうか。先輩の方からその話に乗って来てくれるなんて……いや、待て。でもこの流れで「はいそうです」なんて言ったら、日葵先輩のことだ、思った以上に落ち込んだりしないだろうか。
流石にそこまでじゃないかな……?
まだまだ出会って一ヶ月そこら。話す機会だってそう多かったわけじゃない。どう切り出すのがベストなのか……全く想像がつかなかった。
「練習試合で不調そうだったことは、心配してましたよ」
とりあえず、公然の事実で一度お茶を濁そう。私の返事に、日葵先輩は「だよね」とため息をついた。
「そう言えば、練習試合の時は、どうして上段を使わなかったんですか?」
「え……あ……それは……」
自分なりに言葉を選んだつもりだったのだけど、日葵先輩はしどろもどろになってしまった。そこが一番のミソのはずなのに、同時に地雷原なの?
すると、すっかり話に夢中になっていた私の面を、中川先輩の竹刀がスパンと叩く。
「日葵サンは使わねぇんじゃねぇ、使えねぇんだよ」
「使えないって、どういうことですか?」
「……ありがとう、中川ちゃん。それは私が話すよ」
日葵先輩は、しょんぼりと眉尻を下げたまま、竹刀の柄をぎゅっと握りしめる。
「怖いんだ……知らない人と試合をするのが」
それは、安孫子先輩からも聞いていたことだった。そもそも人見知りな彼女のことだから、委縮して、力を十二分に発揮できないのだと。
「試合が怖いことと、上段が使えないことって、関係なくないですか……?」
「それはそうなんだけど……なんていうか……相手に、怖い思いをさせるのが、怖いんだ」
「……はい?」
え、どういうこと?
「私、上段を使う私が、好きじゃないんだ……みんなに怖がられて、避けられちゃうから」
「え、いや、昨日見せて貰った時は、すごくて、むしろ尊敬するくらいでしたけど。中川先輩だって同じように」
「あれはその、稽古だから、押さえてるっていうか……手心があるって言うか」
昨日のは手を抜いてたってこと?
あんな、魅せる剣道をしておいて?
えっと、つまり――
「本当の上段は、あんなもんじゃないってことですか!?」
「ひっ!?」
妙に興奮して、日葵先輩に思いっきり駆け寄ってしまった。当然、彼女はびっくりして、顔を引きつらせて二、三歩後ずさる。
「日葵サンの上段はすげぇ」
「な、中川ちゃんまで……」
同意するように頷く中川先輩に、日葵先輩は、失った逃げ場を探すように視線を右へ左へ泳がせる。
これは勝機……!
私は、ここで逃がすまいと先輩にさらに詰め寄る。
「見せてくださいよ、先輩の本気の上段! 私、受けますから!」
「だ、ダメだよそんなの!」
「すごい剣道を直に見せて貰うのが、一番の稽古じゃないですか!」
これは良いところを突いたと思う。このまま、なし崩しで本気を披露してもらって、あとはそれぞどう定着させるかって言うのを考えたらいいんじゃないかな?
「できない!!」
皮算用していた私の頭の中を、日葵先輩の一声がガツンと揺らす。それまでの遠慮がちな様子と違う、力強い否定。明確な、拒絶の意志だった。
突然大きな声が出たものだから、道場のみんなが「何事か」とこっちを見ている。先輩もそれに気づいて、取り繕うように控えめな笑みを浮かべた。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「あ……」
呼び止める言葉を投げる暇もなく、日葵先輩は道場の外へと駆けて行ってしまった。私……何かマズいもの踏んだかな。助けを求めるように、残された唯一の関係者である、中川先輩のことを見た。
「……秋保、ちょっと面貸せ」
先輩の眉間には、これでもかってほど深い皺が刻まれていた。ああ、私、今日死ぬかも。たぶんこれ、シメられるってやつだ。
中川先輩に連れられて、私は道場がある第二体育館の裏に連れて来られた。昨夜、黒江と話した縁石が記憶に新しい。それにしても、面貸せで体育館裏……できすぎている。逃げ出したい気持ちでいっぱいだったけど、そんなことしたらもっとひどい仕打ちが待っているような気がして、泣く泣く従う他なかった。
「飲め」
そう言って、先輩は私にドリンクのボトルを差し出す。中身は等倍で割ったスポーツドリンク。吸収効率を考えた、アスリートの必需品だ。
「まさか、毒……」
「はぁ? 何言ってんだ」
怪訝な顔で睨む先輩が、自分の分のドリンクを煽る。どうやら毒でも薬でもないみたいだ。でも、状況が状況なので、とても口をつけられるような度胸はなかった。
「あの……先輩、怒ってますよね?」
いっそのこと、自分から死地を踏み抜いてしまおう。早く楽になってしまいたい一心で、私は尋ねる。
「あぁ。まあな」
頷く中川先輩の言葉には、ほとんど感情が籠っていなかった。なにそれ、逆に怖いよ。
「ほんとなら、ボッコボコにしてやりてぇ」
「ひいっ」
「だがしねぇ。大会前にんなことすっかよ」
大会前じゃなかったらするんですかね。ダメだ。この状況の意図が分からなさ過ぎて、思考がマイナススパイラルに陥っている。
「日葵サンは、上段は使わねぇよ。一年のてめーら相手には特にな」
「それって……どういうことですか?」
ああ、よかった。どうやら日葵先輩の話みたいだ。緊張が一気に解けて、私は大きなため息をひとつつく。
「日葵サンの上段は、マジで怖い。アレは鬼だ」
「鬼……」
「ま、オレはほれぼれするけどな」
「で、でも、良いじゃないですか。鬼みたいに強いってことですよね? だったら――」
「そうなんだが、違うんだよ。なんつーか……ほんとに、精神的に追い詰められる怖さっつーか……引いた後輩――オレらの代の事だけど――かなりの人数が辞めちまったんだよ。ついていけなくて」
「は?」
思わずタメ口で返してしまって、慌てて口をつぐむ。それから再び、言葉を選ぶように聞き返した。
「いや、先輩が怖くて辞めるって……それこそ鬼みたいなシゴキでもしてたんですか?」
「んなわけあるか。ある意味レベルの高さもあるんだろうな。先輩方の。オレたちは本気で全国を狙ってる代だ。練習だってそれに見合ったものをやっているし、オレたちも気迫が出る。それについていけねぇって思ったヤツが、多かったんだろ」
「そう思わせる最たる存在が、日葵先輩だった……と?」
あんなにおどおどしてて、でも顔面偏差値は光源氏で、さらに内心はとっても優しいのに?
「まあ、それを言ったら、オレもその一端を担ってると自負してるけどな」
それはまあ、否定する余地もなく頷ける。私も、ヤンキーの吹き溜まりなんじゃないかって思って入部を渋ったし。そんな不名誉な言葉を自信たっぷりに言った中川先輩は、ヤンキー座りでその場にしゃがみ込んで、ひとつため息をついた。
「そういうわけだから、てめーに本気を見せたらまた辞められるんじゃないかって心配してんだよ、あの人は。だから、もうめったなことを頼むんじゃねぇぞ」
「で、でも、大丈夫ですよ、私なら。たぶん」
「てめーがそう思ってても、日葵サンがそうは思ってねーって話だよ。冷静に考えてトラウマもんだろ。『てめーと剣道したくねぇので部活辞めます』って言われんのはよ」
「そんなこと言われたんですか?」
「直接言ったわけじゃねーよ。でも同級生だからよ、オレが個人的にそいつらに聞いたんだよ」
聞いたっていうか、聞きだしたって感じなんだろうなぁ……熊谷先輩と一緒に囲んで、返事をせっつく様子がありありと思い浮かんだ。あれ、でもそんな状況だと、なぜか五十鈴川先輩も一歩引いた位置で、何も言わずにニコニコ笑ってる姿がしっくりくるな。いやいや、なんだそのインテリヤンキーの黒幕みたいなポジジョンは。五十鈴川先輩は女神。剣道部の良心。
「中川先輩って……日葵先輩と仲がいい――かは別として、すごく慕ってますよね」
ついさっき怒られたばっかりなのを思い出して、慌てて言い直す。どうやらセーフだったらしく、先輩は気だるげな表情で「ああ」と頷いてくれた。
「先輩の人見知りも、その件があるまでは、ここまで酷くはなかったんだよ。慣れるのにゃ時間はかかるけど、後輩によくしてくれようとはしていて。オレなんか、それで世話んなったからよ」
どこか懐かしむように語る横顔に、僅かに優しい笑みがこぼれる。いつも怒っているイメージしかなかったところでの不意打ちに、私は思わず目を奪われてしまった。
先輩もそれに気づいたのか、慌ててかぶりを振って、いつものむすっとした表情に戻る。
「何にせよ、オレが今こうして剣道続けてんのは、日葵サンのおかげなんだ。だから、あの人を困らせることだけはしねーでくれ」
それで話は終わりだとでも言うように、中川先輩は立ち上がって、道場の方へと歩き始める。
「……それでも!」
日葵先輩の時と違って、私は今度こそ、去り行く背中を呼び止める。
「全国目指すなら、必要なんじゃないですか? 日葵先輩の上段が!」
中川先輩が弾かれたように振り返る。その表情は、まさしく鬼の形相だった。そのまま肩をいきらせて歩み寄ってくると、力いっぱいに私の胸ぐらをつかみ上げる。
先輩はそのまま、何か言いたそうに、ぎりぎりと歯を食いしばる。だが、言葉を発する前に飲み込んで、掴んだ手を緩めた。
「オレだって、その方が良いとは思ってる。でも、下手にトラウマを刺激したら余計に委縮しちまうんじゃねぇかって」
「だったら、私たちで支えませんか」
「は?」
「もう残り少ない時間ですけど……せめて、この合宿中だけでも。できればその後、大会までも」
自分でもびっくりするぐらい、すんなりとそんな言葉が口からこぼれる。一度ガン飛ばしを乗り越えたせいか、怖い物なんて何もなかった。
いや、たぶんこの人は、怖いけど怖くない人なんだって、信頼に似た何かが私の中に芽生えていたのかもしれない。
「だって私たち、一緒に課題をこなすチームじゃないですか」
中川先輩は、目を丸くして、穴が開くくらいに私のことを見つめていた。
この部が全国へ行くためにも、日葵先輩の上段は、絶対に必要だ。安孫子先輩に言われたからじゃない。私自身が、本気の彼女の一刀を受けてみたいと――最高峰の上段を見てみたいと、心から願っているのだから。
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