触れてみて初めて

「おっ! 準備できてんじゃん!」

 突然声のした方向を振り返ると、入浴を終えたらしい先輩たちが、部屋着のスポーツウェアでそぞろに歩いてくるのが見えた。先陣切って来た安孫子先輩が、準備の終わったコンロを眺めて、訳知り顔で頷く。

「うんうん、上出来上出来。やっぱバーべギューはアガるね~」

 やっぱり陽キャってバーベキュー好きなのかな?

 心なしか、中川先輩や熊谷先輩もテンションがアガってるような気がする。

「一年生たちも先にお風呂入って来る? 火なら私たちで見ておくけど」

 五十鈴川先輩のありがたい心遣いに一年生一同、顔を見合わせるけれど、誰からともなく首を横に振った。

「バーベキューでまた汗かくと思いますし、食べてからにします。お腹も減りましたしね」

 料理長の井場さんが代表して答えると、先輩は「そっか」と柔らかく笑う。

「じゃあ、先生が来たら始めよっか。お皿配っておくよ」

「あっ、じゃあお願いします」

 早坂先輩も混ざって、各学年の良心組が手際よく準備を進めてくれる。彼女たちが話してるところを見ると、なんだか癒されるなぁ……合宿のグループも一緒だし、午後の稽古も和気あいあいとしていて楽しそうだ。

 ほどなくして、駐車場に一台の車が入って来る。全然詳しくないから車種とか分かんないけど、街でよく見る、ちょっと丸っこくて可愛いサイズの外車みたいな車。

「飲み物積んで来たぞ。もってけ」

 運転席から出て来た鑓水先生が、荷台のドアを開ける。手の空いた部員たちが駆け寄って、そこから買い物袋いっぱいのソフトドリンクを降ろした。

 手分けすればあっという間に済むもので、からっぽになった車の中を見て、熊谷先輩が首を傾げた。

「あれ、先生、今日は飲まないんスね?」

「馬鹿野郎。学校の敷地で飲めるわけねぇだろ」

「あ、そりゃそッスね」

 先輩は舌を出して悪びれながら、そそくさと飲み物を運ぶ。一方の鑓水先生は、助手席から別の買い物袋を引っ張り出した。

「ま、ノンアルは買ってきたがな。あと家にベーコン余ってたから差し入れだ」

「先生、まさかそのベーコンは……!?」

「親父が仕留めたイノシシだ。ジビエ苦手なヤツでもベーコンなら食えんだろ」

「うっひょ~! 今夜はパーティーッスね!」

 熊谷先輩はベーコンが入った袋を受け取ると、そのまま小躍りで私たちのもとに帰って来た。ジビエって食べたことないな……家族で道内旅行したときにクマ肉はお目にかかったことがあるけど、私は匂いからキツくてダメだった。先生が、苦手でも大丈夫って言ってたし、イケるかな、イノシシ。


 ひとしきりの準備が終わって、バーベキューが始まる。合宿二日目、最後の夜だから多少豪勢にハメを外して。新入部員も入ったということで、親睦会を兼ねての文字通りパーティーとなった。

「あ! 杏樹先輩それ、あたしが育ててたお肉!」

「育てるとかなんとか、ローカルルールを持ち込まないでほしいッスねぇ~。という訳でいただきッス」

「あぁ~!」

 相変わらず、熊谷先輩と竜胆ちゃんはうるさいな。本気でいがみ合ってるわけではないっぽいから、楽しそうならそれで良いんだけど。

 お肉は、ご当地スーパーで買ってきたらしい量のわりにお値段お安い系のものだったが、思ったより柔らかく、その辺の焼肉屋さんで食べるのと謙遜ない味わいだった。値段の割にいいお肉なのかもしれないけど、藤沢さんが短い時間でもタレ漬けにしてくれたおかげだろう。私は、どちらかと言えば薄味が好きな方なので、焼き上がったものを漬けダレ無しで食べてもちょうどいいくらいだった。

「鈴音ちゃん、食べてる? 一年生も遠慮しないで食べていいんだからね?」

 五十鈴川先輩は、聖母のような笑顔でそう気にかけてくれると、焼けたお肉をひょいひょいと私のお皿に乗せてくれる。

「あ、ありがとうございます。自分のペースで食べてるので大丈夫ですよ」

「そう? ほら、鈴音ちゃんおっきいから、遠慮して食べてるのかなって心配になっちゃって」

「食材もいっぱいあるし、ラストスパートでいっぱい食べます!」

 先輩にそんな寂しそうな目で言われたら、食べないわけにはいかない。実際、最後に余ったところのお肉をいただこうと思ってたし、何も間違いはないはずだ。

「その時に残ってるといいけど……」

 だけど、先輩は余計に心配そうな顔をして、ちらりと視線を彼方のコンロへ向けた。私もつられて視線を向けると、そこに、巨大な肉の壁があった。

「部長……相変わらずよく食いますね」

「朝とお昼は控えめにしたので、今のうちに食べておきます」

 若干引き気味の中川先輩の目の前で、八乙女部長は、目を輝かせながらモッモッと頬をリスみたいに膨らませていた。え、すご……あれ全部食べんの?

 戸田さんと同じくらいの、この部最小の身体のどこに、あれだけの量が入ってるんだろう。というか、どこに消えてるんだろう。思えば、昨晩のカレーも山盛りでこそなかったものの、尋常じゃない量のおかわりをしていたような気がする。

 作りすぎたから「明日の朝は二日目のカレーだねー」なんて呑気に話していた私たち一年が、後片付けの時に空っぽになった鍋をみて唖然としたのは、そう遠くない思い出だ。あれ、部長だったんだね、きっと。

「鈴音ちゃん、ベーコン焼けたけど食べるよね?」

 部長の食べっぷりにすっかり見入ってしまっていたところに、竜胆ちゃんから声をかけられる。目の前のコンロに視線を落とすと、いつの間にか生のお肉に変わって厚切りのベーコンがジュウジュウと良い音を立てて焼かれていた。

「これ、もしかして例の?」

「そうそう。先生のジビエベーコン」

 なるほど、これが。見た感じ、いつも食べてる豚のベーコンとあんまり変わらなさそう……かな?

 気持ち、お肉の部分の色が濃いくらいで、他は豚ベーコンと見た目そっくりだ。種として親戚なんだから、そりゃそうなんだろうけど。脂が強いのか、したたり落ちた雫をうけて、炭からもうもうと煙があがっている。これ結局、先輩もみんなお風呂に入り直すことになりそうだね。服も着替えないと、布団まで匂いが移りそうだ。

「あっ……でも、思ったより臭くないかも」

 クマ肉のえげつない匂いに比べたら、立ち上る香りからは、むしろ臭みが無いと言って良いレベル。ほのかに甘い香りがして、すごくおいしそうだ。

「イノシシは、ジビエでもかなり食いやすい方だ。シカや、なんなら羊の方が独特の匂いが強い」

「うわっ、先生いつのまに」

 いつの間にか鑓水先生が背後に立っていて、思わずドキリとする。先生は、ノンアルビールの缶を煽りながら、焼かれていくベーコンたちを満足げに眺めていた。

「ウチの可愛いベーコン達が焼かれてくんだ。そりゃ監督もしたくなるだろう」

「先生のお父さんって猟師か何かなんですか?」

「本業は農家だ。ただ、畑が山の方だから獣害がひどくてな。趣味と実益を兼ねて、地元の猟友会に入ってんだよ」

「へぇ」

「私も〝わな猟〟なら免許持ってんぞ。親父はライフルも使えるがな」

 そんな「私、原付の免許持ってんぞ。親父は大型あるけどな」みたいな風に言われても、いまいちすごいのかすごくないのかよく分からない。そもそも猟師の免許ってどうやって取るんだろうね。筆記試験とか実技とかあるのかな。

「それこそ北海道なら狩猟大国じゃねーか」

「いや、それが私、クマ肉試した時臭くてダメで」

「クマか。クマは私も経験ねぇな。まあいい、食ってみろ」

「はぁ」

 ご本人の前で「いらない」とも言えまい。私は焼き上がったベーコンをひとかけら貰うと、味をごまかすように気持ち焼肉のたれにつけてから、口元に運んだ。思い切って……ぱくり。口に入れてからも、最初のひと噛みまで覚悟が必要だった。だけど、噛んだ瞬間に、ぱっと全身の緊張がほぐれる。

「あっ、おいしい!」

 とりあえずまず臭くない。ベーコンになってるおかげかもしれないけど、これなら豚ベーコンの方がまだ、肉っぽい生臭さが強いような気がする。赤身の部分は結構歯ごたえがあって、噛んだら噛んだだけ滋味がしみ出してくる。

 そして特筆すべきは脂!

 お肉の脂身ってあんま好きじゃなくて、あからさまについてたらわざと取っちゃったりするんだけど、この脂おいしい!

 とろっと口の中で溶けるくらい柔らかいけど、くどくなくって、それ以上にすっごく甘い!

「親父は血抜きが上手いからな。私がやると、もう少しジビエジビエした感じになる」

「あたしも食べるー!」

 竜胆ちゃんが続いたのを皮切りに、みんな一斉にこっちのコンロに群がって、ステーキみたいに切り分けられたベーコンにかぶりついた。瞬く間に、私服の嬌声が辺りに響き渡る。一応、住宅街だけど、ご近所の迷惑にはなってないかな。学校だし、周りのご家庭も織り込み済かな?

「あ……おいも、良い感じになってますよ」

 彼方のコンロの方から、戸田さんの控えめな宣伝が響く。みんな、サバンナのシマウマみたいに一斉にそっちの方を向くと、戸田さんが開いたアルミホイルの中から、つやつやホクホクのじゃがいもが、湯気を立ててコンニチワしていた。

「ものども! かかれー!」

 完全に煽ってる安孫子先輩の一声で、今度はあちらのコンロにドドドと民族大移動が始まる。この欲望丸出しの反復横跳びは何だろう。私もその一員になっちゃってるんだけどさ。

「これが、秋保チャンおすすめの函館式じゃがバタッスか」

 熊谷先輩が、お皿に盛られたじゃがバタを、世紀の大発見のように掲げる。ホイルから顔を出したじゃがいもは十字に割られて、あつあつのところにバターをひとかけ。そして、塩辛を大匙でたっぷりと上から垂らす。一瞬、めんたいバターみたいにも見えるけど、イカの内臓を使った塩辛だからこそ、より濃厚な海の香りが湯気にのって広がる。

「あっ、おいしい。じゃがいもが塩辛のうまみを受け止めてくれてるね」

「でしょ!?」

 真っ先に感想を溢してくれた井場さんに、思わず私もテンションがあがる。

「イカのコリコリした食感がまた合いますねー! これは、我が家の食卓にもぜひのせたいです」

 そう語る藤沢さんだけじゃなく、みんな塩辛じゃがバターのことをずいぶん気に入ってくれたみたいだ。良かった、本当に。地元のみんな、私たちの文化は内地でも息づきそうだよ。

「ぐ……なぜ私は、このつまみを前にしてノンアルしか飲めないんだ」

「せ、先生、まだ缶残ってますから気を落とさないでくださいね」

 なんか、別の意味でショックを受けてるらしい先生は、五十鈴川先輩によってそれとなくなだめられていた。さっきのジビエの話といい、鑓水先生って怖い人ってイメージが強かったけど、単純に顧問として厳しい人って感じなのかな。言葉遣いがちょっと乱暴なのも、田舎町特有の口調の強さみたいなところのような気がする。中川先輩もそうだったけど、部活以外の姿にも触れて見ないと分からないことっていろいろあるんだね。

 合宿って、単純に強くなるためにする以外にも、意味があることなのかもしれない。

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