合宿スタート!

 高校になって初めてのゴールデンウィークは、合宿と共に始まった。そうは言うものの、合宿所は校内の施設なので、目新しい環境でリフレッシュしながら稽古するってわけではない。慣れた環境で共同生活をすることで、結束を深めよう――という意味が強いのかなと、勝手に思っている。

 合宿所となる学生会館は、平時は学食として使われている施設だ。一階は食堂に洗面所、お風呂といった水場が集まっていて、二階がまるまる和室で大広間の宿泊スペース。個室はなくて、全員同じ部屋に雑魚寝となる。布団を敷き詰めれば数十人は泊まれるという広間は、十数人の剣道部にとっては、やや持て余す広さがある。しかし、そこは日本人の性というか、無駄に汚さないようにと半分くらいのスペースにまとまって、荷物を広げることになった。

「荷物置いたら、すぐ午前の通し稽古だよ~。ここの鍵は閉めないから、貴重品は道場に持ってってね~」

 そう発破をかける安孫子先輩は、とっくに自分の荷物を一か所にまとめて、長いウェーブヘアーを部活用のポニテスタイルにまとめているところだった。登校日ではないので、みんな制服じゃなくて学校指定ジャージか、自前のスポーツウェアなのが新鮮だ。

「鈴音ちゃん、ここのお風呂、温泉引いてるんだって知ってる?」

「えっ、ほんとに?」

 竜胆ちゃんの思わぬ一言に、連休なのに練習かぁと、気持ち沈んでいた心が弾む。

「広くはないらしいけど、心ばかりの旅行気分だよね~」

「そうだね~」

 とはいえ、我々りんりん同盟は、共に遠方から引っ越して来た組だ。まだまだ普段の日常生活が、軽く旅行気分である。

「一年生、何食べたい?」

 声をかけてきたのは、とっくに出立の準備を終えた早坂先輩だ。

「カレー!」

「バーベキュー!」

「山盛りお菓子!」

「船盛り!」

「うん、元気でよろしい。ただ、船盛りって言った人、作るの自分達だって思い出そうね」

 先輩は苦笑しながら、小さなメモ帳サイズのリングノートを私たちに手渡す。

「上級生は好き嫌い無いから、なんでも食べたいもの決めて良いよ。代わりに、一年生で二泊三日の献立を考えておいてね」

「えっ、全部ですか?」

「厨房はそこまで広いわけじゃないから、ご飯の準備は基本的に一年生の仕事にしてるんだ。その代わりに、好きなもの作って良いよってことで」

「な、なるほど」

「ああ、お昼はお弁当とかの準備があるから、考えなくて大丈夫だよ。だから、二日間の夕食と朝食の計四食分をお願いね」

「分かりました」

 差し出されてしまった手前、断るわけにもいかずにメモ帳を受け取る。それから、助けを求めるように一年生たちのグループを振り返る。

「……ってことだけど、どうする?」

 正直、お手伝い程度にしか料理をしたことが無い私にとっては、脳みそ真っ白で、献立も真っさらだ。

「とりあえず稽古があるから、お昼ご飯の時にでも話し合おっか」

 井場さんが、のんびりとした笑顔を浮かべて答える。それもそうだね。今は、話し合ってるような時間はなさそうだ。


 道着に着替えて、さっそく午前の稽古が始まる。みんな防具をつけて、ウォームアップの基本の打ち込みから、出鼻技や応じ技などの練習、そして地稽古で〆る。普段の部活と全く変わらない内容で、合宿だからと身構えていた分、いくらか拍子抜けだった。

 もっとも、ここまで含めてウォームアップって感じなんだろう。合宿の本懐は、午後からの個人練習にかかっている。

 先生が私に課した課題は、「上段を覚える」こと。剣道『五行の型』のひとつで、最も攻撃的な『火の構え』とされる。流石に二泊三日の付け焼刃で習得できるようなものではないので、長期的な課題って意味だよね。さわりるだけでもやってみろっていうのが、私の目標になるんだろう。

 覚えると言っても方法はいろいろあるもので。教本を見るとか、このご時世なら剣道系配信者の動画を見るとか。その中でも一番多いのは、師事してる先生に教えてもらう――なんだろうけど、当の鑓水先生から告げられた方法は、以下の通りだった。

「上段のことなら北澤に聞け」

 ええー、だよね。

 日葵先輩……私よりも背が大きくて、さわやかで、イケメンで、似合うんだけど似合わないキザなセリフが特徴的な、どこか気の弱い先輩。彼女に聞けって言われても、そもそも日葵先輩って上段使ってたっけ?

 私の記憶にある限りでは、練習中も、この間の練習試合でだって、一回も上段の構えを取った姿を見たことが無い。確かに、あの体躯だったら私以上に上段が似合うし、強力な武器になりそうけど。

「えっと……あ、いた」

 お昼休憩を終えた私は日葵先輩の姿を探して、学生会館から道場までを彷徨った。彼女は、誰もいない道場に一足先に入っていて、ひとりで素振りに興じていた。

「日葵先輩」

 声をかけると、ちょうど竹刀を振り上げた彼女の肩がびくりと揺れる。やがて相手が私だと知って安心したのか、ほっと胸を撫でおろすのと一緒に、竹刀を降ろした。

「秋保さ……り、鈴音ちゃん。私のことを探してたのかな?」

 何で言い直したんだろう。突然名前で呼ばれたことよりも、そっちの方が気になってしまって、返事するのにひと呼吸必要だった。

「もしかして、鑓水先生から聞いてますか?」

「うん。鈴音ちゃんに上段のこと教えるようにって」

「あの、失礼ですけど……先輩って、上段、できるんですか?」

「あー……うん、まあ、一応ね」

 なんだか歯切れの悪い答えだった。ちょっと不安……じゃなくて、かなり不安。

「日葵さん、お疲れ様です!」

 とか話していると、入口の方から威勢のいい挨拶が響いた。私は内心どきっとしながら、足音が近づいてくるのを背中に感じていた。

「午後の稽古、日葵さんと一緒で嬉しいです! 胸を借ります! よろしくお願いします!」

/ 傍にやってきた中川先輩は、四十五度どころか、ほとんど九十度の最敬礼で声を張る。日葵先輩は居心地が悪そうにしながら、慌てて顔をあげるよう彼女に諭した。

「そんなにかしこまらないでってば……! と、とにかく……この三人でグループだから、頑張って稽古しよう」

 精一杯の威勢を張って、日葵先輩が宣言する。そう、午後の稽古は先生に指定されたグループごとに自由となっているのだが、私が組み込まれたのが日葵先輩と、中川先輩を含む三人組。日葵先輩はまだ分かるけど、どうして中川先輩も一緒なんだろう?

「あの……中川先輩も、上段を使うんですか?」

「あ?」

「ひっ!」

 返す言葉で睨まれて、私の方が委縮してしまう。これじゃあ、日葵先輩のことをとやかく言えない。

「上段? 何言ってんだ?」

「あ……違うなら、良いんです」

 ますます、なんで彼女と一緒のグループにされたのか分からない。先生、このチーム、人選ミスじゃないですかね?


 それから防具をつけて、午後の稽古が始まる。どこでやるも、何をするも自由ってことだけど、とりあえずみんな道場に集まって、それぞれ思い思いに稽古を始めていた。

 グループ分けは以下の通り。


 ・北澤日葵、中川薔薇、秋保鈴音

 ・安孫子蓮、熊谷杏樹、日下部竜胆

 ・早坂楓香、五十鈴川菜々子、井場真柚

 ・戸田姫梅、藤沢つづみ


 初心者ちゃん二人を除いて、グループ分けの意図は全然わからない。とりあえず、各学年をバランスよく割り振りましたって感じだけど……強いて言えば、早坂先輩のところは、和気あいあいとして楽しそうだね。既に、あははうふふと、のんびりとした笑い声が聞こえてくる。

 竜胆ちゃんは、熊谷先輩と競い合うみたいに稽古しそうだね。そこに加わる安孫子先輩ポジションが、なんだか意味深だ。早坂先輩のところと違って、こっちはあまり関わりたくないね。


 そして――


「お願いします」

 道場の入り口で、凛とした声が響いた。決して声量はないのに、思わず振り返ってしまうその一声は、初夏の若い息吹と共に吹き抜ける薫風みたいに、瑞々しかった。

「く、黒江……?」

 黒江が、袴姿に防具を抱えて立っていた。私は、驚きと、戸惑いと、一抹の焦燥感を伴って、彼女のもとへ駆け寄る。

「ど、どうしたの、それ」

「どうって……稽古?」

「稽古、じゃなくて、え、誰と?」

「お願いします」

 私の問いに答えるように、黒江の後ろから小さな陰がひょこりと顔を出す。

「秋保さん、どうかしましたか?」

「部長……もしかして、黒江」

 黒江が静かに頷く。

「私の課題――合宿中、部長に勝ち越すことだから」

「……マジ?」

「ちなみに私は、須和さんから勝ち越すのが課題です」

 黒江の横で、八乙女部長がにこぉっと、『こけし』みたいな笑みを浮かべる。南高剣道部〝最小〟の剣士であるところの彼女は、南高剣道部〝最強〟の剣士でもある。だけど、〝日本一の女〟であるところの黒江とぶつかりあったらどうなるんだろう。

 まさか五分五分?

 いや、高校三年間の経験値の分、もしかして――

「いいの、黒江?」

 心配になって、というのはおこがましい気がするけど、私は黒江の意思を尋ねるように問う。

「これは稽古だから……選手に復帰したわけじゃない。それで納得している」

 それが、黒江の答えだった。本人が納得してるなら、私が口を挟む余地はないけど……私だってまだ、防具をつけた黒江とは一緒に稽古してないのに。

 もしかして、これが先生の言っていた「機会」なんだろうか。

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