私の課題
「集合!」
放課後、防具をつけてのウォームアップの途中で、顧問の鑓水先生が道場へやってきた。部長の掛け声でみんな稽古をやめ、彼女のもとへ集まる。
「お前ら、ミーティングするから面外せ」
「はい!」
私たちは、駆け足で壁際一列に並んで座ると、手早く小手と面を外して再集合する。先生を中心に車座になって腰を下ろす。
「前に言った通り、ゴールデンウィークに合宿を行う。場所は学校内の合宿施設。二泊三日のスケジュールだ」
口にしながら、鑓水先生は人数分の用紙を部長から順に回した。そこには合宿の日程と共に、各日のスケジュールがざっくり記されていた。
「午前中は道場でいつもと同じ合同稽古。昼休憩の後、夕方までは私の指定したグループに分かれて、それぞれ個人課題に励め。稽古場所は道場に限定しない。なんなら、竹刀を振らなくてもいい。それぞれ、自分の為すべきことに対して励め。何をしたらいいか分からなければ、私も助言する」
竹刀を振らなくていいとは、また豪気な指示だ。合宿て言ったら「とにかく稽古」ってイメージだったけど……それにしても個人課題って何だろう?
「稽古が終わったら入浴と炊飯だ。民泊じゃねーんだから、メシは自分たちで作れ。食材は、私が買い出しに行くから、食いたいものがあれば事前に言ってくれ。メシを食ったら、就寝まで自由時間だ。翌日に備えて休むでも、授業の課題をするでも、自主練するでも、好きに過ごせ……と言うと毎年無理に自主練するヤツがいるが、体調管理もアスリートの基本だ。自分の体調に合わせて、休むなら休め。ここまで質問あるか?」
特に声をあげる部員はいない。それを返事と受け取って、先生は話を続ける。
「それじゃあ、これから個人面談すんぞ。呼ばれた順に来い」
そう言って彼女は、道場の更衣室兼備品庫へ、最初の面談者である八乙女部長を連れて入って行った。
「面談……って、何するんですか?」
若干の不安を持って、副部長の安孫子先輩に尋ねる。防具を外せば竜胆ちゃんとは別方向のお洒落番長、キャピキャピのギャル彼女だが、稽古中の今は、ウェーブがかった長い髪をシンプルなポニーテールにまとめている。
「なんてことないよ。大まかには、たぶんこの間の練習試合の評価と、合宿の個人課題についてだと思う」
ずいぶん改まってのことだったから何かと思えば、そういうわけか。私の個人課題かぁ……心当たりが多すぎて、何を言われるのか想像すらできない。
「ま、ウチら三年は、大会前の最後の調整みたいな課題だと思うけど、一年生は突拍子もないこと言われるかもね」
「突拍子もないこと、ですか?」
「私が一年の時は、一日三〇分瞑想しろとか言われたよ。懐かしー」
「瞑想……?」
確かに突拍子もない。そして、安孫子先輩の話を皮切りに、途端にみんな思い出話に花が咲く。当然、自分が過去に課せられた個人課題の件だ。
「私、過去の南校の公式戦の動画を、見れるだけ見ろって言われたなぁ」
ほんわかと懐かしむように語るのは、剣道部の女神、二年の五十鈴川先輩。
「自分は、とにかく合宿中は決められた量のご飯を完食しろって言われたッス。食後は動けないくらい、腹パンパンだったッスぅ……」
「あ、私も同じ。たぶん、初心者は、みんなそうなんじゃないかな? 身体作り的な」
いかにも運動部らしい口調の二年の熊谷先輩と、人当たりが良い三年の早坂先輩は、共に高校から剣道を始めた初心者組だ。その話を聞いて、一年の初心者組である藤原さんと戸田さんが、「うへぇ」と肩を落とす。ふたりとも、中学まで運動部らしい運動部をやってきたわけではないそうだし、普段の食事量だって女子高生基準だろう。私が剣道を辞めたつもりで買った、デザイン重視の細くて浅いお弁当箱みたいな。
「中川サンは、何だったッスか?」
熊谷先輩が尋ねると、中川先輩が不機嫌そうに睨み返す。ふたりは同じ二年生なのに、なぜかヤンキーとその舎弟みたいな関係を築いている。
「必要ねーことは教えねー」
「えー、そりゃけちんぼッスよぉ! じゃあ、日葵先輩は?」
代わりにやり玉に挙がって、部内一の高身長(かつ超絶イケメン)の三年、日葵先輩(下の名前だ)が、びくりと肩を揺らして振り返った。
「こ……こら、練習に戻らないと、鑓水チャンに怒られるぞ☆」
日葵先輩は、さわやかスマイルでバチコンとウィンクを返した。それっぽいこと言ってるけど、今のって単純に煙に巻いたよね?
彼女は、見た目も言動もイケメンなのに妙に小心者という、いろいろちぐはぐでよく分からない人だ。まあ、台詞に関しては、かなり無理矢理言ってる感が強いけど。
ここに面談中の八乙女部長を加えて、総勢七名の諸先輩方だ。ギリギリ大会メンバーが埋まる人数ではあるけれど、女子剣道部としては潤沢な方。学校によっては、全学年合わせて部員が二~三人なんてところも珍しくない。
そこに私たち一年生が五人(うちひとりはマネージャーだけど)いるので、結構な大所帯である。もちろん、全国常連みたいなチームは、BチームばかりでなくCチームやDチームまで組めるくらいの人数がいたりするんだろうけど。
どれだけ人数が居ても、インターハイ予選の参加人数は各校一チーム七人までなので、レギュラー争いは避けられない。
日葵先輩の言葉に半ば従う形で、私たちは面談の順番を待ちながら稽古を再開した。面談が終わった人が、次の人を呼ぶシステムだったので、いつ自分の番がくるのかどうしても緊張してしまう。基本は学年順のようだけれど――
「次、須和ちゃん呼ばれてるッスよ」
「はい」
二年生の最後となった熊谷先輩に呼ばれて、道場の隅で正座していた黒江がおもむろに立ち上がる。マネージャーでも呼ばれるんだ……でも、そんな気はしていた。
――私も、お前の今の待遇に納得はしていない。
宝珠山との練習試合で、試合に出ない黒江に先生が言い放ったひと言だ。先生は、黒江が選手になることを諦めていない。先輩たちと同じように。もしかして、言いくるめるつもりなのかな。黒江が簡単に首を振るとは思えないけど、どうしようもない不安でお腹がざわざわする。
「こらっ、集中だぞー」
おかげでぼーっとしていたら、稽古の相手役になっていた安孫子先輩から、軽く面を叩かれてしまった。私は平謝りしながらも、意識は依然として更衣室の方に惹かれてしまう。
長いんだか、短いんだか。他の人の時間を気にしてなかったから分からないけど、長いような気がする時間を経て、黒江がようやく中から出て来た。表情は……相変わらずのポーカーフェイスで、何を考えているのかよく分からない。
彼女もまた、私のことを見ていた。面金を挟んで視線がバッチリ合って、黒江が静かに奥の扉を振り返る。
「次、鈴音だって」
「あ……うん、わかった」
何か言いたいことがあるわけじゃなく、ただ順番を伝えたかっただけのようだ。私は慌てて面を外すと、恐る恐る、忍び寄るように更衣室へと向かった。
更衣室では、パイプ椅子が二脚向かい合うように置かれていて、片方に鑓水先生が座っていた。彼女は、薄いタブレットを手に無言の圧で着席を促すので、私はすっかり委縮しながら腰を降ろす。
「秋保鈴音、北海道の出身だったな。引っ越しは家庭の事情か?」
「は、はい。父がこちらの出身で」
面談っていうか、まるで面接だ。先生は、私の様子を伺うように見つめて頷き返す。
「入学と同時で良かったな。転入だったらお前、来年の春まで公式戦に出られなかったぞ」
「そうですね。タイミングが良かったと思います」
「中一で個人戦全国出場。県予選は二位通過か。まあ、立派なもんだ。だがその年の新人戦からは、全くの鳴かず飛ばず……と」
「そ、そんな情報どこから?」
「顧問ネットワーク舐めんなよ。たいていの戦績は、又聞きくらいのうちには手に入るもんだ。だが――」
画面に落ちていた彼女の視線が、再び私を射貫く。グサリと音が出そうなくらいに、鋭く、冷酷な視線だった。
「今は、私より優秀なコーチがついてるみたいだな?」
うぐ……絶対に言われると思った。自分で口を滑らせたことだし、覚悟はしていたけど。思えば、黒江の後に私の番っていうのも、事実確認のためだったんじゃないだろうかと邪推してしまう。
「いえ、別にその、鑓水先生をないがしろにするとか、そういう意図は無くてですね」
言い訳が苦しいけど、正真正銘の本心だ。私はただ、強くなりたいだけ。彼女自身が約束してくれたから。私を、黒江に勝てるくらいに強くしてくれるって。
すっかり挙動不審の私を見て、先生は小さく鼻で笑った。それから、ニヤリと悪だくみでもするように口角をつりあげる。
「いや、面白い。やるなら、徹底的にやれ。必要なら普段の稽古から別メニューを組んでも良い」
「……え?」
そんな事言われるとは思わなくって、私はすっかり固まって瞬きだけをぱちくりさせる。
「中学三年間、日本一を取った女の練習だぞ。断る理由が無い。ただし、何をしたかは逐一私に報告しろ。他のヤツらにも活かせるかもしれん。まあ、道場の見えるところでやってもらうのが、一番手っ取り早い」
「は、はい。分かりました」
まさか、顧問公認でお許しが出るなんて……私としては、願ってもないことだけど。
「ただし、合宿中は私の与えた課題をこなしてもらう。夜の自主練の時間だったら、好きにしていいがな」
「分かりました。それで、その課題っていうのは……?」
私の問いに、先生はタブレットを膝の上に伏せ置いた。途端に、空気がずんと重くなる。稽古の途中だったせいか、喉がカラカラに乾いていた。
「鈴音、お前、上段を覚えろ」
先生はごく手短に、それだけを口にした。私は、何か反応しようと口は開いたものの、言葉らしい言葉どころか、音のひとつも零れ落ちることがなかった。彼女の言ったことが、まるで他人事みたいに抜けて行く。
「上段……ですか?」
「お前はタッパがある。中学まで稽古していたから、基本的な足腰もできている。そして踏み込みの勢いもあるのが、この間の試合で分かった。上段向きの身体だ」
「あ……りがとうございます?」
褒められてはいるんだろう。そのことは私だって嬉しい。でも、だからと言って、先生の話に気軽に頷くことはできなかった。だって上段は〝仕掛け〟の剣道のはず。黒江に教わるカウンター剣道とは、真逆に位置するものだからだ。
「お前が今、何を考えているのかは分かる。さっきの話と繋がらないじゃないか、って思ってるだろ」
「あ……その……はい」
「その通りだ。反対のことを言っている」
先生は、あっけらかんとして頷く。だったらどうして……?
「私は、選手がインタビューでよく言う〝自分の剣道〟ってヤツが嫌いだ。固定概念で可能性を押し込める、悪魔の言葉だ。特に、学生が言う〝自分の剣道〟が嫌いだ。それを語れるくらい『お前はあらゆる〝剣道〟を試したのか?』って、問い詰めてやりたくなる」
「は、はぁ……」
「剣道は個人競技だ。団体戦だろうと、試合場で戦っているのはひとりだ。だから武器を沢山持て。馴染まないなら馴染まないで、途中で捨てても良い。試して捨てて、試して捨ててを繰り返して、二年後の今、お前至上最強のお前になっていれば、それでいい」
「二年後の今、最強の私……?」
「いいか、お前たちひとりひとりの高校剣道は三年しかないんだ。まあ、厳密には二年半な。夏までだから。そこで全国を目指そうというなら、なりふり構うな。捨てることはカッコ悪いことじゃない。意固地になってチャンスを拾わないことこそが、カッコ悪いことだ」
鑓水先生の語り口は、諭すというよりも、半ば説教に近かった。それくらいの言葉の重み。三年しかない。自分の賞味期限を告げられているみたいで、胸がチクリと痛んだ。
「かといって……手あたり次第じゃ、効率は悪い。私もできる限り、合いそうな武器は提案するから、とりあえず試してみろ。三年のうちにお前たちを、お前たち史上最強にする。それが顧問としての私の役目だ」
「……はい」
半ば頷かされるような形だったけど、不思議と納得ができた。顧問としての役目だという彼女言葉に、少しだけ真実味があったから。
「以上だ。何か聞いておきたいことはあるか?」
ないです、と首を振ろうとしたところで思いとどまる。私は、さっきから心につかえていたことを、この際訊ねてみることにした。
「あの、黒江とはどんな話を?」
「本人に聞け」
「えっと、じゃあ、質問を変えます。先生は、黒江を選手に引き戻すつもりですか?」
室内に静寂が流れる。何と答えるべきか、先生も迷っているような、そんな沈黙だった。
「負けたら選手になるという条件を出したのはあいつだ。私はそれを尊重する。その代わり、機会はこちらで作らせて貰う」
「機会?」
先生は、それ以上この話を続けようとはしなかった。私が彼女の言葉の意味を知るのは、厳しい合宿がようやく明けて、そんな話をしたことも忘れかけていた五月の中頃のことになる。
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