知らないことが多すぎる
週明けの月曜日は、絵に書いたような春の陽気だった。
山形県は、何年か前まで全国の最高気温ランキングで一位をマークしていたらしい。確かに、まだまだゴールデンウィーク前だと言うのに真夏のような暑さだ。地元出身のクラスメイトの話では、まだ湿気が低い、夏真っ盛りよりはマシな方だと言う。でも、北海道から来た私の身からすれば、南の街へやって来たんだなということを、早くも見せつけられているようだった。
「剣道部、練習試合だったんだって? 勝った?」
「私は勝てたけど、チームとしては五分五分かなぁ」
「へぇ、やるじゃん。鈴音ちゃん、強かったんだ?」
クラスメイトの何気ない会話に、私は何と答えるべきか迷ってしまう。
強いかどうかと言われると、決して頷くことはできない。だって中学のころは、一年の時に個人戦で全国大会に出場できたことを覗けば、大会成績は全くの鳴かず飛ばず。すべては、須和黒江っていう三年連続で〝日本一の女〟の称号をほしいままにした天才に勝つため、彼女〝だけ〟に勝てる剣道を模索した結果だった。
その須和黒江は、私の引っ越し先であった山形県の代表選手で、なんと入学先の「県立あこや南高校」で同窓生となってしまった。そしてこれまたどういう訳か、彼女を倒すため、彼女自身から剣道を教わるという、傍から見てもよく分からない状況に立たされていた。
そんな〝日本一の女〟との稽古も始まったばかりで、まだまだ自分が強くなったような実感はない。少なくとも、須和黒江と比べれば、全然。ただ、黒江は「自分を倒す選手がいるなら、選手に復帰する」と言っているので、剣道部の先輩がた(主に三年生の先輩方)からは、まだかまだかと背中をせっつかれている。そんな急に強くなれるわけがないのに。だけど、この夏が最後の大会となる彼女たち(と言うか、副部長の安孫子先輩がほとんど)の気持ちは分からなくはないし、私もできる限り協力したいとは思っている。
じゃあ、今の私は弱いのか?
それもまた、なんとも頷きがたい。この先日あった件の練習試合では、いろいろと策が上手くはまったのもあったけど、県内トップクラスの実力者である宝珠山高校の清水撫子さんに対して二対一で勝利をおさめた。剣道の試合は二本先取三本制なので、ギリギリの戦いだ。それでも、トップ選手に勝ったという事実は、私をそれなりに調子づかせてくれた。
清水さんと言えば、練習試合ではウチで一番強いであろう八乙女穂波部長に、一対一で引き分けた相手だ。じゃあ、彼女に勝った私が部長より強いかというと、そういうわけではないけど、「部長が引き分けた相手に勝った」という事実もまた揺るがない。
まあ、その部長相手に私は、なすすべなく一方的にボコられることしかできないのだけど。本人も、周りの部員すらも理屈がよく分からない、八乙女部長の〝縮地カッコカリ〟を破らないかぎり、私は彼女に勝てないだろう。言わずもがな、彼女もまた、今年度の県内トップクラスだ。
「強くなるために頑張ってるよ」
一番カドの立たない言い方をしたら、そうなるのかな。クラスメイトもそれで納得したのか、「そっか、頑張ってね」と笑顔で口にして、自分の席に帰って行った。
「お山の大将に勝ったんだ」
入れ違いに、背後から気だるげな声が聞こえる。振り返ると、後ろの席の前園さんが机につっぷした恰好のまま、私のことを覗き見ていた。
「やるじゃん」
前園さんがニマリと笑う。前園一華さん。私の後ろの席で、仲は……良くもないし悪くもない。友達になりたくないわけじゃないけど、彼女のマイペースな当たりの強さが、私はちょっと苦手だ。部活は「マス研」だという彼女は、私たちが練習試合でしのぎを削っていたこの週末で、耳の軟骨ピアスがふたつほど増えていた。
「あ、ありがと。ところでそれ、痛くないの?」
自分の耳を指さしながら、話のタネに尋ねてみる。
「思ってるほどじゃないと思うよ。『バツンッ!』って音はびっくりするかもしれないけど。興味あるなら、イチカが空けたげよっか?」
「いや……遠慮しとこうかな」
彼女の『バツンッ!』が思ったよりおっきな声でびっくりしてしまったせいか、とりあえず話はここまでにしておく。そもそもピアスなんて空けたら、面をつけた時に締め付けられて、なんとも痛い思いをしそうだし。面をつけている間は汗をぬぐうこともできないから、メイクなんかもドロドロになってしまう。剣道女子は、オフの日にしかオシャレはできない。
「おはよー! あっついねぇ、今日は」
とか考えていたら、お洒落番長(私が勝手に思ってるだけ)こと竜胆ちゃんが、元気よくクラスに登校してきた。私の隣の席に腰かけた彼女は、同じ剣道部の一年生レギュラーだ。竜胆と鈴音、名前に〝りん〟がつく者同士〝りんりん同盟〟ってことで、入学初日に仲良くなった子だ。
「お化粧崩れてないかな……? うん、大丈夫そう!」
椅子に座るなり、手鏡を取り出して身だしなみをチェックした彼女は、最後にバチコンと鏡の中にウィンクを飛ばす。ナチュラルスクールメイクに、毛先をくるんとカールさせた艶髪。なんというか、とっても女子高生です。
そんな彼女は、稽古の前に丁寧にメイクを落としては、終わったらまた綺麗に戻す。近くの民間寮生活だから、帰りなんて学校から歩いてすぐそこなのに。その意識の高さが、お洒落番長の由縁だ。私は彼女のことを尊敬している。そのコミュ力の高さも含めて。
「そう言えば来月末のクラスマッチ、出る競技決めた?」
竜胆ちゃんの言うクラスマッチは、毎年五月の下旬に開催されるクラス対抗のスポーツ大会だ。運動会と違って、球技などのチーム競技スポーツが中心となり、クラスメイトとの親睦会を兼ねたイベントだということだ。
「私はバレーかなぁ」
「イチカはソフトボール」
「あー、鈴音ちゃんは〝ぽい〟ねぇ。バスケも似合いそう」
〝ぽい〟っていうのは、たぶん私の身長を見てのことだろう。高校標準から見てもかなり大きい部類の私の身長は、剣道が強くなるために望んだものではあったけど、育てすぎたかなと今ではちょっと後悔している。なお、現在でもミリミリと更新中だ。
「私、バスケ苦手なんだよね……ホント言えば、球技全般が苦手。手から離れるものを扱うのって、何か慣れなくて」
「わかるぅー。剣道部あるあるだよね」
あるあるなのかは分からないけど、竜胆ちゃんも同意して頷いてくれた。
「バレーはまだブロックで活躍できるし。てか、前園さんのソフトボールが意外だね」
「何? イチカ、ソフトボール苦手そうな顔してる?」
「そういう訳じゃないけど……」
そういう言い方が、ちょっと苦手なんだよぉ……たぶん、本人に悪気はないんだろうけど。色んな意味で、裏表のない子なんだろうなって、最近では思うようになった。
「ソフトボールって、自分の打席以外は暇じゃん? 守備も外野に居れば、素人の試合じゃ、あんまりボール飛んで来ないし」
「な、なるほど」
一応、彼女なりの基準で選んではいるらしい。前園さんは、自分が楽をするための努力を惜しまない人だ。
「そういう竜胆ちゃんは、何に出るの?」
視線を向けると、竜胆ちゃんは「よくぞ聞いてくれました」とでも言いたげに、らんらんと光る眼を見開いた。
「大相撲!」
大相撲!?
そ……そんな競技あるの?
女子校なのに?
慌てて、先週配られたクラスマッチの概要書を眺めると、確かにあった『大相撲夏場所』の文字。しかも、配点でっかい。これはもしかしなくても、目玉競技ってやつ?
「あたし、小学校から中学校まで九年間、島内こども相撲チャンピオンなんだ! 横綱も横綱!」
また新しい情報が出て来た。県内の離島育ちである竜胆ちゃんは、話を聞くたびに、何かと私たちと違う文化圏で生きてきたかのような発言が目立つ。港町って意味では、北斗市生まれの私も共感できるところはあるんだけど……なんていうか、全体的に野生児だ。山奥で修行じみた寄宿舎生活を送る、宝珠山の生徒たちともまた違った意味で。
「そ、それは期待できるね。応援するよ」
「うん、まかしといて!」
竜胆ちゃんは、ニカッと笑ってブイサインを掲げた。このあっけらかんとした感じが、沢山の人に好かれる理由なんだろうなっていうのは、言うまでもなかった。
「ねえねえ、日下部さんと秋保さんって、剣道部だったよね?」
不意に声をかけられて顔をあげると、また別のクラスメイトが、今度はふたり連れで机の周りに来ていた。日下部さんはクラスの人気者だから、休み時間はいつもこんな感じ。また練習試合の話かなと思った私は、疲れを見せないように精一杯の笑顔を浮かべて答える。
「そうだけど、どうしたの?」
「あのさ、ブラックスワン――じゃなくて、須和黒江って剣道部の、選手じゃなくってマネージャーなんだよね?」
初めてのパターンの質問だった。そもそも私たちじゃなくて、黒江の話。しかも、選手じゃなくてマネージャーだよねって……どういうこと?
とりあえず頷き返すと、彼女たちは顔を見合わせて嬉しそうに、はたまた安堵したように、頬を紅潮させた。
「あの、あたしたち映画演劇部なんだけどさ。須和さんって、演技に興味あったりするかな?」
「演技に? さあ……どうだろうね?」
竜胆ちゃんと顔を見合わせて、どちらも「わからんね」と首をかしげる。
「ほら……須和さんって美人じゃない? 絶対に舞台映えすると思って……今度の定期公演で、ピッタリの役があってね! 良かったら、聞くだけ聞いてもらえないかな?」
つまるところ勧誘ってわけね。ようやく合点がいって、今度はこっちが安堵したようにため息をつく。何に安堵したんだか、自分でもよく分からなかったけど。
「聞いてみるのはいいけど、自分達で熱意を伝えなくて大丈夫? 取次ぐことくらいならできるよ」
たぶん……ね。休み時間の彼女の席に連れて行くくらいなら、私にだってできる。すると映画演劇部のふたりは、ぎょっとして、ぶるぶると首を横に振った。
「そ、そんな恐れ多いこと! 須和さん、美人過ぎてちょっと近寄りがたいっていうか……目の前にしたら絶対緊張して、素直におしゃべりできないと思うから!」
サザンの曲みたいな文句で否定する彼女たちの気持ちは、私も痛いほどよく分かる。私も、再会したばかりのころは、見つめ合うと素直におしゃべりできなかったし。
「別に良いんじゃない。ふたりもイチカに同じことさせたんだし」
思わぬところから援護射撃。背中越しに、前園さんのじっとりとした視線が突き刺さる。
「イチカ、まだ報酬貰ってないなぁ」
それは、後でも良いって前園さん本人が言ったんじゃん!
確かに、同中だという須和さんを紹介してもらう代わりに、甘い物を奢る約束したけどさぁ。それに前園さんの場合は、連れて行くだけ連れて行って、本題に入る前に帰っちゃったし。
「いいよー、聞くだけなら」
私が迷っている間に、竜胆ちゃんが笑顔でふたりに返事をしていた。
「ただ、良い返事が貰えるかは保障できないけどね」
そう言って彼女は、私に向けてウィンクをする。その通りだ。言うだけなら何でもタダ。もっとも、彼女の場合、良い返事が帰って来ることは無さそうだけど。
「せっかくのお誘いだけど無理だよ、鈴音」
放課後、道場へやって来た黒江にさっそく今朝の話をしていると、二つ返事でそう答えた。分かっていたけど、すごく安心した。自分たちの頼みじゃないのに妙に緊張してしまったのは、たぶん、ついこの間から互いのことを名前で呼ぶようになったからだ。
「だよね。ウチの剣道部、忙しいし。黒江は、私の稽古もつけなきゃいけないし」
「そうじゃなくて、もう兼部してるから」
なんだか今、予想だにしていない言葉が飛んできたような気がするんだけど。今、大事なところ聞き逃しちゃったかな……私は改めて黒江に尋ねる。
「映画演劇部の誘いは、断るんで良いんだよね?」
「そう。もう兼部してるから」
聞き間違えじゃなかった。モウケンブシテルカラ。もう兼部してるから!?
「えっ!? な、なに部と!?」
「地産地消部」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「うるせぇぞ一年!」
二年の中川先輩の怒号が飛ぶ。私は「すいません」と平謝りしてから、慌てて黒江に詰め寄った。
「な、なんで!? あんな怪しい部活!」
地産地消部と言えば、生徒会長が部長を務める新設の部だ。園芸部と料理愛好会が合併してできたらしく、その名の通り、自分たちで手に入れた食材で料理をするという「地産地消活動」を行っている部だということだ。
活動内容だけみれば立派なものだけど、問題はその中身というか、人というか……部活動勧誘期間のわざとらしい茶番の勧誘劇が、未だに記憶に残っている。
「入るって約束したから」
その勧誘に巻き込まれた黒江は、確かに一度は「入部する」と返事してしまった。その後、私と竜胆ちゃんで拉致って剣道部に入部する方向へ持って行ったんだけど――律儀にも彼女は、最初の約束を守ってしまったらしい。
「だ、大丈夫なの? 何ていうか……時間とか、いろいろ」
「兼部であることも、剣道部が忙しいことも理解して貰ってる。私のあっちでの仕事は、朝のホームルームの前に三〇分ほど菜園の手入れを手伝うこと」
「そうなんだ……」
黒江が畑仕事をしている姿が、全く想像つかない。庭園で薔薇の手入れをしているとかなら、なんだか想像できそうな気もするけど。
「そういうわけだから、映画演劇部は断っておいて」
「なんだか、まるで『今、兼部してなかったら入ってたかも』って感じじゃん」
「うん」
「マジで?」
「演劇は好きだし、楽しそう」
そうなんだ……こんな話をしていると、私はまだまだ黒江のことを知らないんだなって痛感する。友達だからって何でも知らなきゃいけないわけじゃないと思うけど、知らないことが多すぎるよね、私たち。
だけど今、私は黒江の一番弟子で、黒江は私の師匠なんだから。兼部するくらいなら、もっと私のことに気を裂いて欲しいって思うのは、私の一方的な我が儘だろうか。
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