おまけ~あたしの一歩~

 綺麗に掃除したばかりの部屋の中で、あたしは鏡とにらめっこする。古ぼけた鏡台は、おばあちゃんの嫁入り道具だそうで、中一の葬儀のあとに形見分け(なんて堅苦しいものじゃなく、単純に「ちょうだい」って言って貰っただけだけど)で貰ったもの。物心ついた時から使っている六畳の和室は、ベッドと勉強机代わりのちゃぶ台と、タンスと鏡台、あとボロボロの電子キーボードでいっぱいいっぱいだ。

「よし、おっけ」

 誰に言うでもなく、強いて言えば鏡の向こう側の自分に向かって笑いかける。

 好きな美容系動画を観ながら見様見真似のスクールメイクだったけど、思ったより上手くできたと思う。中学は当然メイク禁止だからすっぴんだったけど、休みの日は手に入る限りの品を使って、いろいろと自分に合う化粧を試したりした。せっかく鏡台を貰ったんだから、使わなきゃお婆ちゃんに悪いと思った。


 こんな島だけど、おばあちゃんは化粧をするのが日課だった。外に出る用事が無い日だって、絶対に欠かさなかった。小さい頃に一度だけどうしてか訊ねたことがあるけれど、「いづお迎え来っかもしゃねしのう(いつお迎えが来るかも分からないしねぇ)」と言うばかりだった。今思えば、なかなか強烈なブラックジョークだ。もともと、先に死んだお爺ちゃんがそろそろ迎えに来るっていうのが、お婆ちゃんの口癖みたいなものだった。


 あたしの島には何もない。

 離島ということで観光地化はされているけれどリゾート施設があるわけでもなければ、スーパーやコンビニもない。お店は食品から日用雑貨までなんでも揃う総合商店がひとつで、品ぞろえはそれほど良くない。欲しいものは注文すれば、定期便と一緒に仕入れてくれるけど、いつになるか分からないので自分で通販した方が確実だ。ただし「離島お断り」商品は諦めて、本土に言った時にイ〇ンかどこかで売ってるのを願うしかない。

 学校は小中一緒の分校がひとつ。ほとんど廃校間際で、あたしが卒業して何年かしたら本土の学校と合併になるそうだ。母校がなくなるのは寂しいけど、時代の流れだからしかたない。

 あんまり〝ない〟〝ない〟ばっかり言うと鬱になるので、あるものも考えてみよう。

 とりあえず自然がある。ぶっちゃけ、これは県内どこにでもある。島なので海は魅力のひとつだろう。夏場の海水浴場は、シュノーケリング客で結構賑わっていたりする。ただ、基本的に波が高いので、整備された区画以外は遊泳禁止だ。賽の河原と呼ばれる観光スポット(いわくはあるけど心霊スポットじゃないよ)があるけど、遊泳ルールを守らなきゃ冗談ではなくなる。日本海はどこもそんなもんだと思う。

 釣りは結構楽しい。大物がいっぱいいるから、上手くいけばご飯のおかずが増える。あたしも、こーんなおっきな鯛を釣ったことがあるよ――って、口で言ったってわかんないか。この話はまたそのうちね。

 美味しいご飯がある。これも県内どこだって同じだろうけど、やっぱり地元のご飯が一番おいしい。あたしは、何を食べるかよりも、誰と食べるかの方が大事だと思うから。

 つまり、大好きな人たちがいる。小さい島だからこそ、村のみんなが顔見知りで家族だった。どこに行っても実家のような安心感。この島そのものが、あたしの家なんだ。


 せっかく話に出したから、数少ない観光スポット「賽の河原」の話もしておこっか。河原とは言うけど海岸のことで、それこそ河原にありそうな丸い石が山のように積み上がった場所だ。この石は波で運ばれて来たものだそうだけど、山を崩しても気づいたらまた積み上がっているという言い伝えがあるものだから、「賽の河原」と呼ばれている。でも「賽の河原」って、頑張って積んだ石を鬼に崩されるやつだよね。崩したのが勝手に積まれるのなら、どっちかと言えば〝逆〟賽の河原だ。もしくは、あたしたちが石を崩す鬼なのか。

 ちなみに、崩すのは良いけど、石を持ち帰っちゃいけないとは島中のみんなが物心ついたころに聞かされていることだ。よくないことが起こるそうだけど、何が起こるかは知らない。持ち帰った人はいないから。


 うん、なんか語り口が実話怪談みたいになってきちゃった。大丈夫、「そんな中で石を持ち帰ってしまったAさん」も、「その呪いを解くために現れたお寺の住職さん」も登場しない。そもそも島の住職さんは「おれは何も見えんし感じんよ」と言いながら夜釣りに出かけるような人だし。

 とにかく暗いのはナシナシ。だって、今日は門出の日なんだから。


 広げていた化粧道具をポーチにしまって、大きなキャリーバッグに押し込む。寮に持っていく荷物はこれひとつだけ。あ、防具と竹刀のセットがあるから、ふたつ。必要なものはあっちで買うか、都度送って貰うことになっている。寮の部屋は個室だけど、そんなに広くはないらしいから、お洋服とかはシーズンごとに送っては送り返してになりそう。だから、このキャリーバッグにも、当面必要そうな春物しか入っていない。それでもパンパンになっちゃったのは、選ぶのが面倒でとりあえず全部詰め込んだからなんだけど。

「おぉい、いづでも出れっけのぅ」

「おっちゃん、ありがと!」

 港に向かうと、親戚のおっちゃんが自前の漁船を岸につけてくれていた。朝一の定期船じゃ時間がギリギリだったので、もっと早い時間に本土まで送ってもらうことになっていたのだ。春とは言え、朝はまだまだ寒い。ようやく朝もやが晴れて来た波間に、お天道様の光が差し込んで、キラキラとラメみたいに輝いていた。

 漁船に荷物を積み込んでいる間に、港に家族や友達が集まってくれていた。こういう時、作り話なら涙のお別れとなるんだろうけど、みんなカラッとした笑顔だった。もちろん、あたしも感傷なんて感じていない。今生の別れでもなければ、今は簡単にビデオ通話だってできるし。それに、この島があたしの帰って来る場所であることに変わりはない。

「じゃあみんな、いってくるー!」

 船に乗り込み、岸に向かって大きく手を振る。エンジンがボンボンと音を立てて、煙突から煙を吐きだし、本土へ向けて出航する。

「あたし、一番の女になって帰って来るからー!」

 もう一度、岸に向かって叫び声をあげた。声が届くうちに、自分の決意を島に刻み込むように。あたしはこれから三年間……大学も入れたらどんなに短くても七年以上は、島を離れて街で暮す。

 なにもないこの島に懐かしさを感じるようになるのは、何年ぐらい経ってからのことになるのか、少しだけ怖かった。だけどそれ以上に、これからの生活への期待や希望も、いっぱいに膨れ上がっていた。


 一時間半くらいの船旅で、船は酒田の港についた。海岸沿いの作業小屋では、早朝の漁から帰って来たらしい猟師さんたちが、取れた魚の水揚げをしていた。

「学校へのみぢ(道)は、わがんだが?」

「ん。調べられるから大丈夫! 駅までのハイヤーは、お母さんが呼んでくれてるし」

 ちょうど、漁協の事務所の向こう側にタクシーが一台停まっているのが見えた。たぶん、あれだろう。あたしは、親戚のおっちゃんにもう一度、ねっつくお礼を言って、タクシーに乗り込んだ。

「駅までお願いします」

「はい」

 車が動き出すのと一緒に、ポケットからスマホを引っ張り出す。海のうえじゃ電波が届かなかったせいか、スリープを解除した瞬間に大量のメッセージが流れ込んでくる。うふふ、と頬をほころばせてから、中身は後で読むことにして、交通機関の乗り換えアプリを立ち上げた。

 出発、酒田駅。到着、えっと、あ、こ、や、み、な、み――っと。

 うん?

 ナンコーはナンコーだけど、あたしが入るのそんな名前の学校だったっけ?


 鞄から入学案内の書類を引っ張り出して、封筒に印字されている文字を確認する。確かに「あこや南」と書いている。

 ……ふむ。


 名前を間違えてないことで安心してしまって、あたしは何も考えずに経路検索のボタンを押した。

「うん……うんー?」

 表示された所要時間『四時間』。そこまで来てようやく、ぼんやりとした疑問のすべてが確信に代わった。

「ええええぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 あたし、入ると思ってた高校間違えた。

 いや、入る高校は間違ってないと思う。だって自分で受験したんだし。

 でも、なんでか頭の中では、ずっと別の――比較的島に近い鶴ヶ岡南高校の方に入学したってことで記憶されてた。なんで?

 あたし、アホなの?


 ……あ、アホだったわ。


 駅でタクシーから降りるなり、あたしは、ぶるんと両腕を大きく振って、矢の如く走り出た。走らなければならぬ。入学式から遅刻するなんて。名誉を守れ。さらば、ふるさと。

 そうやってどれだけ急いでも、電車は一時間に一本しか来ない。改札に駆け込んだって、ホームで二〇分待つしかない。あたしは、つらかった。電車に乗ってからもそうだ。あたしひとりのために、危険を投げうって速度を上げてくれることはない。きっかり予定の時刻をかけて、乗り換え予定の駅にたどり着いた。

 乗り換えの電車は……三〇分後。人生とは無常である。

 大きなため息をつきながら、ホームのベンチにどっかりと腰を下ろす。すると、改札の外から、あたしを破滅へと導く悪魔の呼び声が聞こえた。

「美味しいジェラートいかがですかー?」

 あたしは激怒した。朝からお茶碗三杯平らげたのに、ここにきて甘味を欲する自分の腹に。必ず、かの邪智暴虐の元を黙らせねばならぬと決意した。

「うま!」

 ジェラートは最高に美味しかった。つぶつぶの黒ゴマ味。ねっとりと濃厚な舌触りで、ジェラートと言うよりゴマ餡でも舐めているかのようだった。

 電車は来ない。とにかくまっすぐに学校に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり行こう。


 そう言えば――と、あたしはもう一度、書類を取り出す。遅れるなら遅れるで、電話のひとつでも入れておかなきゃ。これから寮生活が始まるんだから、自分のお尻は、自分で拭ける女にならなくっちゃ。あと、アイスで汚れた口も。

「あ、すみません、新入生の――と申しますが。ああ、はい。実はですね、向かう学校を間違えてしまいまして……今、ですか? 新庄駅です。ええ、新庄駅。はい、酒田から。到着時刻? お昼くらいですかね? はい……はい……ありがとうございます。では、失礼しまーす」

 遅刻の報告ができて、あたしはひとつ大人になった。時が刻一刻と消えて行っても、とっくに腹はくくっていたし、覚悟もできていた。

 再びそう言えば――と、あたしはしまいかけたスマホを開きなおして、メッセージアプリを立ち上げる。いくらあたしが呑気な性格でも、遅れて入学式に出席できないことは、それなりにショックな出来事だ。さっきの友人たちからの応援メールでも見て、元気を取り戻そう……と思ったら、友人たちのアカウントに紛れて、あるアカウントの横にも通知バッジがついていた。今日からお世話になる、民間寮の連絡用アカウントだった。

 あれ、もしかして寮にも連絡しなきゃいけなかったかな。チェックイン的なのが必要だったとか……もし何かの間違いがあって、初日からいきなりホームレス高校生ですなんてことになったら大変だ。お先真っ暗。恥の上塗りパンチ。

 あたしは、真っ先に寮からのメッセージを開き――息を飲んだ。


 ――入寮生歓迎会のお知らせ。本日、お昼より。


 ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。行こう。ジェラートを食べて、肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。歓迎会までには、まだ間がある。あたしを、待っている人があるのだ。

 遅れてお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。あたしは、信頼に報いなければならぬ。

 いまはただその一事だ。

 走れ! あたし。


 無我夢中で、気が付くと教室の前についていた。ずいぶんと遠回りをしてしまったけれど、ようやく。

 あたしが今日から過ごす教室。勉強して、ご飯食べて、部活して、ご飯食べて、笑って泣いて、ご飯たべる、あたしの学び舎。

 息を整える時間も惜しい。この扉の向こうには、青春と歓迎会が待っているんだ。あたしは扉に手をかけ、ひと息に開け放った。

 疲れと羞恥と期待と興奮で、あたしは、ひどく赤面していた。


「すみません! 遅刻しました! 出席番号……ええと……七番だったっけ? 日下部竜胆です!」

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