私は剣士だ

「お互いに、礼!」

「よろしくお願いします」

 練習試合の二戦目が始まる。一戦目同様に各校五人ずつのメンバーがコート内に並び、主審の掛け声で礼を尽くす。

 南高のオーダーは、先に発表されたものから変わらず。大きく変わったのは宝珠山のオーダーだ。先の試合にも出ていた三人が中堅以降に固まり、副審を勤めていた控え選手ふたりが先鋒と次鋒に収まっている。先ほどの部長の言葉通り、オーダーの後半に実力者を集めるスタイル。宣言通り、私と向かい合う大将のポジションで清水さんが不敵な笑みを浮かべる。

 ちなみに、主審はオーダーから外れた宝珠山の南斎さん。副審は南高から安孫子先輩と中川先輩が出ている。

「鑓水先生」

 挨拶を終えたメンバーが陣に戻ると、須和さんが先生と何やら話をしていた。

「試合中で申し訳ありませんが、秋保さんと話す時間をください」

 彼女の申し出を受けた鑓水先生は、少しだけ間を置いてから仕方なさそうに頷く。

「中堅が終わるまでには戻れよ」

「分かりました。秋保さん、ちょっと」

「う、うん」

 ほとんど言われるがまま、私は須和さんと一緒に道場から外へ出た。真っ先に目に飛び込んでくるのは、山の上から望む、相変わらずの絶景だ。押しつぶされそうな緊張の中でも、綺麗なものは綺麗と感じる。少しだけど心が安らぐ。

「須和さん、ごめん」

 気持ちが落ち着いたところで、私は須和さんに頭を下げた。

「何が?」

「私を倒したら試合に出るとか、勝手な約束しちゃって」

「ああ……別にいいよ」

「別にって」

「あなたが勝てば良いだけ」

「簡単に言ってくれるね……」

 すると、彼女はぽかんとした顔で小さく首を傾げた。

「勝てるから約束したんじゃないの?」

 そう言われると言葉に詰まる。もちろん、あの時は負けるつもりなんてなかったけど……それ以上に、とにかくいっぱいいっぱいだったっていうか。

「私、勝てると思う?」

 だから、少しだけズルい質問をした。ウソでも勝てると言ってくれるなら、本当にそうなるような気がして。

「八割がた負けると思う」

 でも、相手は須和さんだ。忖度も気遣いも一切なしの率直な評価だった。

「二割は可能性あるってこと?」

 半ば分かってはいたことなので、少しでも好意的に捉えるよう努力してみる。

「運しだい。ギャンブル、するんでしょ?」

 そういうことね。一番弟子だなんて啖呵を切ってみたのはいいけれど、私が須和さんに習ったのはそれだけ。たった一週間そこらのことなんだから仕方ない。

「もっとも、運しだいなのは一割くらい」

「……残りの一割は?」

「私の期待」

 須和さんが細く笑む。

「私に勝つつもりなら、負けて貰っちゃ困るから」

 一瞬、頬が緩みそうになる。どうにか抑え込めたのは、こんな時にっていう冷静な心と、いくらかの恥ずかしさがあったからだ。その言葉は、他のどんな激励よりも、私を力強く支えてくれる。

「だけど、自信がないなら、なんであんな約束を?」

「う……それは」

 こんな状況で、須和さんを助けたかったから……なんて口が裂けても言えない。

「須和さんが困ってるように見えたから……?」

 あんまり変わり映えしないけど、多少は取り繕ってそう答える。

「剣道をやめた理由のこと? 別に、言っても良かったのに」

「え!?」

 驚愕のひとことに、思わず声が裏返る。

「それじゃあ、私のひとり相撲!? てか、辞めた理由なに!?」

「もう、言う必要がなくなった」

 なんだそれ、ずるい。それじゃあほんとに、啖呵の切り損じゃないか。

「そんなことより、今は下段の対策をするべき。そのために時間を貰ったんだから」

 私の心労を「そんなこと」呼ばわりした彼女は、携えていた竹刀を構える。切っ先を下方へと下げた姿は、清水さんが部長と戦った時に見せた下段のフォームとよく似ていた。

「須和さんは、下段と戦ったことある?」

「ない。今どき使ってる人はいないから」

「だよね」

「だから、できるのは普遍的なアドバイスだけ」

 そもそも、中学剣道で中段以外の構えは大会規定で原則として禁止されている。下段に限らず、特殊な構えを相手にすること自体が私にとっては未経験だ。

「視線」

「え?」

「竹刀を目で追わないで。代わりに相手の目を見る」

 指摘されて、相手の切っ先につられて視線を下げていたのに気づく。

「切っ先が視界から外れるから、目で追いたくなるけど、堪えて。相手の動きなら、目を見ればわかるから」

「わ、わかった……他には?」

「間合いは自分の感覚で測って。秋保さん、いつも竹刀で測ってるから」

「間合い……かぁ」

 竹刀で測っちゃうっていうのはその通りだけど、いきなりできるのかな……?

「……できるかどうかじゃなくって、やるしかないんだよね」

「そう。やらなければ勝てない。もっとも、相手が秋保さんのことを舐めてかかって下段を使わなければ、もっと勝率は上がるけど」

 こっちからしたら、舐めきってくれた方がありがたいんだけど。たぶん、そうはいかないだろう。それでも――

「勝つよ。須和さんに勝つまで、私は負けない……たぶん」

 最後の最後に日和ってしまったけど、今はこれが精一杯だ。

 私はもっと強くなる。須和さんと一緒に。

 いつか「たぶん」をつけなくて良いように。


 道場の中に戻ると、試合は既に中堅戦が始まっていた。コートでは、五十鈴川先輩が竹刀を振う。ぱっと見の印象で、やや劣勢のように思えた。

「すみません。戻りました」

 陣に戻った私は、鑓水先生にひとこと声をかける。

「清水の対策はできたのか?」

「対策……というほどのことではないですが、勝つつもりで戦います」

 私の言葉を受けて、先生はかすかに笑みを浮かべる。

「んなもん、当たり前だ。勝つつもりで戦って勝て」

「はい」

「やめ! 勝負あり!」

 時間いっぱいで中堅戦が終わる。先取していたらしい宝珠山側の勝利だった。

 ここまでの経過をスコア表で見ると、先鋒と次鋒は南高の勝利。そして今、中堅の決着がついたので二勝一敗。スコアのうえでは勝っているが、宝珠山のオーダーを考えると予断を挟む余地は一切ない。

 副将戦。早坂先輩は三年ということもあり、かなりいいところまで食らいついていた。しかし、おそらく経験で言えば相手の方が上手なのだろう。地力の差で次第に押され始めてしまう。

「かかり気味だぞ! どっしり構えろ!」

 先生の言葉通り、早坂先輩の剣道はやや前のめりのスタイルだ。ただ積極性というよりは、逸っているという印象が強い。焦っているのではなく、あてられているというか……ハイになってる感じ?

 一方、相手はゆったりと構えて試合に臨む、副将としては安孫子先輩に近いタイプ。先の正レギュラー戦では次鋒を守っていた。相性はサイアクだ。

「勝負あり!」

 試合中盤になると、相手は完全に先輩の動きを捉えていた。ゆったり構えていた分、しっかり分析していたということだろう。瞬く間にコテ、メンと二連取して試合を決める。

「動きが単調だぞ。もっと変化をつけろ」

「はい!」

 先輩はすきっと返事をして陣に戻る。その途中、私に声をかけてくれた。

「ごめん。少しでも楽な状態で回したかったんだけど」

「いえ、そんな……ありがとうございます」

 試合経過は二勝二敗のイーブン。これが後先のない大会なら責任に押しつぶされそうなものだけど、幸い今は練習試合だ。須和さんと話せたおかげもあってか、思ったより緊張していない。

 早坂先輩と入れ違いに、コートの端に立つ。視界の端に見える須和さんは、落ち着いて身じろぎせず座っている。須和さんに勝つまで負けるわけにはいかない。

 彼女の前で、負けるわけには。


 主審が、両手の審判旗でコートへの入場を促す。境界線から一歩中に踏み込めば、そこは相手と自分、たったふたりきりの戦場だった。四月暮れの、まだ冷たい山の空気が肌を刺す。だというのに、額からじんわりと汗が伝っていた。べったりと、まとわりつくような汗だった。

 遠巻きに見える清水さんの表情は、須和さん同様に涼やかだ。私に勝つことが、須和さんと戦うための条件だけど、その私との戦には、一切の脅威を感じていない。そりゃそうだ。彼女にとっては名前も聞いたことがない、一介の剣士でしかない。日本一でもなければ、チームの要でもない、二軍のお飾り大将。

 付け入る隙があるとしたら、たぶんその一点だけ。真っ先に勝負を仕掛ける。私がどんな剣士なのか、その底を知られる前に決着を付ける。時間がかかれば、きっと早坂先輩の二の舞だ。地力の差で限界がやってくる。その前に――


 深い呼吸で気持ちを押さえつけ、開始線で蹲踞をする。

 剣道に階級は存在しない。

 竹刀を抜き放ってしまえば、ただの剣士と剣士として戦うのみ。

 突き詰めれば、老若男女も関係がない。

 どちらが強いのか勝敗を決するのみの潔さ。

 これは、ルール化された決闘だ。負けた方は死ぬ。

 もっとも、それは真剣を使えばの話であって、竹刀を使う剣道で人が死ぬことはない。


 だけど、負ければ死ぬほど悔しい。


 中学三年間、これで終わりだと自分に言い聞かせて歯を食いしばった。

 辞めることを決めた時、開放されたような清々しさもあった。

 でも、南高で須和さんと再会して、彼女と試合をして、やっぱり死ぬほど悔しかった。

 まだ、悔しいと思えた。


 だから、誰が何と言おうと、私は剣士だ。

 負けて悔しくなければ、きっと戦う前から死んでいる。

 剣士である以上は、目の前の相手を倒すために、ここに立っている。


 悔しさで死ぬのは、もうごめんだから。

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