薄氷のリード
オーダーの通達と共に小休止が終わり、試合の準備が始まる。コートの向こうとこちら側で学校ごとに別れて座り、傍らには勝敗を記録する大きなホワイトボードが設置された。
「宝珠山は、中堅は宣言通りに清水。そして大将が南斎になるのは変わらんだろう。他は新入生の実力次第で、新人戦の時と変更があるかもな」
「こちらは、先鋒以外は新人戦と同じメンバー、同じポジションです。ある程度対策がされているのは織り込み済みで、ダークホースであるところの日下部さんに、良い流れを作ってもらいたいですね」
鑓水先生と八乙女部長が、対岸の準備を見ながらそんな言葉を交わす。コートの向こうの宝珠山の陣では、これまた試合前の恒例なのだろう、再びの「黙想」に耽り、部員一同が石清水のように心を澄み渡らせていた。
「私も試合に集中しないとだから、スコア表の付け方は須和さんに習ってね」
一方、われらがあこや南の陣では、初めての試合対応を前にマネージャー役の初心者ちゃんたちが奔走する。初心者係だった五十鈴川先輩は、今日はBチームで出場となるので、防具を再度付け直して紐にゆるみが無いかを丁寧に確認している。代わりに場を任された須和さんは、安孫子先輩からこの部で使っているスコアブックの使い方を習っていた。
「はい、藤沢より素朴な疑問いいですか?」
「うん、意欲はよろしい。なんでも聞き給へ」
ビシリと手を上げた藤沢さんに、安孫子先輩が妙に古風な言い回しで頷き返す。
「試合のポジションって、何か決め方があるんでしょうか。さっき、エースだから中堅だの、宝珠山の部長はきっと大将だの、いろいろ話してましたが」
「おっ、いいところに目をつけたね。それじゃあ、安孫子先輩がざっくりと説明してあげよう」
先輩は、ニコニコと笑いながら、かけてない〝エアメガネ〟をくいっと持ち上げてみせる。いったい何が始まるんだろう……私は自分の準備をしながら、横目に耳を澄ませた。
★★★安孫子先輩の剣道講座『団体戦オーダー編』★★★
【先鋒(せんぽう)】
チームの流れを作る切り込み隊長だよ!
元気と勢いがある選手が担うことが多いよ♪
もちろん勝った方が良いから、強い人が配置されるよ☆
【次鋒(じほう)】
先鋒が作った流れを繋ぐ役割があるよ。
先鋒が勝ってたら、引き分けか勝利でリードを保つ。
逆に敗けてたら取り返してイーブンにしたいから、やっぱり強い人がいいね♪
【中堅(ちゅうけん)】
チームのエースポジションのひとつだよ!
最速だと中堅で勝敗が決するから、どんな流れでも絶対に負けられないよ!
当然、要になる強い人が担当するよ!
【副将(ふくしょう)】
ここまでのスコアから、大将が戦いやすいよう試合を繋ぐ役目があるよ。
将棋で例えたら、次鋒が定石を組む段階で、副将は詰めに入る段階かな。
でも副将で決めれるなら決めたいから、強い人がおすすめだよ☆
【大将(たいしょう)】
あんたが大将!!!
スコアがイーブンの時に決勝点をあげる、チームの切り札的存在だよ!
勝つつもりで試合メイクをするから、こっちをエースにする学校も多いよ♪
これが基本の五人制!
ローカルの大会だと「先鋒、中堅、大将」だけの三人制や、大学以上になると「五将、三将」を加えた七人制の大会もあるよ!
人数が多い方が、勝って負けての逆転劇が繰り広げられるから、見ごたえがあるよね♪
でも高校の試合は基本的に五人制だから、覚える必要は無いよ☆
★★★おわり♪★★★
結局、全部強い人がいいんじゃん!
「結局、全部強い人じゃないですか!」
私の心の声と、藤沢さんのツッコミが、ほとんど同じタイミングで被った。まあ、安孫子先輩の言わんとしてることはよく分かる。それぞれに求められる役割はあるにしろ、最終的には「勝たなきゃいけない時に勝てる人」が大事だってことに帰結するのは仕方ない。
「まー、理想論だけどね。実際は、そううまくはいかない。だから強いかどうかは最終的な要素として、役割に合うかどうかの方が大事だと思うよ」
先輩も、流石に半分は冗談のつもりだったのか、悪戯っぽく笑いながら、顔の横で人差し指を振る。
「先鋒はとにかく声を出して動いて、後ろのみんなの緊張を解く。次鋒は少しでも有利な状態でひとり目のエースに繋ぐよう食らいつく。中堅は全力で勝つ。副将はチームと大将のためにお膳立てをする。大将は、後は任せろってどっしり構えて勝つ。個人戦の連続ではあるけど、チームなんだから。いい流れ、いいムードを作るっていうのが大事なわけ」
「ははぁ……そのうえで実力もあれば申し分なしってことですな」
「そーいうこと」
相変わらず逐一メモを取る藤沢さんに、先輩は満足げな表情だった。改めて各役割を考えてみると、どのポジションも大事だな……何事も初心にかえってみるというのは大切だ。あの藤沢さんのノート、今度見せてもらえないかな。
そして、今回の私のポジションは、Bチーム――二軍だけど大将。どっしり構えて勝つ、かぁ。少なくとも、これまでの私の剣道とは正反対だけど、やるしかない。宝珠山のBチームのメンバーは分からないけど、補欠と入れ替える程度だっていうなら、エースのふたりは変わらずだろう。
そうなると相手は部長の南斎さん?
三年生のしかも実力者が相手だなんて、どんなに気持ちを強く持っても委縮してしまう。
「やめ! 面つけ!」
「はい!」
その南斎さんの号令で黙想を終えた宝珠山は、先鋒と次鋒らしき部員が面の装着をはじめる。白備えの揃いの道着と防具。それはひとつの、彼女たちの団結の証だ。
「竜胆ちゃん、頑張って」
私は、隣で面をつけ終えた竜胆ちゃんに、小さく檄を飛ばす。
「高校最初の対外試合だもん。バッチリ決めてくるよ」
竜胆ちゃんは、いつもの屈託のない笑顔で返してくれた。はじめての対外試合――彼女もまた、この試合に対して同じことを考えてたっていうのが、少しだけ嬉しかったし、勇気を貰ったような気がした。
両陣営の準備が終わり、コートに五人ずつの選手が並ぶ。正面の審判に向かって先鋒から順番に。先生たちの予想通り、宝珠山は中堅が清水さんで、大将が南斎さんという布陣だった。他の選手に関しては、私は情報がないので、何年生なのかもわからない。ただ体格的には、おそらくニ三年の上級生だろうなと思った。五人全員とも、頭の先から地面に一本軸が付き立ったような立ち姿で、まるで山そのものを見ているかのようだったからだ。
「お互いに、礼!」
「お願いします!」
主審を担う五十鈴川先輩に続いて、両選手が一同に礼をする。剣道の試合の審判は、基本的にひとりの主審とふたりの副審による合議(多数決)で決まる。今回は採決権を持つ主審をウチが引き受け、副審ふたりを宝珠山の子に任せる形だ。
判定は、各審判が持つ紅白の旗で行われる。一本とったと思った審判は、その選手の旗をあげる。審判は三人いるので、二人の旗があがれば得点になるという塩梅だ。
今日の場合、赤が宝珠山で、白があこや南。選手は背中に対応した色の〝たすき〟を付けることになっているので、ひと目でわかりやすくなっている。
礼を終えた選手たちは、一旦コートから引き揚げて、先鋒同士だけが再びコートの袖に立つ。主審が無言で入場を促すと、互いに境界線の内側に入り一礼。呼吸を合わせるように、中央の開始線で竹刀を抜き放ち、蹲踞(そんきょ)をする。
試合前、それも先鋒戦の前の張りつめた空気は独特だ。水の中で息を止めるような、はたまた高い山の上で酸素が薄くなったような。とにかく息苦しい。
でも同時に、かすかな希望と熱気に満ちている。
「――はじめ!」
そして緊張が最高峰に達した瞬間、戦いの火ぶたは切られるのだ。
先日、須和さんとやったとき同様に、竜胆ちゃんは立ち上がりから果敢に攻め立てた。きっと、これが彼女の剣道なのだろう。そして相手が誰かと言うのは、彼女にとってはきっと些細な問題なんだ。
自分が一番気持ちのいい剣道で、気持ちよく勝つ。
欲望に忠実な、強者の剣道だった。
「コテあり!」
審判の旗が一斉に白にあがり、主審が高らかに宣言する。果敢な攻めで構えが甘くなった相手に、竜胆ちゃんのコテが炸裂した。
「気持ちで負けるなよ! 攻めてけ!」
鑓水先生が手を叩きながら叱咤激励を飛ばす。コート内で選手は目の前の相手に集中しているから、こういう声援はほとんど聞こえていないに等しい。でも時々、ふとした瞬間に檄が耳に届く場合がある。人それぞれだけど、私の場合は調子が悪く、集中できていない時。
「やめ! 勝負あり!」
竜胆ちゃんが一本先取のまま試合時間いっぱいとなり、判定で彼女の勝利となった。エネルギッシュな剣道に序盤は圧倒されて、焦ってしまったのだろう宝珠山の先鋒も、二本目からは落ち着きを取り戻して、堅固な守りを見せていた。代わりに攻める機会をなかなか見いだせずに、ずるずると時間切れ。竜胆ちゃんの積極性がもぎ取った勝利となった。
「高校初試合、勝利おめでとう」
「ありがとう」
戻って来たところで声をかけると、竜胆ちゃんは疲れた顔でにんまりと笑みを浮かべる。この競技じゃ、大げさな勝利アピールは相手への侮辱行為となり、勝ち点が取り消しとなってしまう場合がある(実際、過去にそういう試合が幾度かあったと、小さい頃に習っていた先生が言っていた)。
だから勝った方も粛々と静かに自陣に帰るだけになるけれど、胸の内で燃え上がる勝利の喜びは、汗と一緒に表情から吹き出す。静かに立ち上る勝者の闘気は、物言わず見方を鼓舞し、相手に恐れを植え付けるのだ。
ほとんど入れ替わりくらいの短いインターバルで、次鋒戦が始まる。こちらは中川先輩。相手は、ひょろっとしたやや長身の選手だった。開始直後の立ち上がりこそ静かなものだったけど(それも、直前の竜胆ちゃんの試合に比べたらだけど)、中川先輩の剣道もまた、自信の気迫に相手を飲み込んでいくようなものだった。
「うるあああああああ!! おらああああああ!!!」
気合っていうか、ほとんど見たまんま恫喝だ。これもまたやりすぎると反則を取られてしまうことがあるけど、そこは仮にも長年剣道を続けて来たらしい先輩らしく、自分なりに「反則にならないライン」を見定めているんだろう。
怒鳴りつけるような気合に加えて、真正面から対峙している相手には、面金の隙間に覗くギラギラとした中川先輩の瞳も見えていることだろう。あれは肉食獣――飢えた狼か何かの目だ。
その視線の先にさらされてしまったら、委縮してしまうのも仕方がないことだと思う。
「押し込め中川!」
「一本一本見極めなさい!」
それぞれの顧問から、それぞれの檄が飛ぶ。これも選手に聞こえているかは分からないけど、少なくとも中川先輩の攻めっ気は強まり、相手選手の守りはより堅固なものになった。ガチガチの防戦傾向を前に、先輩も勝負を決めあぐねる。
「やめ! 引き分け!」
結局、次鋒戦は引き分けとなってしまった。陣に戻って来た先輩は、引き抜くように面を脱ぐなり、小さく舌打ちをして首を捻った。
「小技も増やして翻弄しろ、中川。お前は一撃必殺を狙いすぎる。薩摩隼人じゃねぇんだから」
「はい。すんません」
先生の指導に、先輩は唸るように返事をする。単純に機嫌がわるそうで、今の試合に自分がどれだけ納得していないかが全身に表れていた。
そして、休む間もなく次の試合――中堅戦。
各選手が向かい合うようにコート袖に立つと、道場自体の空気が、ずんと一段階重くなったような気がした。言うなれば本日のメインイベント、タイトルマッチ、千秋楽の横綱戦。
今のところ、チームの勝敗は〝一勝一分〟。リードこそは保っているが、たった一敗でイーブンに返される、薄氷の上のリードだ。
宝珠山は絶対に勝ちたい。
私たちは絶対に負けられない。
その行方は、両校のエースによる正面切っての一騎打ちに託された。
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