宝珠山高校

 あこや南高校の最寄り駅である山形駅から、仙山線で約二〇分。山形県と宮城県の県境のあたりに、宝珠山高校の最寄り駅はあった。簡素なホームに、情緒を感じる古風な木造駅舎。そもそも、松尾芭蕉ゆかりの地として観光地化されているらしいこの街は、週末ということもあり、温泉街にも似た宿場町の賑わいを見せていた。

 そのメインとなる観光資源はもちろん、山とお寺をひっくるめた山岳信仰のご利益なのだという。そんな場所にある高校なわけだから、さぞ徳も高いことだろう。駅前のバスロータリーにつけた、雄々しい書体で「宝珠山高校」と書かれた臙脂色のバスは、えもいわれぬ威圧感を放っていた。

「ごきげんよう。あこや南高校の皆様ですね。お待ちしておりました」

 バスの中から、ひとりの女生徒が下りてくる。身に着けていたのは、真っ黒い喪服のような、ワンピースタイプのセーラー服だった。同じくらい黒くてピカピカのローファーが、タラップをレッドカーペットの階段か何かみたいに、優雅に、一段ずつ踏みしめ、やがて地面へと降り立つ。

 その様子がどうしようもなく「下界に降りた天界人」に思えてしまったのは、きっと私だけではないだろう。てか今、「ごきげんよう」って言った!

「どうぞ、狭い車内とはなっておりますが、今しばしご辛抱くださいませ。皆様を、我らが宝珠山高校の敷地までご案内いたします」

 口にして、女生徒はサラサラのストレートヘアを「ふぁさぁ」と手のひらで払うようになびかせる。へりくだった口調なのに、全くへりくだって聞こえない。その表情もどこか蛇のようにしたたかで挑戦的だった。

「お気遣い感謝します。あこや南高校剣道部、主将の八乙女穂波です」

 部長が一歩前に出て、いつもののんびりした笑顔で挨拶をする。宝珠山の子は決して高身長という訳ではなかったけれど、平均身長よりは著しく低いであろう部長と並ぶと、まるで蛇と蛙がにらみ合ってるみたいだ。

「ご丁寧にありがとうございます。私は、今回の案内役を務めさせていただく、宝珠山高校二年の清水撫子と申します。以後、お見知りおきを」

 清水と名乗った生徒が、ふんと鼻を鳴らして答える。清水撫子――そうか、この人が噂の「宝珠山のヤバイ二年生」か。確かに、第一印象からただ者ではない……というか、クセがありそうだった。


 みんなの防具をバスの腹の貨物室に詰め込んで、私たちは着の身着のまま座席についた。全員が腰を落ち着けたのを確認すると、清水さんが運転手さんに声をかけ、バスは出発する。

「あらためまして、ようこそ。これよりみな様を私共の学び舎までご案内いたします」

 清水さんはそのまま、バスガイドさんの定位置である、運転席と座席の間の通路に立って恭しく頭を下げた。そのまま、本当にガイドさんみたいにぺらぺらとこの辺りの地理や、学校の成り立ちなどを掻い摘んで説明してくれる。とはいえ、大半は事前に聞いていたことと同じ内容なので、私は話半分に隣に座る竜胆ちゃんに、ひそひそと声をかけた。

「あの清水って人がそうなの?」

「めっちゃ強いって人? うん、そのはずだけど……」

「歯切れが悪いのはなんなの?」

 竜胆ちゃんは、眉間に皺をよせて考え込むように唸る。

「確かに中学の時も強い方ではあったけど、めっちゃ強いって印象は無かったんだよね。上手く表現はできないけど……なんていうか、普通に強い人?」

 言葉のセンスはいまいちだけど、ニュアンスは何となくわかる。

「圧倒的ではないって感じ?」

「そうそう。そんな感じ」

 私なりにかみ砕いて言葉にしてみると、竜胆ちゃんも納得した様子で頷いてくれた。

「清水のヤバさは、高校に入ってからみたいッスよ。それまでも、別の意味でヤバかったんスけど」

「別の意味?」

 後ろの座席の間から、熊谷先輩がひょっこりと顔を覗かせる。その隣では中川先輩が、寝てるのか何なのか、目を閉じたま静かに息をついていた。

「清水は、中学まで剣道だけじゃなくって、柔道、弓道、薙刀、果ては華道や書道とかまで、〝道〟と名のつくものは全部網羅してんじゃないかってくらい、多方面で優秀な人物だったッス」

「そ、それはすごいですね」

「中でも柔道と薙刀の方は一流で、私も中学は柔道やってたんスけど、それはもうボコボコにされた苦い思い出があるッス」

「熊谷先輩って柔道やってたんですか?」

 清水さんの話を聞いてたはずなのに、突然の新情報。先輩は少しだけ得意げに胸を張る。

「中学三年間だけッスけどね。これでも黒帯ッスよ」

「へぇ」

 それがどのくらい凄いのかは分からないけど、とりあえず黒帯って強い人が付けるものだよね。剣道で言う、初段取ったくらいのものだろうか?

「だけど、高校に入ってから他のすべての習い事を辞めて、剣道一本に絞ったって話。そっから、文字通り〝覚醒〟ってわけよ」

 今度は前の座席の隙間から、早坂先輩が訳知り顔の不敵な笑顔を覗かせる。なるほど、それまで色んな分野に向けてた熱意や時間を、剣道一本に絞ったってことなのかな。だとしたら、中学は〝普通に強い人〟だったのが、高校になってから一皮も二皮もむけたらしいというのも頷ける。

「まあ、あと宝珠山の空気も、あの女王様には合ってたんじゃないッスかね。ほら、よく見るッス」

 熊谷先輩が清水さんに視線を促すので、私もつられて彼女を見る。と言っても、何も変わらないというか……山猿だの、お山の大将だの言われていた前情報とは全然違って、華やかで厳かな、イメージ通りのお嬢様学校の生徒って感じだけど。

「あいつ、このウネウネの道の中、何かに掴まるでもなく、涼しい顔をしながら立ってるッス」

「あっ」

 そう言えば……細い田舎道を右へ左へ、こっちはシートベルトをしててもぐらぐらと揺らされてるっていうのに、清水さんは全く平気な様子で立ったまま話を続けている。まるで足の裏が床に吸い付いてるみたい。

 あの足腰が噂に聞く「修行のような通学路」の賜物であるとしたら……私たちは、恐ろしい場所へ足を踏み入れようとしているのかもしれない。

「おい、杏樹」

 中川先輩の、低く唸るような声が聞こえて、熊谷先輩が慌てて背筋を正す。

「すんません中川サン、うるさかったッスか?」

「いや、これ……どれに吐いていいんだ?」

「わー、中川サンまって! 今、袋出すッスから!」

 熊谷先輩が、慌てて鞄からコンビニの袋を取り出す。中川先輩、寝てたんじゃなくて単に車酔いだったんだ……妙な肩透かしを食らって、私も自分の席に座り直した。


 バスはそのまま宝珠山高校の敷地に入り、業者や来賓専用の車道を通って、さらに山の上へ上へと登って行く。それくらいになるといいかげん三半規管が馬鹿になりかけて、気分も悪くなってきてしまっていた。私たちは、五十鈴川先輩が教えてくれた「酔いに効くツボ」を押しながら、どうにかこうにか校舎までの道のりを乗り切った。

「表参道の山道で疲れ果ててしまわれても不本意ですので、来賓者向けの裏道をご案内いたしました、ご気分よろしいですか?」

 グロッキー間近の私たち(中川先輩は完全にノックダウン)に、清水さんはケロッとした顔でにこやかな笑みを浮かべる。流石の彼女も山道に入ってからは、流石に席に座ってシートベルトをしていたようだけど、三半規管の強さも私たちと比べるまでもないようだ。

「ようこそ、宝珠山高校へ」

 彼女に導かれて、私たちは半ば這い出すようにバスから降りる。すると、目の前に見たこともない〝学園〟の風景が広がっていた。


 まず真っ先に目に付くのは、学び舎と言うよりは寺院の本殿と言った方が正しいであろう校舎。ところどころ二階建てにはなっているようだが、基本は屋根の大きな平屋作りだ。私たちの知る高校のそれとは違い、大部屋を縁側で取り囲むような古風な造り。覗き見える教室に並んでいるのも、西洋式ではなく畳張りの床に直接腰をおろして使うような文机だ。どっちかと言えば寺子屋って言葉の方が似合いそう……そう呼ぶのは失礼な気がしてしまうけど。

 そこを行きかう制服姿の生徒たちからあふれ出す気品たるや。予想を超えすぎて感情が追いつかないけど、予想通りのお嬢様学校じゃないか!

 振り返れば、山の岩肌から眼下の街や、向こうの山が広く見渡せる眺め。


 ここはまさに、浮世から遠く手の届かない所へと隔離された乙女の園だ。


「道場はこちらです」

 すっかり圧倒されている私たちの意識を引き戻して、清水さんの先導が続く。こんなに気持ちで飲み込まれてしまって、今日、まともな練習ができるんだろうか?

 道場は、コート一面分くらいを有する規模としては小さなものだった。しかしお堂ひとつをまるごと使った離れのような造りで、磨き上げられた床や柱には、何百年もあろうかという歴史の重みが感じられた。たいていの道場にある神棚の代わりに、奥にはお経でも上げるような仏具スペースと、小さな仏像が安置されているのも特徴的だ。

「宝珠山高校剣道部、主将の南斎(なんざい)です。よろしく」

 南斎と名乗る、相手方の主将が、さわやかな笑顔で挨拶をする。スッキリとしたショートヘアが特徴的な、精悍なイケメンだった。彼女に手を差し出されたわが校のイケメン代表こと日葵先輩が、虚を突かれた様子で固まってしまった。

「えっ、あの、私は――」

「きゃあ! 見て! イケメンとイケメンの仲睦まじきお姿よ!」

「写真部! このために呼んだんだから、しっかり仕事なさい!」

 先輩の戸惑いなんてそっちのけで、宝珠山の部員たちがわらわらと集まって来ては、まるで御開帳されたありがたいご本尊でも拝むように手を合わせた。その傍では、写真部と思われる生徒がゴツイ一眼レフを首から三個ぶら下げて、おそらくは距離やら角度やらライティングやらに合わせて、めまぐるしく機材を持ち替えながら写真を撮っていた。

 突然、そんな衆目にさらされてしまったものだから、日葵先輩はすっかり委縮して顔を青ざめさせていた。流石に、すぐさま安孫子先輩が間に割って入って、南斎さんの差し出した手を、八乙女部長のそれと握手させる。

「絶対に間違えると思った、千菊(ちあき)! ウチの主将はこっち!」

「あ……えっと、これは失礼を。改めて、南斎千菊です。よろしく」

「八乙女穂波です。よく間違われるので、気にしないでください」

 改めて、主将同士の握手を交わすふたり。宝珠山の南斎部長は、いかにも部長で大将らしい、がっちりした高身長の持ち主だった。

 もちろん、身長では負けていない日葵先輩だったが、すっかり怯えて縮こまってしまったので、今ではほとんど同じくらいの大きさに見える。南斎さんが、申し訳なさそうに頭をかいた。

「すまない。こんな山奥で、しかも女所帯で生活しているものだから、こういう時にハメを外しがちでね」

 それって煩悩って言うんじゃないだろうかというツッコミは、流石に飲み込んでおいた。そもそもこういう学校だからって、必ずしも全員が仏門に帰依するわけではないだろうし……根っこの部分は、私たち一般の女子高生と、それほど変わらないのかもしれない。

「しかし、一年生が主将とは面白い。試合が楽しみだ」

「あ……ごめんなさい、これでも三年なんです」

「……なんと」

 申し訳なさそうに答える八乙女部長の隣で、安孫子先輩が「あちゃ~」と顔を覆うようにして俯いていた。南斎さんは、若干バツが悪そうにしながら頭を下げる。

「本当にすまない……うん、もう、めったなことは言わないようにしておこう」

 さっきの部長間違いといい、安孫子先輩の反応を見るにわざとには見えないので、どうやら少し抜けたところがある人みたいだ。女子校のイケメンって、残念でなきゃいけない決まりでもあるのかな。

 そして、ウチの残念イケメン枠こと日葵先輩はというと――

「キミたちの笑顔はまるで後光が差しているようだ。まるで直視できないよ」

 調子を取り戻した(?)のか、キザなイケメンムーブを取り戻して、宝珠山の生徒たちの嬌声を一心に受け止めていた。

 嬌声ってか、むしろ猿叫?

 なるほど、猿山ってそういう……いやいや、流石にそんな短絡的な話じゃないと思いたい。どちらにしろ、取り戻しかけたお嬢様学校への夢は、もろく崩れ去って行った。

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