そういうところ

「そう言えば鈴音ちゃんってさ、重い方だったりする?」

「はい?」

 朝のホームルームが終わって一限目の準備をしていると、竜胆ちゃんが意味の分からない質問をしてきた。いいや、意味自体は予想はつくんだけど、「どれ?」って感じで。

「たぶん、普通だと思うけど」

 どの意味だとしても、たぶんこれが正解……だと思う。もっとも、思いつく意図は三つくらいだから、それ以外のことを聞かれてたら分からないけど。

「そっかぁ。昨日、調子悪そうだったから、もしかしてアレなのかなと思って」

 ああ、よかった。少なくとも想像してた内容のひとつではあった。

「別にそうじゃないんだけど……」

 私はそうやって、言葉を濁すしかない。昨日の地稽古は、各部員を相手に一周するまで行われた。ある意味で、新人と先輩の顔合わせも兼ねたメニューだったのかもしれない。

 私はその口火を部長から切ったわけだけど、その後は他の先輩方、そして竜胆ちゃんたち同級生ともやった。そして結果は――我ながら散々なものであった。

「黒江相手にあんな試合してみせたのに、熊谷先輩にもボコられてたよね」

「熊谷先輩は、ほら、勢いがあるから」

 自分で〝先鋒型〟と豪語した通り、彼女の剣道は初心者にありがちな、のびのびとして直線的な剣道だった。それはそれで突き詰めれば強いもので、その極めつけが竜胆ちゃんのようなタイプだろう。

 それこそ、竜胆ちゃん相手に私は、完全に勢いに圧倒されてしまった。

「去年の夏に引退してから、全く竹刀振ってなかったから、勘が鈍ってるみたい。少しずつ取り戻すよ……八乙女部長にもそう言われたしね」

「じゃあ、本気の鈴音ちゃんとやれる時を楽しみにしてるね」

 竜胆ちゃんが悪気なく笑う。私は、イエスともノーとも言えずに、同じように笑い返すことが精一杯だった。


 その日の稽古は、比較的さらっと流す程度で終わった。宝珠山高校との練習試合を明日に控えての、調整メニューという印象だった。

「明日は朝の八時に駅に集合で、電車で宝珠山の最寄り駅に行きます。そこからは、あっちで迎えを出してくれるっていう話です」

 部長からの事務連絡を、部員たちは自分の防具を片付けながら聞く。大会や、外部の稽古に参加する時、当然のことながら自分の道具はすべて自分で持って行かなければならない。私のキャスターつきの防具袋しかり、最近は便利な道具も増えているようだけど、この〝かさばって重い道具〟を持ち運ばなきゃいけないというのは、間違いなく剣道をやるうえで煩わしいことのひとつだろう。

「それにしても、お迎えとは太っ腹ッスね。流石はお嬢様学校」

「そもそも最寄りのバス停とかないって話だし。そして駅からは車で三〇分ほど」

「まあ、全寮制なら通学とか気にしなくて良いッスもんね」

「防犯の面でも、その方が都合がいいみたいよ。昔、変質者騒ぎもあったって話だし」

 熊谷先輩の疑問に答える安孫子先輩は、どうやらそれなりの事情通らしい。変質者……女子校ってことを鑑みれば、私たちも他人事ではない。先輩が言うように宝珠山は全寮制なら、余計に用心するに越したことはないはずだ。

「ちなみに、その変質者は柔道部員に取り押さえられて、警察が来たころには綺麗にオトされてたって話」

 安孫子先輩が悪戯っぽく笑う。変質者をオトす女子高生……ううん、やっぱりスカートを履いたゴリマッチョの山猿集団が脳裏を過る。明日行くの、ちょっと怖いな……。

「副部長、宝珠山のこと詳しいですね?」

 たぶん、誰もが気にしていたであろうことを竜胆ちゃんがさらりと尋ねた。

「あっちの部長、幼馴染なんだ。家が近所で、小さい時は同じ道場通ってて」

 特に隠すことではないようで、安孫子先輩も昔を懐かしむように答える。すると、早坂先輩が彼女の肩をがっしりと組んだ。

「こう見えて、こいつお嬢様なんだぞ。地元のガス会社の社長令嬢」

 社長令嬢!?

 どうやら部内では共通認識らしく、先輩たちが当たり前のように装ってる中で、私を含む一年生たちが一斉にぎょっとする。

「もう、子会社だからそんな大したもんじゃないんだってば。新人来るたびに、大げさに紹介するのやめてくれる?」

 安孫子先輩は、早坂先輩をうっとおしそうに引きはがしながら、強い口調で言い添える。

「あれ、じゃあそれこそ宝珠山とか受けなかったんですか?」

「山猿になるのは嫌なの!」

 私の素朴な疑問もまた、強い口調で否定されてしまった。そりゃそうか。先輩なら、山猿より山姥ギャルの方が似合いそうだし……今はもう絶滅危惧種だろうけど。でも、一部でリバイバルの兆しがあるとかないとか、立ち読みしたファッション誌に書いてあったっけ。

 それにしても、安孫子先輩の幼馴染で宝珠山の山猿……いったい、どんな人なんだろう。あと、前に聞いた二年生のすごく強いっていう人も気になる。というか、怖い。

「秋保さん」

 防具袋のジッパーを閉めるのと同時に、須和さんに声をかけられた。

「この後、時間ある?」

「ある……けど?」

「じゃあ、途中まで一緒に帰ろう」

 え、な、なに?

 そんなこと初めて言われたもんだから、当然のごとく身構えてしまう。同級生と一緒に帰るなんて、ありきたりな青春シチュエーションなのに、竜胆ちゃんが近所の寮生活のせいで実現することなくやってきたこの数週間。

 まさか最初の相手が須和さんになるだなんて。明日は雨でも降るんだろうか。山に行くんだけどなぁ。


 須和さんとふたり、夜の街を互いに自転車を押して歩く。どっちも自転車なら乗ればいいじゃんって気もするけど、彼女がサドルに跨らずに歩き出したので、私もそれに習った。そもそも、荷台に防具を積んでいて重心が不安定なので、乗りながら話すのはちょっと危険だ。

「えっと……須和さんって、家は近いの?」

 無言で歩き続けるのが辛くって、適当な話題を探す。

「自転車で三〇分くらい」

「うーん、そこそこ遠いね。バスとかないの?」

「一時間に一本あるかないかだから、自転車の方が便利」

「なるほど」

 それなら確かに自転車の方が良いか。運動にもなるしね。すらりと伸びた彼女の手足を見るに、ダイエットの必要があるかは分からないけど。

「秋保さんは?」

「え、私? たぶん、十五分くらいだと思うけど」

「近くていいね」

「でも、とりあえずで越して来たマンションだから部屋が狭くてさ。道内にいたときは、こーんな広い部屋だったのに」

 苦笑しながら、右手で空中に大きく輪を描く。なんだろう、須和さんと剣道以外の話をするのがすごく新鮮な感じ。クラスが違えば休み時間だって一緒じゃないし、部活中もあんまり雑談とか興味なさそうだし……。

「筋肉痛が辛い?」

 何の脈絡もなく、須和さんがぶっこんできた。やっぱりその話なのかと、私は若干うんざりしてため息をつく。

「腕が鈍ってはいると思うよ」

「それだけじゃない。昨日も今日も、動きが悪すぎる。仕掛けが得意というわりに、全く仕掛けられてない」

 相も変わらず、オブラートなんて突き破ってズバッと来るね。

「まあ……痛いことは痛いよ」

「嘘。動きに支障が出るほどではないはず。そうメニューを調整してる」

 なら聞かないでよ。まるで誘導尋問みたいに、外堀をざっくざっくと埋められているような気分だ。もちろん、彼女の言う通り、筋肉痛は痛むけど支障が出るほどではない。練習試合を控えたスケジュールの中で、須和さんが無理をさせるなんてことはありえない。

「すごく、馬鹿らしい話をしてもいい?」

 私は半ば観念したつもりで、そう前置くように尋ねる。須和さんは何も言わず、ただ頷き返した。

「私、中一の時に須和さんに負けてから、いつか勝てるようにっていっぱい練習を重ねて来たんだ。ほとんど三年間、それだけを考えて竹刀を振ってた……んだけど」

 口にしながら、すごく恥ずかしいことを言ってるような気がしてきて、語尾がしどろもどろとなる。まるで、一目ぼれした相手にストーキングしてるかのような言い分じゃないか。なにやってんの、中学の私。

 思えばあの頃、全中開けの新チームの決起会で「次は須和黒江に勝つ!」と堂々宣言した私を、チームメイトは快く応援してくれた。でもそれから結果を出せずに、ついには地区大会すら突破できなくなったのに、それでも須和さんを目標にし続ける私のことを、次第に温かな目で見守るようになったっけ……あれってもしかして、お察しみたいなムードだった?

 須和さんを倒すことだけに一直線だった私には、そんなこと察する余地もなかったけど。

「それで?」

 半ば黒歴史を掘り返すはめになって固まってしまった私に、そんなの関係ねぇ須和さんが続きを急かす。うう、できればこれ以上痴態を掘り返したくないんだけど。かといって話をここでやめるわけにもいかず、私はいろいろとすっ飛ばして、要点だけを伝えることにした。

「要するに私は、須和さんに勝つ方法〝だけ〟を考えてやってきたの。その弊害って言って良いのかわかんないんだけど……他の選手との戦い方、わかんなくなっちゃったんだ」

 須和さんの剣道は、中学のころから極端なカウンター剣道だった。仕掛け技主体の剣道が好まれる界隈においては、実に稀な、突然変異みたいな存在。普通の剣道をしてたんじゃ、相手にならないバケモノ。

 じゃあ、こっちも普通じゃないことをするしかない。だって、私の目標は全中一位になることじゃなくって、須和黒江に勝つことだったから。だから、必死に考えて見につけた。カウンター剣道に対する、メタ剣道を。

 結果はこの間の有様だから……自分の限界を改めて知ったつもりだ。でも、須和さんは「もっと強くなれる」と言ってくれた。嬉しかったのに、情けなかった。

 すべてをかけたのに、何も成せなかった自分が。

「なんだ、良かった」

 なのに須和さんは、まるで些細なことみたいに、ほっと胸を撫でおろしていた。

「良かったって……私、これを乗り越えない限り、たぶんどんな試合でもボロ負けだよ?」

「乗り越えればいい」

「いやいや、そう簡単に言うけどね」

「私に勝つための稽古を三年間も続けられたんでしょ? じゃあ、それを他の選手に対してもやるだけ。勝てるまで、納得できるまで」

 ずいぶんと、さらっと言ってくれるじゃないか。それが大変だから、こうして悩んでいるっていうのに。

「それが、稽古するってことでしょう?」

 でも、須和さんの言葉はどうしようもなく真っすぐで、正しくって、ぐうの音も出なかった。ある意味で身もふたもない。思わず笑ってしまうくらいだ。

「でも……思えば、目標はなんも変わってないんだから、問題ないね。私の役目は、須和さんを倒すことだから」

「それじゃあダメ」

「え?」

「だって私は、日本一の女だから。それに見合う女になってくれなくちゃ」

 うわ、真顔ですごいこと言ったよこの人。でも、嫌味ですらなく歴然とした真実に聞こえてしまうのは、彼女が確かに日本一の女の称号を持っているからこそだ。

「私を倒すってことは、日本一の座を奪うってこと」

「じゃあ須和さんも須和さんで、ちゃんと選手として日本一の座を守り続ける義務があるんじゃないの?」

 彼女ばっかり正論の暴力で殴ってくるのがずるくって、私も些細な逆襲を試みる。これで少しでも仕返しになればいいのに、彼女は〝ガン無視〟という元も子もない手段を取る。なんて傍若無人な……。

「ところで、秋保さんの得意な応じ技って何?」

 代わりに、そんな質問を投げかけてくる。私は少しだけ考え込んでから、ぱっと思いついたものを口にした。

「得意ってわけじゃないけど、〝面返し面〟は好きかな」

 相手がメンを打って来たところを、竹刀で防いでからメンで打ち返す。相手が取ろうとした技を逆に取るっていうのが、すごく気持ちが良くて好き。ただし、前置いた通りに得意かどうかは別の話だけど。

「なら、明日の練習試合でここぞという時は、返し面を決めて」

「決めてって……それができたら苦労しないんだけど」

「文字通り、決め打ちでいい。相手が実際はコテを打とうと、ドウを打とうと、狙いどおりメンを打とうと、動いた瞬間に、こっちは返し面を放つ」

「それって博打じゃん。小手も胴もがら空きだから、相手に一本取られちゃう」

「それでいい。代わりに、メンが来れば必ず一本が取れる博打」

 必ずって言い切れるもんじゃないと思うけど……でも、決め打つからには決めろって、そう言うことなんだろうなと勝手に解釈する。

「返し技の初歩は、思い切って決め打っしまうこと。動くのは相手より後、だけど気持ちは相手よりも先を行く。それが、後の先を取るということだから」

「……もしかして、アドバイスしてくれてる?」

「他に何があるの?」

 須和さんは、怪訝な表情で首を傾げた。

 これまで基礎練ばっかで何も言ってくれなかったから、急でびっくりしただけなのだけど、はじめての明確な指導に少しだけ気分が高揚した。

「カウンター剣道を習得する前に、ギャンブル剣道かぁ……須和さんもいつも、決め打ちしてるの?」

「してる。けど、私は決めるために必要な技を、相手に打たせる」

「なにそれ、新手のメンタリズム?」

 でも、初めて須和さんの剣道の核のようなものを聞くことができたような気がする。打たせるように仕向ける……か。そこまでいってやっと、須和さんと同じレベルになれたってことなんだろうか。理屈も方法も全く分からないけど。

「わかった、やってみるよ。上手く行かなかったときは、どうしたらいいかちゃんと指導してね」

「分かってる。でも、決まると良いね。好きな技なんでしょ?」

 口にして、彼女がかすかに笑みを浮かべる。

「得意な技を聞いたのに、好きな技を答える。そういうひねくれたとこ、結構好きだよ」

「へ?」

 あまりにストレートな物言いに、思わず固まってしまった。自分が今、どんな変な顔をしているのか分からないけど、ただひたすらに首筋が熱くなっているのがわかった。

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