何回ボコられるんだろう?

 生徒総会は、あこや南高校にとって大切な年間行事のひとつらしい。生徒自治を謳うこの学校は、時代の流れに柔軟に対応するため、毎年のように校則の追加・修正の検討が生徒会主導で行われている。とはいえ四年も任期がある国会議員と違い、たった一年の生徒会任期では規則全体の見直しを行うことは難しいため、たいていは一件か二件の小規模な改定が中心となるそうだ。会長選挙の際には「どの校則にメスを入れるのか」が重要な論点となり、その改定案を実際に検討するのが生徒総会というわけである。

 もっとも、校則改正の本会議が行われるのは、新生徒会長が決定したあとの秋の生徒総会でのこと。この春の生徒総会は、秋に決まったことの施行案内と、新入生歓迎の意図が強い……なんていうのは、剣道部の先輩方からの受け売りだった。

「生徒総会って何するんですかね?」

 という竜胆ちゃんの些細なつぶやきに、先輩たちは我先にと先のような説明をしてくれた。確かに、生徒たちにとっても温度感の高い行事のようだ。

 しかしながら、本校は公立校であるため、なんでもかんでも生徒の思い通りになるというわけではない。校則の変更に関しては、場合によっては教育委員会など地方自治体からの指導が入る場合もありうるとのこと。

 直近では、先代生徒会が行った「スカートの長さは膝下五センチ以上」という制服の規定改定のため、県やらメーカーやら協賛スポーツ用品店やらを、ほとんど任期いっぱい駆け回ることになったそうだ。苦労の結果手に入れた「購入時は膝丈以上」の校則のおかげで、こうして可愛らしい着こなしをさせてもらっているのだから感謝しかない。

 まあ……確かに膝丈の長さで購入はしたけど、実際は腰回りを何回か折り返して、もう少し短くしている人が多い。私だってそうだ。


 そんなこんなで、いつもの薄暗い講堂で、ステージに並んだ当代生徒会のみなさんの話に耳を傾ける。話に聞く限り、この代で取り扱った校則改定は「部活動の兼部の認可」のようだった。私も部活オリエンテーションの時にちょうど確認したところだったけど、あれってできたばかりのルールだったんだね。現に生徒会長は、吹奏楽部の部長と、地産地消部の部長を兼任しているとのこと。

 地産地消部……すっかり得体のしれない謎部活のイメージが私の中では定着してしまったけれど、あの可愛くて優しそうな会長が率いているなら悪い部活ではないのかな。というか生徒会長やって、さらにふたつの部活の部長をやるなんて、森の妖精さんみたいな見た目に似合わずバイタリティがすごい。

 小柄といえば――今回の生徒総会では、もうひとつ気になっていることがあった。気になるっていうか、「ついでに確認しとくか」くらいの些細な興味ではあるんだけど。私は、壇上で語る生徒会長の話を聞き流しながら、傍に控える役員たちの顔を見渡す。

 えーっと……えーっと……えーっと……あ、いた、部長だ。こういうときって、なんとなく知り合いの姿を探しちゃうよね。生徒会って話は聞いていたけど、実際何をやってる人なのか――って、副会長!?

 彼女が座る会議テーブルに貼られた三文字の肩書に目を丸くする。

 そ、そっか、副会長かぁ……そりゃあ生徒総会前だからって、部活にもなかなか来られないくらいに忙しいわけだ。これでようやく忙しさから開放されて、県予選の準備に集中できるのかな。今日、部室で会ったら「お疲れ様でした」と労いの言葉をかけよう。


 一方で、その部活の方はと言うと、防具が届いたこともあって先輩たちの練習に混ざり、半年のブランクと勘を取り戻すことに終始していた。須和さんに稽古をつけて貰うことになったとはいえ、顧問がついている時に好き勝手することはできない。それも「須和さんを倒すための稽古を本人につけてもらう」なんていう、至極個人的な要件ならなおさらだ。みんなでやるときはみんなでやる。空いた時間は、須和さんの稽古(といっても、まだ身体づくりしかしてないけど)をする。二足わらじみたいな状況で、少なくとも人よりは多く稽古を積んでるような実感がある。

「よーし、残りの時間は地稽古にする。練習試合も目前だ。漫然と打ち合うんでなく、一本一本、〝取った〟〝取られた〟を意識してやるように」

「はい!」

 地稽古――ざっくりと説明すると、審判を立てない試合形式の稽古だ。有効打の判定がないので、当然二本先取で終了したりすることもない。決められた時間いっぱい――たいていは一試合分くらいの時間――何本取ろうと、何本取られようと、試合形式で打ち合うというものである。

 今のは入ったな、今のはダメだったな、という目線と感覚をそれぞれに養ったり、普通に試合をしたら手も足も出ない高段位の先生に稽古をつけて貰う際によく取られる稽古方法だ。先生に稽古をつけて貰う場合は、時間いっぱいまでやった後に、指導を兼ねた感想戦までがセットになることが多い。

 今回、鑓水先生はいつものパンツスーツ姿のままで防具をつけるつもりはないらしく、部員だけでいろんな人を相手にぐるぐる回って研鑽を積むことになるようだ。私や竜胆ちゃん、そしてもう一人の経験者である井場さんにとっては、高校規格の試合に身体を慣らす意味合いも強い。

 さて、誰に稽古をつけて貰おうかな……と言っても、選択肢はそれほどない。先輩たちとは、まだちょっと距離があるし、須和さんはすっかり「マネージャー顔」で道場の隅にある大太鼓の傍に、ストップウォッチ片手に控えている。どうやらタイムキーパーをやるようだ。

 となるとまずは竜胆ちゃんか、井場さんかな。心も体も温まって来たら、先輩たちにも声をかけてみよう。そう思って姿を探すと、熊谷先輩につかまっている竜胆ちゃんの姿を見つけた。

「日下部チャン。うちら典型的な〝先鋒型〟同士、現状の実力差を白黒つけておかないッスか?」

「いいですねぇ。そういうノリ好きですよ、先輩」

 互いに不敵な笑みを浮かべながら、面金ごしにバチバチと火花が飛び交う。ああ、ダメだ。これに割って入って行くのは、ちょっとムリ。仕方がないから、ここは親睦を兼ねて井場さんと――と思えば、井場さんもすでに早坂先輩に捕まっていた。

「互いに胸を借りるつもりでね」

「はい、よろしくお願いします」

 親睦の機会は、先輩に先に取られてしまったらしい。私が竜胆ちゃんを探してる間に、面倒見の良い先輩に一歩先を行かれてしまった。

 さて、困ったな。どうしよう。

「じゃあ、秋保さんは、私とやりましょうか」

 立ち尽くしていたところに声をかけられる。足元から響いてきたかと錯覚するくらいに目線を下げると、八乙女部長がいつものこけしみたいな笑みを浮かべて私を見上げていた。

「はいっ。よ、よろしくお願いします」

 まさか部長から声をかけられるなんて思ってもみなかったので、しどろもどろに返事をする。もしかして、気を遣ってくれたのかな。だとしたら、ちょっぴり嬉しい。


 それぞれが相手を見つけ終えて、ずらりと横並びに竹刀を構え合う。ちなみにもう一組の組み合わせは、中川先輩と日葵先輩。五十鈴川先輩が初心者指導にあたっているため、あぶれた安孫子先輩が一回休みだ。後輩として先を譲ろうかとも思ったけど、「いいから行っといで」と送り出されてしまった。

 目の前には八乙女部長。背の低い選手でも、防具をつけると大きく見えたりすることがたまにあるけれど、先輩は見たままの小柄な感じ。噂から勝手に想像していた印象とは、まるっきり違った。この部じゃ須和さんに匹敵する唯一の選手かもという話だったから、精悍で大柄な選手だと思っていたけど……どちらかと言えば、日葵先輩の方がそのイメージに近い。

 剣道は、決して体格で勝敗が決まるスポーツじゃない。だからこそ身長や体重で階級分けをすることがなく、無差別級が基本になっている。でも、体格が強さの一助にはなる。それは、須和さんですら認めているところだから、確かなことだ。

 だからこそ、部長のこの小さな身体から、どんな剣道が飛び出してくるのかが、私は気になって仕方が無かった。

「はじめっ!」

 鑓水先生の掛け声で、須和さんが太鼓をドドンと打ち鳴らす。それぞれの選手の気合の一声が、道場を埋め尽くした。

 八乙女部長の立ち上がりは、どちらかと言えば静かだった。やや遠めから、じりじり、じっくりと間合いを詰めてくる。印象としてはインファイトが得意な、俊足の仕掛け技が得意なタイプっぽいけれど――頭のないなりに分析していたところで、部長が動いた。個人的には、まだ遠いと思う間合い。そこから果敢に飛び込んでくる。やや強引な攻めのせいか、始動はバッチリ見えている。防ぐのも〝いなす〟のもわけはない――


 そう思ったはずなのに、次の瞬間には「ズパン」と面を打たれた感触が全身に響き渡った。


「……あれ?」

 戸惑いが、思わず声になってこぼれる。今、完全に見えてたはずなんだけど、防ぐ前にもう打たれてた。なにこれ。もしかして私、一瞬気を失ってた?

 もしくは、先輩って時を止める能力者か何か?

 呆然とする私を前に、気持ちよく残心まで決めた部長は、仕切り直すためにとことこと開始線まで戻って来る。それからもう一度正眼で構え直すと、あのこけしみたいな顔で楽しそうに笑った。

「さ、まだ始まったばかりですよ」

 ゾクリと、おぞ気にも似た悪寒が背中を伝う。たぶんだけど、疾いとか、そういうのとはわけ違う。自分が何をされたのか、全く分からない。須和さんが高速移動だとしたら、部長は瞬間移動……?

 自分でも混乱してて何を言ってるのかよく分からないけど、なんか、だいたい、そんな感じ。

 あれ……これ、私、時間いっぱいまでに、あと何回ボコられるんだろう?


 ドドンと太鼓が鳴って、一回の稽古時間が終わる。私は都合――四本目を綺麗に決められたのを実感したところから、もう取られた本数を数えるのをやめた。

「この間の試合、動画で見ましたよ」

 私がすっかり意気消沈しているところに、部長が歩み寄って声をかけてくれた。

「試合って……須和さんとやったやつですか?」

「あの時は、すごく動きが良いように見えたんですけど……今日は少し、調子が悪いですか?」

 調子が悪いっていうか、部長の動きに全く対応できなかったっていうか。まあ、それもあるんだけど、本当はもうひとつ、大きな欠陥を抱えていることを私自身が理解している。

「調子は……悪いですね」

「そういう時もありますよね。大事な試合の時にピークを合わせられたら大丈夫なので、これからゆっくりエンジンをかけていきましょう。まだ一年生ですし焦らず、です」

「はい、ありがとうございます」

 お礼を言って、軽い感想戦が終わる。何もできなかった私を、怒るでもけなすでもなく、気遣ってくれたことはすごく嬉しい。だからこそ、どうしようもない理由で力を発揮できないことを、とても申し訳なく思った。

 須和黒江に勝つためにやってきた三年間。

 須和黒江〝だけ〟に勝つために――

 それはある意味で呪縛のように、私の剣道を、間違いなく蝕んでいる。

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