いい顔

「鈴音、あなた結局、部活はどうしたの?」

 夕飯の手伝いで食卓に皿を並べていると、母親がそんなことを訊ねる。いつか聞かれることだと思っていたけど、まさか入部当日とは。手間が省けたと言えばそうなるかもしれないけれど、もう少しだけ機会を見定める時間が欲しい気もした。

「剣道部に入ったよ」

 隠しても仕方がないので正直に答える。あれだけ親には「辞める」と言い続けていたのだから、何を言い返されても受け入れるつもりだった。

「ああ、そう」

 だけど、母親の反応はたったそれだけで、拍子抜けしてしまった。

「え……それだけ?」

「なんかそうなる気がしていたし。あなた、中学の時もいろいろ見学に行って、吹奏楽部が面白そうだの、テニスも華があるだの言ってたけど、結局は剣道部に入ったでしょう。しかも、一回も見学に行ってないのに」

「そうだったっけ……?」

 そうだったかも。ぶっちゃけあんまり記憶にないけど、剣道部にした理由は「なんとなく」だったような気がするのは覚えている。いろいろ検討はしたけど、あの時の私にとってはそれが〝一番得意なこと〟だったから。まあ、その最初の一年目で須和さんにこてんぱんに解らされることになるんだけど。

「じゃあ、来週からお弁当どうする?」

「お弁当?」

「女子高生だからとかいうよく分からない理由で、ちっちゃいお弁当箱買ったじゃない」

 確かに……あの細くて低くてご飯もおかずもあんまり入らないお弁当箱は、デザインこそ可愛くて気に入っているけれど、とてもじゃないけどアスリートの燃費に耐えられるとは思えない。

「おにぎりひとつ……ううん、ふたつ!」

 遠慮してあげた指一本を考えなおして、やっぱり指二本を立てて頭上に掲げる。身長のわりに身体ができていないって言われたばっかりじゃないか。もっと沢山食べて大きくしなくっちゃ。

 ……太りはしない程度に。

 そんな私を見て、母親は吹き出すように笑った。

「良かったんじゃない、剣道部で。少なくとも『剣道やめる』って言ってた時よりは、いい顔してるわよ」

 わざわざ指摘されるのは、ちょっぴり恥ずかしかったけど、私もそんな気はしていた。だって今、過去イチでワクワクしているのだから。


「じゃあ、スワンは無事に剣道部に入ったんだ」

「マネージャーだから、無事にかと言われると疑問はあるけど」

 翌週のお昼休み。隣同士なので机をくっつけるでもなく竜胆ちゃんとお弁当を食べていると、後ろから前園さんも会話に加わってきた。彼女には、須和さんを繋いで貰った恩があったけれど、そう言えば事の顛末を報告してなかったな。連絡先、持ってなかったし。

「でも、一回でも負かしたら選手復帰するんでしょ? 次こそは勝ーつ!」

 竜胆ちゃんが、購買のサンドイッチにかぶりつきながら、右手で力こぶを作ってみせた。何かの揚げ物をコッペパンで挟んだやつみたいだけど……何のサンドイッチなんだろう。コロッケとかでないのは確かだった。

「前園さんは、そのパン一個で足りるの?」

 一方の前園さんは、何やら英語のパッケージの見たことないパンを食べていた。

「完全栄養食だから。普段からそんなに食べないし。サプリ漬けよりはいいでしょ」

 でしょ、と同意を求められても、普段の食生活を知らないので何とも返せなかった。私としては、ちゃんとお米もおかずも美味しく食べたいので、パン一個だけも、サプリ漬けも、どっちも御免被りたいけど。

「前園さんは部活は何にしたの?」

「マス研」

 実に簡潔な言葉で返される。マス研……って、マスメディア研究部かな。ウチにそんな部活あったっけ。

 でも、前園さんなら似合うような似合わないような。バッチリ決まったショートボブに、いつの間にか開いてる左右のピアス穴とか、派手めな見た目なのを鑑みると、マスコミよりはインフルエンサーとかそっち系っぽい気がする。ペンキをそのまま塗りたくったような派手な色の服を着て、黒マスクで動画配信とかしてても、何の違和感もない。

「それよりも今は、練習試合のことだよ。全員出すって言ってたし、やっぱり私も出るのかなぁ」

「良いじゃん。歯ごたえありそうなところと当たれてラッキーくらいに思お!」

「一年でそんな事思えるの、竜胆ちゃんくらいだよ」

「練習試合? どことすんの?」

「宝珠山ってとこだよ」

「ああ、お山の大将ね」

 やっぱり、なんかそういう、猿っぽいイメージがついて回るんだ。前園さんも知ってるくらいなら、この辺りじゃそれなりに有名校なのかもしれない。お嬢様学校だしね……うん、お嬢様学校なのになぁ。

「週末空いてないなら、報酬はまた今度か」

 前園さんかぽつりとつぶやいて、私は彼女との約束を思い出す。

「ご、ごめんね。甘い物奢る約束……でも、インターハイ終わるまでは、ほとんど休みがなさそうで」

「別にいいよ。それに、恩は寝かせれば寝かせるだけ、バックが大きくなるものだから……ね?」

 同意を求められても、私は苦笑いで返すしかなかった。

 ううん、やっぱりちょっと苦手だな、前園さん……というか、この子に貸しを作ってしまったことは、もしかして失敗だったんじゃないだろうか。

「ところで鈴音ちゃん、時間大丈夫?」

 竜胆ちゃんに尋ねられて、私は記憶の底から予定を掘り起こす。時間って、今日何かあったっけ――

「げ、そうだ。私、部室行かなきゃ!」

 お弁当をかきこんで、私は慌てて教室を後にした。


 息を切らせて道場につくと、既に初心者組ふたりと五十鈴川先輩、そして安孫子先輩が揃って、パンフレットのようなものを覗き込んでいた。

「お、重役出勤」

「すみません! 予定をすっかり忘れてました!」

「大丈夫だよ。みんな今集まったところだから」

 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる安孫子先輩に対して、五十鈴川先輩はにこやかに招き入れてくれた。息を整えながら戸田さんの隣に腰を下ろした私は、同じように目の前の資料に目を落とす。

「今年、新しく防具を買う子はこれで全員かな。じゃあ、軽く説明……って言っても、予算に合わせて好きなデザインのを選んでくれたらいいだけだから、そんなに説明することはないんだけど」

 五十鈴川先輩が率先して会を取り仕切ってくれる。今日は、新たに防具を購入する組のカタログ閲覧会だった。

「なんというか、値段がピンキリでどれが良いのか分かりませんね……わっ、この防具は十五万だって。六万のと何が違うのかよく分かんない」

 カタログをめくりながら、藤沢さんが一喜一憂する。安孫子先輩がその様子を微笑ましく見守りながら、ぺらぺらとページをめくってみせる。

「値段は、デザイン料と頑丈さってところかな。価格帯で言えば六万前後のが定番どころで、それ以上は趣味の領域。逆にそれより安いのは、とりあえずまあ高校三年間持てば良いかって人向けって感じ」

「それに加えて、道着がだいたい上下で二万円くらい。これも、質を考えなきゃもっと安いのがいっぱいあるよ。竹刀も消耗品だから安いので良いけど、予備含めて二本は持っておいて欲しいかな。急にささくれたり、割れたりすることもあるからね」

「わっ、真っ白な防具だ。カッコいいし、いかにも強そう」

 藤沢さんは、ほとんどおもちゃ屋のチラシを眺める子供みたいに、目を輝かせながらカタログをめくっていた。

「強豪校とかだと、全員白備えの防具で統一してるとこもあるよね。あと、よく見るのはレギュラー用の揃いの胴とかかな。ウチにもあるよ」

「揃い胴もユニフォームみたいでカッコいいよねぇ」

 先輩たちがしみじみと頷き合っていた。揃いの胴や、白備えの集団は、私も中学の大会で見た記憶がある。剣道って、防具も道着も各自で用意するから、基本的に不揃いで、あんまり統一されたユニフォーム感が無いんだよね。だからこそ、わざわざそういう統一感を出してくる学校は、異質だし、それだけで威圧感がある。対人戦闘競技なわけだから、そういうプレッシャーも、大なり小なり勝敗を左右する一助になっているだろう。

 一方で、みんなてんでバラバラの「個性的な能力者集団」感も嫌いじゃないけれど。

「覚悟はしてましたけど、お金掛かりますね……」

 先輩二人のセールストークを聞きながら、戸田さんがごくりと生唾を飲む。まあ、気持ちはわかる。防具を揃えるのって、決して安い買い物じゃないんだ。

 安孫子先輩も同じ気持ちなのか、苦笑しながら頷き返した。

「踏ん切りがつかなかったら貸し出し用防具を使ってくれても良いけど、毎日使うものが自分以外の汗やカビで臭いのって抵抗ない?」

「それは、ちょっとあるかも……です」

「まあ、新品だとしても、どうあがいても半年くらいで汗臭くてカビ臭くなるんだけどさ。でも、汗と涙とそのほかの体液を迸らせて、いっぱい稽古積んだ証だって思ったら、その臭さすらも愛おしくなってくるものなのよ」

 言いながら先輩は、自分の小手に頬ずりをして……同時に「でも、やっぱくさっ!」と叫んで、丁寧に元の場所に戻した。戸田さんも、多少なり意志を固めたのか、自分に言い聞かせるように頷く。

「分かりました。買う方向で考えてみます。でも、両親とも相談したいので、一旦持ち帰っても良いですか?」

「もちろん。今週中くらいに申し込み用紙を書いてくれたら、まとめて発注しておくよ。たぶん、ゴールデンウィーク開けには、一式全部届くんじゃないかな」

 五十鈴川先輩の答えを受けて、戸田さんはちょっぴり安心したように、ほっとひと息ついていた。

「藤沢も持ち帰って検討します! まあ、買うのは確定ですが」

「よろしい。鈴音ちゃんも、新しく買うんで良いんだよね?」

「はい。中学の防具が、もうちっちゃくなってしまったはずなので……背が伸びるのを見越して、ちょっとおっきめのを買ったはずなんですけどね」

 安孫子先輩に尋ねられた私は、苦笑しながら返す。すると五十鈴川先輩が、心配そうに顔を覗き込んで来た。

「新しい防具が届くまではどうする? 貸し出し防具でしのぐ?」

「使えなくはないはずなので、中学のころの防具でしのぎます。ただ地元に置いてきてしまったので、送って貰わないと」

「そっか。今週は練習試合もあるし、間に合わなさそうなら言ってね。貸し出し防具を、少しでもデオドラントしとくから」

「ありがとうございます。でも、それくらいなら自分でやりますよ」

 何でもかんでも先輩に頼りっきりというのは、後輩としていかがなものか。自分が使うものの準備くらいは、ちゃんと自分でやっておきたい。それが道具に対する礼儀でもあると、私は思う。

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