こけしちゃんとガサツな顧問
今後の方針も決まったところで、とりあえず今日は初心者組に混ざって基礎トレーニングに時間を費やすことになった。竹刀があっても防具は無いのだから仕方ない。早く札幌から送って貰えたらいいのだけれど……ただ、中学一年のころに買った防具は、この間借りた貸し出し防具と同様に、つんつるてんだと思う。これは、高校も新しい防具を買わなきゃいけないかな……親はなんていうかな。剣道の道具を買うのは安い買い物じゃない。竹刀くらいならお小遣いの範疇で買うこともできるけど、何万円もする防具となれば――どの部だって同じことだろうけど、部活に入るっていうのは、お金がかかることなんだ。
「あの」
壁と向かい合ってスクワットに勤しんでいたら、不意に背後から声をかけられた。私は振り向く――が、そこに誰もない。
「あの」
もう一度声が響く。そこでようやく、声が思ったより下の方から聞こえていたことに気づく。慌てて視線を下げると、ちっちゃくて可愛らしい女生徒がひとり、私のことを見上げていた。
「剣道部の新入生ですか?」
ほとんど無表情と言って良いくらいの薄い顔で、彼女が尋ねる。サッパリと切りそろえたショートカットから覗く口角が、少しだけにこっと曲がっていて、どこか『こけし』に似ているなと思ってしまう。
というか、誰だろう。わざわざ声をかけてくるってことは、剣道部の関係者……というよりは、見るからに新入生っぽいような気がする。もしかして、遅れてやってきた入部希望者かな。だとしたら、五十鈴川先輩に助けを求めたいところだけど、彼女はちょうど席を外していた。
「入部希望者かな? だったら、一旦道場に行って貰った方がいいかも」
新入部員のひとりである私に、入部届けの受理はできないし。先輩たちに任せるのが一番だろうと思った。
「あ、いえ、私は――」
「あれ、今日は早かったですね」
こけしちゃんが何かを言いかけたところで、五十鈴川先輩がダンベルを積んだ台車を押しながら、エントランスに戻って来た。
「思ったより早く終わったので、早く来ました。今日は、新生剣道部の初日ですし」
「それは良かったです。今年はなかなかの豊作ですよ。見ての通り、初心者ちゃんも入ってくれましたし」
こけしちゃんと五十鈴川先輩は、にこにこと笑い合いながら和やかに談笑していた。あれ、なんか、新入生ではなさ……そう……?
途端に、心臓をぎゅっと掴まれたような心地になる。
「あの、五十鈴川先輩……この方は?」
「そうだね。新人ちゃんたちも、また道場に戻って仕切り直そうか」
先輩は、何事もなかったかのように笑顔で答える。なんだか、とてつもなく悪い予感がした。
「新入部員のみなさん、はじめまして。部長の八乙女穂波です。よろしくお願いします」
道場で、防具に着替えた先輩たちを交えて円陣を組む中で、こけしちゃん――もとい、部長の八乙女先輩が自己紹介をした。
私は、ほとんど間髪入れずに深く、それはもう深く頭を下げた。
「すみません! 新入生かと思ってしまいまして、多大なるご無礼を……!」
「大丈夫。毎年間違われるから……去年は、中川さんだったかな?」
「うぐ……勘弁してくださいよ」
視線を向けられて、中川先輩が珍しく狼狽える。そ、そっか、私ってば中川先輩と同レベル……バカにするわけじゃないけど、ものすごく不本意だ。
「先生は? 一緒に来るかと思ってたけど」
安孫子先輩の問いに、八乙女部長は明後日の方向を見上げて答える。
「職員会議が長引いてるみたい。そろそろ来ると思うけど――」
そんな会話をしていたところで、道場の入り口に人の気配を感じる。みんなが視線を向けると、ちょうどパンツスーツ姿の教員が一名、一礼して場内へ入って来るところだった。
「集合!」
部長の号令で、部員たちが一斉に入口のところへ集合する。初心者組のふたりは一瞬戸惑っていたけれど、五十鈴川先輩のフォローでどうにか後に続いていた。
「先生に、礼!」
「よろしくお願いします!」
再びの号令で流れるような挨拶。こういうのは、どの学校の剣道部でも変わらないな。道場を敬い、他人を敬い、指導者はさらに敬う。このスポーツの心は、基本的に他者へのリスペクトで成り立っている。
そして――目の前の彼女が、この部の顧問ということだ。思っていたより若く、しっかり化粧を施した表情は、整っていながらもややキツい印象を受けた。端的に言えば厳しそう。後ろでまとめた髪は、解けば結構長いんだろうな。艶やかで手入れが行き届いていて、全体的に美意識の高さを感じた。女子校の女の先生って、同性ばかり相手のせいかどこかズボラな印象があったので、その正反対をゆく第一印象だ。もちろん、それは生徒の方にも言えることだけど。
「おう。今年の新入生は何人だ?」
先生は、綺麗めの姿とはうってかわって、ずいぶんとぶっきらぼうな物言いで部長に尋ねる。
「現在時点で六名です。うち五人が選手志望で、ひとりがマネージャーです」
「お、マネージャーか、ありがたいねぇ。スコアブックつけるのも楽じゃねーもんな。で、どれがそのマネ?」
「こちらの須和黒江です」
部長に促されて、須和さんが小さく一礼する。すると、先生は信じられないものをみたような顔で目を見開いた。
「全中一位が何でマネージャーなんだよ!? 選手やれよ!」
「いろいろと事情がありまして……」
須和さんのことの顛末は聞いているんだろうか。部長はお茶を濁すような物言いで、須和さんに噛みつかん勢いの先生をなだめる。
「まあ、時間の問題かと思います。ね?」
すかさず安孫子先輩が口を開いて、私をちらちらと見やる。
「そ、それはどうでしょうね」
私としてはまったく確約できないことなので、逃れるように足元へ視線を泳がせた。
「はぁ……まあいい。顧問の鑓水(やりみず)だ。新人どもはよろしく」
「よろしくおねがいします」
新入生一同、顧問へ一礼。ぶっきらぼうさにはびっくりしたけど、思えばこの部にこの顧問ありと思えなくもない。このくらい当たりの強そうなひとじゃないと、中川先輩とかと真正面から渡り合え無さそうだし。
自己紹介が終わったところで、安孫子先輩が一歩前に出て進言する。
「どうしましょう。部員全員が揃いましたし、一旦ミーティングにしますか?」
鑓水先生は少しだけ考えてから、「いや」と首を横に振った。
「稽古をはじめてんなら、中断する必要はねーよ。ミーティングは最後に〆てからにすんぞ」
〆るがなんか別の意味に聞こえそうだけど、たぶん稽古を〆るって意味だと思う。先輩たちは考えなくても理解しているのか、何の疑問も持たずにそれぞれ頷き返した。
「それじゃあ稽古再開で、今日は三〇分早く締めます」
「はい!」
再びの部長の号令で、一同散会。それぞれの稽古へと戻って行く。
これが、あこや南高校剣道部の全容だった。部で一番強いという、こけしみたいに可愛い部長。人見知り(?)らしい、やたらイケメンの先輩。そして、美人のくせに大工の親方みたいにぶっきらぼうな顧問。
思った以上に、なんというか、濃い……ただクラスメイトたちのことも思い返すと、これがこの学校のカラーなのかもしれない。
よく言え個性的。
悪く言えば変人たちの巣窟だ。
そして私もその一人……になっているのだろうか。
一日の稽古が終わる。結局私は、ずっと初心者組に混ざって身体づくりに専念することになった。こんなにガッツリと基礎トレーニングをしたのは初めてのことだ。全身の肉と言う肉が、ホッカイロを当てたように熱い。
「よーし、お前ら。今日から県予選までのスケジュールを説明するから、配った紙見ろ」
予定通り、稽古の後はミーティングの時間となった。先生が印刷してきたらしい、A4一枚のスケジュール表を手元に、車座になって頭を突き合わせる。
「大会までは二ヶ月もない。よって、かなり詰め込んであるから死ぬ気で付いてこい」
死ぬ気で――その表現がぴったり合うくらいに、スケジュールはびっしりだった。基本的に平日と土日の午前中は部活。水曜日と日曜日は、学校として部活を休む日となっているけれど、自主練という名目で集まって普通に部活をやる。これはたぶん、どこだってそうだろう。
そんな通常練習の中に混じって目を引くのが『練習試合』と『合宿』のふたつの文字だ。
「まず、来週末に練習試合を組んである。これで今の課題を洗い出して、GWの合宿でひとつずつ潰していくぞ」
「相手はどこですか?」
部長が尋ねると、先生はにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「宝珠山だ」
途端に、先輩たちを中心に「うへぇ」と、明らかな不満の声が漏れた。
県内勢の事情に乏しい私は、その反応の意図が分からず、傍に座っていた早坂先輩に小声で尋ねる。
「そこは強いんですか……?」
「強いっていうか……独特?」
独特って……ウチより独特な剣道部ってあるのかな。まあ、独特っていうか、イロモノって言葉の方が合いそうだけど。
「一年小僧にゃ分からんかもしれんから軽く説明しとくと、宝珠山高校は蔵王連峰の山奥にある寄宿制のミッションスクールだ」
寄宿制のミッションスクール……!
つまり挨拶が「ごきげんよう」とか、そういうやつ?
ひらひらのワンピースみたいな制服を着て、おしとやかで、いい匂いがして、キラキラで。
何だろう、少しテンション上がって来た。
「はい、お前。えっと秋保だっけ。今、うふふおほほなお嬢様学校をイメージしただろ。減点〝一〟な」
「えっ!?」
た、確かに思ったけど、別に名指しで言わなくたって……そんな分かりやすい顔してたかな。
「確かにお嬢様学校ではあるが、ありゃどっちかと言えば修験者の集まりだ」
「しゅげんじゃ……ってなんです?」
「ようするに、神道とか仏教系のミッションスクールってことッスね」
先生の代わりに熊谷先輩が答えてくれた。
「宝珠山高校は山の上に学校があって、寄宿舎は麓の方にあるんスよ。だから毎日の登下校だけでもほとんど修行……そこで鍛えられた足腰で、剣道に限らず色んなスポーツで優秀な成績を残してる高校ッス。ついた異名が〝蔵王の山猿〟」
山猿……うふふおほほでキラキラしたイメージから一転、突然、筋骨隆々の集団が真っ白い歯で良い笑顔を向けて来た。上がりかけたテンションが急転直下する。
「じゃあ、やっぱり強いんですね」
すると、早坂先輩がまた微妙な面持ちで首をひねる。
「強いことは強いんだけど、お嬢様学校とミッション系っていうのが相まって、選手層はあんまり厚くないんだ。けど、今は二年にひとり、すこだま強い子がいる」
「すこだま」
「あ、すごくって意味ね」
そう前置いて、先輩は「ずばり」と人差し指を立てて答えた。
「清水撫子。アレはマジでヤバい。個人戦なら、今年の優勝候補の一角だよ」
実にお嬢様学校の生徒らしい名前の持ち主なのに、そこまで言わせるぐらいなまら強いんだ。二年生ってこと一個上か……私はなんとなく、須和さんのことを見た。視線に気づいた彼女は、ちょっとだけ思い出すように視線をあげてから、小さく頷き返してくれた。
「確か、中二の時に個人戦で当たった」
「それで、結果は……?」
「ボコボコにした」
うーん、そっか。何の参考にもならなかった。
「くっちゃべってんじゃねー。今は、清水なんざどうだって良いんだよ。それより、練習試合は全員出すから、ちゃんと今の自分に足りないところを自覚してこい」
「はい!」
顧問の言葉に、部員一同のキレのいい返事が響く。全員って……私も出るのかな。来週ってんじゃ、須和さんの特訓もまだまだ成果が出なさそうだし。
大丈夫なのかなぁ。
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