再生
「さて、自己紹介も終わったところだけど……今後の日程とかは、部長と顧問が来てから話そっかな。それまではさっそく稽古を始めよう。真柚ちゃんは、今日はMy防具は?」
「すみません。今日は持って来てないです」
安孫子先輩に尋ねられ、経験者組の井場さんは申し訳なさそうに答える。
「謝らなくていいよ。貸し出し用の防具はあるけど、どうする? 初心者組と一緒に基礎トレでも良いけど」
「竹刀は持って来ているので、素振りしててもいいですか? 春休み中も振ってはいたんですが、まだ三八が手に馴染んでないような気がして」
「おっけー。じゃあ、一年生は今日は自由参加ということで。初心者組は菜々子に任せてもいい?」
「最初からそのつもりだったよ。三年生は稽古に集中してて」
「ありがと」
ひとしきりの指示を終えて、安孫子先輩はパチンと手を鳴らす。
「インターハイ予選はすぐそこだから、一分一秒を無駄にせずいこう!」
「はい!」
示し合わせていなくても、部員たちの返事が揃って響く。ああ、部活だなって、改めて自分がこの部に属したことを認識する。
「じゃあ、戸田さんと藤沢さんは私についてきて。それから、秋保さんと須和さんも手伝ってくれる?」
「私たちですか?」
「秋保さんも、今日は防具がないでしょう? 須和さんは、マネージャーの最初の仕事ってことで」
「分かりました」
須和さんが静かに頷いて、私もそれに習う。でも初心者の指導か……ずっと自分のことしか見て無かったのに、私にそんなことできるのかな。
五十鈴川先輩に連れられて、私たちは体育館のエントランスに出た。道場はそれほど広くないので、初心者組の基礎練習は大抵廊下でやるらしい。
「初心者の子たちには、これから一ヶ月間は基礎練習に励んで貰います。それでスポーツマンとしての身体づくりをしてもらうのと、基本的な素振りを身に着けてもらってから、防具をつけての練習に混ざって貰うよ」
「すごく運動部っぽい……ワクワクしますね!」
藤沢さんが、らんらんとした目で意気込む。自己紹介だと、体育以外でスポーツはやったことがないって話だけど……それで、高校から運動部に入ろうって思えるのは、なかなかすごいことだと思う。
経験者ぞろいの中に飛び込むのって、怖くないのかな?
中学にはないような、珍しい部活だったらまだ分かるけど。
「私、筋トレ苦手です……腕立ても腹筋も十回もできない」
一方の戸田さんは、しょぼしょぼとしぼんでいくようにつぶやいた。藤沢さんに比べたら、若干内向的な印象だ。五十鈴川先輩は、元気づけるように笑顔を浮かべる。
「ちゃんとトレーニングすれば、少しずつ筋肉もついてくるよ。とりあえず今日は、試しに竹刀を振ってみようか。そうすると、身体のどの筋肉を使うのか、どこが足りないのか自分でも分かると思うから、今後のトレーニングにも身が入ると思うよ」
「はい!」
初心者ふたりは声を揃えて頷く。五十鈴川先輩、指導慣れしてるな。去年も指導役やってのかな……と思ったけど、今の二年生の代って経験者だけだったのを思い出す。
じゃあ中学のころかな。どちらにしろ、私たちなんていなくても良いくらいに、テキパキと無駄がない。
「私たちは、何をお手伝いしたらいいですか?」
実際、何もすることがなさそうで、話の区切りがついたところで尋ねてみる。
「こっちは私ひとりで大丈夫だから、秋保さんと須和さんは、ふたりでお話してきたら? これからのことで、いろいろ話さなきゃいけないことがあるんじゃないかな?」
五十鈴川先輩は、そう言って可愛らしくウインクをする。この人、慣れてるとかじゃない。単純に〝できる女〟なんだ。
先輩の好意に甘えて、私たちは端っこのベンチに並んで座る。気まずいような、気恥ずかしいような、微妙な空気が流れていた。
「ええと……それじゃあ、私は何をしたらいいのかな?」
なんとか絞り出せたのはそんな言葉。須和さんは、私を強くすると言った。けど、具体的にどんな稽古をするのかは、まだひとつも共有されていなかった。
「立って」
「う、うん」
須和さんに促されて、私はベンチから腰をあげる。須和さんも一緒に立ち上がると、私の方を向いて、おもむろに手をとった。
別に握手を求めているわけじゃなく、そのままむにむにと、私の腕をマッサージするように触って行く。腕を触ったら肩。背中。お腹。そして脚へ。あっという間に、全身くまなくまさぐられてしまう。
「な、何かな……くすぐったい」
人に身体を触られるのは、あんまり得意じゃない。くすぐったいのは苦手なんだ。でも、文句も言えないので成すがままにされるしかない。須和さんは真剣そのものだし……てか、基本的にそんなに表情が変わらないから、本気か冗談かも分からないんだけど。
「まずは基礎トレーニング。身長のわりに、身体が全然できてない」
「中学の後半で急に背が伸びたから、身体がおいついてなくって……あと、半年何もしてなかったから衰えちゃったのかも」
「握力と背筋、あと体幹ももっと欲しい。足腰も……実質全身」
「ごめんなさい」
なぜか謝ってしまった。何もかも足りないと言われてしまったんだから仕方がない。そもそも、中学のころは筋トレはほとんどしなかった。竹刀を振っていれば、必要な筋肉はつく認識だったし。まともに基礎トレをやったのは、試験期間で部活が時短になった時くらいだ。
「でも、乙女としては、あんまりマッチョになるのも困りものというか」
それは、実に素朴な懸念。華の女子高生がゴリラになってしまうのはいかがなものだろうか。すると須和さんに、すごく可哀そうなものを見るような目と共に、小さく鼻で笑われてしまった。
「スポーツ向けの筋力増強程度じゃ、ボディビルダーのようにはならないから。それに、筋肉が見て分かるほどにするには体脂肪も絞らないと」
「そ、そっか」
だったら良いんだけど……てか今、微妙に引っかかることを言われなかった?
もしかして私、太ったかな……そんなに変わってないと思う。たぶん。
わきの下と太もも辺りは、ちょっと気にはなってきたけど……運動すれば、きっと絞れるよね。
「フィジカルだけは、どれだけ望んでも、人それぞれに限界がある。その体躯は間違いなくあなたの長所だから、鍛えない意味がない」
「私の長所」
改めて言われてみると、少しだけ嬉しいし、自信が出た。それは、彼女の言葉だからというのもあるのかもしれない。
「そのうえで、あなたには私の技を覚えて貰う」
須和さんの言葉にギョッとする。
「須和さんの技って、カウンター剣道?」
「呼び方は何でもいいけど……私が教えられる一番の武器は、私自身の剣道だから」
「で、でも私、仕掛け技の方が得意で」
「本気で試したことある?」
須和さんの双眸が、真っすぐに私の視線を絡めとる。
「仕掛け技主体の剣道は、長年剣道をやっている人ほど身体が覚えて、馴染んでいる。特に小学生の大会では、動いて仕掛けて積極的に一本を取るスタイルが好まれるから、みんなそういう剣道を身につける。一度身に着けたものではあるから、それを『得意だ』と錯覚する人は多い」
「私は、カウンター剣道の方が向いてるっていうの……?」
「向いているかは分からない。だけど、あなたは試合のリズムを作るのが上手い」
「リズム……」
「先日戦った時、私は私の剣道ができなかった。あなたのリズムに取り込まれた。あなたに踊らされた。そういう人は、応じ技が上手いと私は思っている」
「須和さんもそうなの?」
「私は逆。相手のリズムに乗るのが上手い方。誰にでも合わせられる。だから、応じ技のタイミングも合う。あなたには無理だったけど……ようは、極端であることが大事」
それでも勝つ須和さんがすごいのか、私がまだまだだったということなのか。たぶん、両方なんだろう。
理屈はなんとなくわかったけど、私は返事が出来ずに黙りこくってしまう。だってずっと、仕掛け技主体の剣道でやってきたし。それで成果も――中学のニ、三年の時は、全然ダメだったけど。それでも九年間、ずっと学んできたことなんだ。それをいきなり鞍替えするなんて、おいそれと頷けることではない。
「……なにも、応じ技だけで戦えと言うんじゃない。応じ技を鍛えることで、仕掛け技が活きてくることもある。少なくとも、得意技のレパートリーを増やすことは、あなたにとってプラスになる」
それはそうだ。応じ技が上手いから、それだけで勝てるのなら苦労はしない。その逆も同じことだ。互いの長所を活かしあうチーム競技と違い、剣道の試合はあくまで孤独。団体戦はあっても、その実態は『一対一×五』だ。コートの上でひとりなら、そのひとりが何でもできた方が良いに決まっている。
「私が須和さんの剣道をものにしたら、須和さんに勝てるかな」
「技術が同じレベルに到達したなら、フィジカルの差であなたが勝つ」
理屈っぽいけど、実に説得力のあるひと言だった。そして、それを躊躇なく言ってしまうのが彼女らしいなとも思う。もっとも、一番大変なのは、その〝同じレベルに到達する〟ってことだけど。
「わかった。私、やってみるよ」
どうせ、私の剣道は中学で終わったんだ。山形に来て、須和さんと再会しなければ、二度と竹刀を振ることもなかった。我既に死して、これより先は再生の時。本気で生まれ変わるつもりなら、須和さんの言葉に賭けてみようと思った。
もう一度、高みへ挑戦することができるのなら、私は今ここで〝これまでの秋保鈴音〟を捨てる。それが、私の三年間をあげるっていうことだと思う。
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