スワン捕獲作戦

「それで、軽くあしらわれて、おめおめと逃げ帰って来た……と」

 須和さんに会ったその足で、私たちは道場にいるギャル先輩――もとい、安孫子先輩に事の顛末を報告する。それにしても言い方……と思ったけど、おっしゃる通りなので何も言い返せない。

「一種の燃え尽き症候群みたいなもんじゃないスかね」

「日本一とってやり切ったって? そんなに視野の狭い子だったなら、色んな意味で残念だけど」

 安孫子先輩は、ため息を吐きながら考え込むように腕組みをする。ッス先輩の名前をここまで知らなかったけど、どうやら熊谷というらしいことが垂ネームによって判明した。〝垂〟にでかでかと己の苗字を刻むこの競技は、ちゃんとした自己紹介なしでも、互いの名前を認識できて便利だ。垂ネームには、たいてい所属――私たちの場合は学校名も添えてある。やや窮屈な字体で「あこや南」そして「苗字」。ようは、背番号の書かれたゼッケンみたいなものだ。

「よーし、それじゃあ諸君らに新しい任務を与える」

 うわぁ、ロクなことじゃなさそう。気後れする暇もなく、安孫子先輩はビシリと私たちのことを指さした。

「スワン捕獲作戦を展開せよ!」

「ほ、捕獲作戦……って、どうするんですか?」

「任せる! 麻袋に詰め込んででも、一度道場へ連れてこーい!」

 んな無茶な。普通に拉致監禁で犯罪だし。返事を躊躇していると、先輩は突然眉毛をハの字に寄せて、もじもじくねくねと身体を揺らし始めた。

「あぁ、困ったぁ。須和黒江が入ってくれなかったらぁ、選手層を厚くするためにぃ、秋保選手に現役復帰してもらうしかぁ、ないかなぁ?」

「どんな手を使っても連れて来ます!」

 なんてひどい先輩だ。だけど、それだけは断固として阻止しなくちゃいけない。


 初めての土日が過ぎて月曜日。今日から部活動の体験入部期間がはじまる。正式な入部届けの提出は、今週末の金曜日だから、私たちの立場も現在は仮入部だ。

 本当なら、兼部する他の部活を見て回りたかったのに……その時間を手に入れるためにも、こんな茶番は早いところ終わらせたい。

「で、どうやって捕まえる? 一応、麻袋……はなかったから、代わりに米袋持ってきたけど。三〇キロ用」

「え、竜胆ちゃん、どっからそんなの手に入れたの?」

「白鳥捕まえるって言ったら、寮母さんがくれた」

 得意げに話す竜胆ちゃんだったが、突然訳の分からないことを相談されたであろう、寮母さんの戸惑いが目に浮かぶ。それに、捕まえるのは白鳥じゃなくて黒鳥だ。

「てか、この学校、寮とかあったんだ?」

「民間の私営寮だよ。大半は、遠方から来てるウチの学校の子だけど、若干名ほかの学校の子もいるよ」

「なんか、合宿みたいで楽しそう」

「楽しいよ~。部屋も個室だからプライベートも充実してるし。ただ、ちょっと狭いのが難点かな」

「どのくらい?」

「ロフト付き三畳間みたいな感じ」

「それはちょっと窮屈だね」

「たいていみんな、寝るとき以外は共用ラウンジみたいなとこで過ごしてるよ」

 やっぱり楽しそう。竜胆ちゃんのことだから、とっくに寮のみんなと打ち解けて、賑やかな生活を送っているんだろう。そう言えば、あやめも札幌で寮だったね。送られて来た写真を見る限り、あっちは二人部屋みたいだけど、ひと部屋が軽く十畳はありそうなほど大きなものだった。道内のスケールのでかさを改めて実感する。

「で、どうする? これでガバァッっていく?」

「いやいや、流石にそれは……最終手段に取っておこうか」

 何事も、切り札を持っておくことは大事だと思う。この場合は、傍若無人な実力行使だ。そうしなくて済むことを願うばかりである。

 真正面からの勧誘がダメだった以上、何かしらの絡め手は考えなくちゃいけない。そこで、放課後からずっと須和さんのことを、こうして遠巻きに観察しているわけである。

「どこ向かってるんだろうね?」

「たぶん、部活の見学じゃないかな?」

 竜胆ちゃんとふたり、こそこそと須和さんの足取りを追う。放課後の校舎を、須和さんは着の身着のままぶらついていた。これはある意味、武道経験者の性というものだけど、歩く姿勢がやたらいい。

 そこに、ずるいくらいの美人さとくるものだから、あそこだけどこぞの高貴な寄宿学校みたいな雰囲気である。

「そこゆくお方、ちょいと道を尋ねてよろしいかのう」

 突然、須和さんの前に腰の曲がったお婆ちゃんが現れた。

 え、なんで学校にお婆ちゃん?

 驚いたけど、よく見たら扮装した学生のようだった。たぶんどっかの勧誘……演劇部かな?

「地産地消部の活動場所の、家庭科室はどこかのう?」

 違った!

 地産地消部って……オリエンテーションで見た記憶があるけど、なんでこんな子芝居で勧誘してるの?

「ごめんなさい。入学したばかりで場所を知らないから」

 須和さんは、いたいけな老婆をバッサリと切り捨てて、そのままツカツカと廊下を歩いて行ってしまった。流石に強い。そして、あんな雑な勧誘で入部されたら私たちの立場が無いので、心底ほっとした。

「お待ちなさい、そこを行く美しいお嬢さん」

 突然、須和さんの行く手にいかにもなローブ姿の路上占い師が現れた。たぶんというか、間違いなく学生なんだろうけど……占い部とかオカ研の勧誘かな。今どきあんな、ステレオタイプな占い師の恰好する人いるんだ。

「この先、大いなる災いが訪れると出ています。ここは引き返して、突き当りの階段を二階まで上り、中校舎にある家庭科室へ向かうと良いでしょう」

 違った、地産地消部だった!

 何なんだ地産地消部。勧誘の仕方がまわりクド過ぎて、普通に怖くなってきた。

「ありがとうございます。家庭科室には行きませんが、引き返します」

 そして須和さん、思ったより素直!

 勧誘を無視するのは変わらないけど、くるりと踵を返したので、私たちは慌てて廊下の角に引っこむ。

「あっ、痛ったぁ……!」

 突然、悲痛な叫びが廊下に響いた。見ると、須和さんのすぐ目の前で、女生徒がひとり足首を押さえてうずくまっていた。

「ああ、どうしましょう! この『究極で至高のメニュー』を家庭科室まで届けなければならないのに、足をくじいてしまって……!」

 ああ、たぶんまた地産地消部だ。

 さっきのお婆さんに比べれば、見るからにバレバレの演技。それでも彼女は果敢に、須和さんのことを見上げる。

「そこの新入生、一生のお願いだから、どうか私の代わりにこれを届けてくれない……?」

「そんなことより保健室に行きましょう。それなら案内できます」

「あ、やっぱいいです」

 効果が無いと分かれば諦めも早く、女生徒はすくりと立ち上がってそのままどこかへ歩き去ってしまった。手を差し伸べた格好のまま、ぽつりと取り残された須和さんに、若干の哀愁が漂う。

「あっ……もしかして、一年生?」

 再び、須和さんを呼び止める声が聞こえる。

 絶対にまた地産地消部だっていう、期待にも似た確信があった。

 今度はいったいどんなネタを仕込んで来たのか。私たちは、なぜかドキドキしながら見つめていた。

「部活ってもう決めたかな? 私、地産地消部の部長なんだけど……手作りお菓子を準備してるから、良かったら遊びに来てね」

 そう言って彼女は、手書きの可愛らしいチラシを須和さんに手渡した。

 ここにきて普通の勧誘だった!

 変に期待してしまっていた分、悔しい!

 よく見れば、あの先輩、生徒会長だ。そういやオリエンテーションでの紹介役もしてたっけ。無鉄砲っていうか、無謀というか、そんな勧誘が続いた後だったせいか、爽やかな笑顔で語る彼女の姿は、相対的に輝いて見えた。

 須和さんは、受け取ったチラシをじっと眺めて、やがてふっと笑みを溢す。

「分かりました。入部しましょう」

「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁ!!」

 直後、ものすごい勢いで竜胆ちゃんがふたりの間に割って入っていた。隣で一緒に息を殺していたのに、いつの間に。

「日下部さん、どうしたの?」

「生徒会長、ごめんなさい! この子、ちょっと狩りますね~!」

 〝借りる〟のはずなんだろうけど、別の字に見えたのは私だけかな。とにもかくにも彼女は須和さんの腕をがっちりホールドすると、そのまま引きずるように駆け出した。とりあえずグッジョブ、竜胆ちゃん。ぽかんとする会長に会釈だけ返して、私も慌ててその後を追った。

「なんであの流れで入部決めるの!? 頭どうなってんの!?」

 一年の廊下まで引っ張って来た竜胆ちゃんは、すぐさま須和さんに詰め寄った。責めるっていうよりは、単純に戸惑っているようだった。

「なんでって、楽しそうだったから?」

 須和さんは、至極真面目な表情で答える。あまりにストレートな返事だったもので、竜胆ちゃんも面食らって、狼狽えていた。

「確かにそう、かもしれないけど……なんか、違うような気がするのはあたしだけ?」

 私もうまく言葉にはできないけど、気持ちは分かるよ。なんか、あんな勧誘で入ってくれるなら、悩んで米袋まで用意した私たちが馬鹿みたいだよね。結局、半分拉致るみたいに連れてきてしまったし。

「何度も勧誘した熱意に打たれたから?」

 私たちが入部の決め手を聞いていると思っているのか、須和さんは真顔でそう付け加えた。熱意って言っていいのかな……あれ。

 あんな雑なので心動かされていいの?

「もしかして、まだ私のことを剣道部に誘うつもりだったの?」

 須和さんの言葉が確信を突く。私たちは一度互いに顔を見合わせてから、彼女に向かってどちらからともなく頷いた。

 須和さんは、考え込むように視線を落とす。いったい何を考えているんだろう。

 私たちに呆れてる

 断る理由を探してる?

 それとも――

「どうしてもっていうなら……私が剣道をする理由をくれる?」

「理由……?」

 言われていることの意味が分からず、言葉をそのまま返してしまう。すると彼女は、ニィと、引きつったような笑みを浮かべた。いつか試合場で対峙している時に見せた、あの笑顔だった。

「私を倒してくれるなら、喜んで剣道部に入ってあげる」

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