指令を与える!

 金曜日の授業を終えた私たち一年生は、はやる気持ちを押さえつつ、一路講堂へと向かった。私も何日か前までだったら、周りのクラスメイト達と同じように期待でそわそわしていたのかもしれないけれど、今はどうにか状況を飲み下す覚悟を決めるだけだった。

「続いて、地産地消部お願いします」

「はい」

 薄暗がりの構内。司会の生徒の案内で、エプロン姿の先輩たちが登壇する。先陣を仕切っている小柄な人影には見覚えがあった。確か、生徒会長さんだ。

「私たち地産地消部は、園芸同好会と料理愛好会が合併する形で始まった、新しい団体です。活動内容は――」

 地産地消部って何だよって思っていたけど、話を聞いている限りでは家庭菜園をしてご飯を作るっていうことらしい。プロジェクターを使って、去年の活動写真らしい畑仕事や調理実習の姿が映し出されていた。なんかスローライフっていう感じで良いね。

 ところで生徒会長さん、さっきは吹奏楽部として登壇してなかった?

 気に掛かった私は、ポケットから生徒手帳を引っ張り出して、部活動の覧に目を通した。


 そっか、この学校って兼部OKなんだ。


 半ば剣道部に入ることが決まってしまったため、ほとんど聞き流すくらいに参加していた部活動オリエンテーションだったが、少しだけ興味とやる気が戻って来た。

 マネージャーなら兼部だってこなせるかもしれない。

 念のため確認しておくけど、別にマネージャーの仕事を甘く見ているわけじゃない。けど、選手たちよりも心と身体のゆとりがあるのもまた事実だ。嫌なことをやる分、好きなこともやろう。そうやってバランスをとるのが上手な生き方だって、中学校の時にOB公演で聞かされた覚えがある。

 流石に大会でガチるような部活は無理だろうけど、汗を流す程度の運動部や、活動日の少ない文化部なんかだったら――希望に胸を膨らませたところで、昨日の夜中に安孫子先輩から送られて来たメッセージのことを思い出す。そうだ、今はこなさなければならない用事がひとつあったんだ。


 ――新入部員に指令を与える!

 ――新入部員をゲットせよ!


 それって、新入部員に頼む仕事じゃないんじゃないかな。不満しかなかったけど、剣道部のグループメッセの中で、竜胆ちゃんはやる気十分だった。仕方がないからとりあえず返事をしようと「わかりま」まで打ったところで、スマホに着信があった。電話をかけてくるのなんてあやめくらいしか心当たりが無かったけど、大方の予想を裏切って、送り主は安孫子先輩だった。

「……もしもし?」

 九割ほど警戒心を強めて電話に出る。

『あ、鈴音ちゃん? ごめんね。お風呂入ってた?』

「いえ、普通に部屋にいましたけど」

『なんだ~、残念』

 安孫子先輩は、訳の分からない冗談を飛ばしてケタケタと笑う。こういういかにもな人って今まで接したことがなかったから、微妙に扱い方に困る。札幌に住んでたら、同級生に何人かいたりしたんだろうけど。

『さっきの指令は見た? 見たよね? 既読ついたしね?』

「ええ、まあ。返事打つところでした」

『そう。じゃあ、追加でもう一個お願いしたいことがあるんだ』

 うわ、何だろう。わざわざ電話で話すなんて、ロクなことじゃなさそうだ。部員を見つけられなかったら罰ゲームとか。もしくは拉致っても連れてこいとか。

 『来るもの拒まず、去る者追いかけて、通りすがりも部員のレッテル』がモットーなのだから、それくらいのことは当たり前にやっていそうな印象しかない。

「ほ……法に触れないことなら」

 半ば念を押すように伝える。何でもやりたい高校生活ではあるけれど、流石にSNSで拡散されるようなことだけはご免だ。

『法? 大丈夫大丈夫。あのね、ひとりだけ絶対に捕まえてほしい子がいるの』

「なんだ……そんなことですか」

 すごく安心した。胸を撫でおろした私は、すっかり油断しきって、先輩との会話に足を踏み入れてしまった。彼女が求める人物が、いったい誰なのかも知らずに。

「絶対に欲しいだなんて、そんなに強い人なんですか?」

『強いよ。全国で一番強い。原石じゃなくって、磨ききったダイヤモンド』

「へぇ……」

 なぜか悪寒が走った。自分のためを思えば、操作を間違えた振りをしてでも、ここで電話を切るべきだった。だけど、そんな事情を知るわけもない先輩は、まるで当たり前のことみたいに、その名前を口にした。

『須和黒江――ウチに入学してきたらしいんだよね』


 先輩の言葉が、今でも耳の奥にこびりついている。おかげで三団体分くらいの部活紹介の内容を、すっかり聞き逃してしまった。だけど、先輩から聞かされた事実を知ってしまえば、細かい疑問にも答えが出た。


 ――へぇ、こっちの噂はマジだったんスね。


 あの時に、ッス先輩が濁していた「竜胆ちゃんじゃない方の噂」は、須和黒江のことだったんだ。でもどうしてよりによって、私と同じ学校に?

 そりゃもちろん、彼女と同じ県に越して来たんだから、どこかでバッタリ会ってしまうかもなんて不安と警戒心は常にあった。だけど、同じ県ったって世の中は広い。不安でいるよりも、目の前のことを楽しもう――そう前向きになって入学した矢先にこの仕打ちだ。

 私だって、制服のデザインだけでこの高校を選んだわけじゃない。県内にいくつかある剣道の強豪校はリストアップして、そこだけはしっかりと外しておいた。特に、毎年インターハイの切符を争っている鶴ヶ岡南高校と左沢(あてらざわ)産業高校。昨日、先輩たちの話にも出ていたこの二つの高校は、絶対に候補から外すと決めていた。そもそも新居から遠いので選ぶ理由もなかったけれど、須和黒江は――中学生チャンピオンの彼女は、そのどちらかに行くだろうって高をくくっていたからだ。

 

 なのに、あこや南?

 過去には全国レベルの選手もいたようだけど、一過性の、いわゆる〝黄金世代〟と呼べる時期があっての話だ。少なくとも、今の世代は目に見える成果を残していない。県内では、そこそこのレベルではあるんだろうけど。

 そうでなければ、わざわざこの学校を選んだ理由がある?


 例えば……竜胆ちゃんと示し合わせて来たとか?

 県内トップクラスの彼女と示し合わせて「新たな黄金世代を築くぜ!」って意気込みだったなら、百歩譲って理解もできる。でも、少なくとも竜胆ちゃんからそんな話は聞いていない。ちなみに、先輩から追加の指令を貰って真っ先に電話で相談したけど、竜胆ちゃんもまたスマホのスピーカーがぶっ壊れるんじゃないかってくらいに、大げさに驚いていた。


 あとは……まあ……進学校だから?

 彼女ぐらいの実力があるならば、どの学校に所属したってさほどの違いは無いのかもしれない。団体戦のことさえ考えなければ。そうなったら、将来性を考えて進学校という道を選ぶということもあるかもしれない。

 なにしろ、どんなに剣道が強くても――全国で一番の実力を持っていても――それでご飯を食べて行くことはできない。強いて言えば、武道採用で警察官になるくらい。でもそれは、剣道で食っているとは言えない。


 他の多くの武道と同じく、剣道にプロはない。

 オリンピック競技でもなければ、当然ファイトマネーもない。


 だから、全国でしのぎを削る多くの有能な選手たちも、卒業を機に竹刀を置く。それでも続けている人たちは、生涯スポーツとしてこの競技を認識しているだけだ。

 まあ、今は将来のことよりも須和黒江のことだ。先輩情報では、入学しているのは確実。問題はどうやって見つけるかだ。

「入学式の日は慌ててたから、自分の名前しか探してなかった~」

 部活動オリエンテーションを終えて教室に戻って来た私と竜胆ちゃんは、さっそく指令についての相談を交わしていた。

「それは仕方ないよ。私も自分のクラスしか確認してないし」

「あのクラス分けの紙、まだどっかにないかな?」

 目下の問題は、彼女がいったい何組なのかって話だ。クラスさえ分かれは、会いに行くのは簡単なこと。そうでなければ、七つあるクラスをしらみつぶしに探すしかない。このクラスは除いて良いから六クラスか。できなくはないが、相当な手間だ。

「同中の人とかいたら、分かんないかな。彼女ってどこ中だっけ?」

「えっとね、確か十中」

「市内に十個も中学あるんだ」

 山形、ちょっと舐めてた。県庁所在地なんだし、そりゃ北斗市に比べれば全然都会だよね。

「ウチのクラスに十中の子、いるかな……?」

 縋るようにクラスを見渡してしまう。自己紹介の時に「十中から来ました」って言った人、いたかな……記憶を掘り起こすけど、出身中なんて必ず言わなきゃいけない決まりがあったわけでもないので、あてにはならなかった。

「――十中がどうかしたの?」

 突然の言葉にはっとする。私も竜胆ちゃんも弾かれたように声のした方――私の真後ろの席へと視線を向けた。

「イチカ、十中だけど」

 そう言って、私にとってはつむじが第一印象だった真後ろさん――確か前園一華さんは、眠そうな目で大きなあくびをひとつ溢した。思わず貰いそうになってしまい、慌てて手を口元に当てた。

「ホント? 須和黒江って知ってる?」

 食い気味に尋ねると、前園さんは、あからさまに不機嫌そうに顔をしかめて、羽織っていたパーカーのジッパーを上げた。

「え……ブラックスワンの話?」

「ブラックスワン……」

 なんか、すごいワードが出て来た。

「えっと……なんでブラックスワン?」

「黒の須和だから」

「ああ……思ったよりまんまだった」

 別に、黒い噂があるわけじゃなさそうだ。なんでか分からないけど、ほっとした自分がいた。

「一華ちゃん、お願い! 黒江がどこにいるか知ってたら教えて!」

 竜胆ちゃんが、両手を合わせて前園さんを拝み倒す。一方の前園さんは、よっぽど嫌なのか、気だるそうに机につっぷした。てか、須和黒江のことは呼び捨てなんだ、竜胆ちゃん。

「ええ……同中ってだけで、あの子、友達じゃないしなぁ」

「そこを何とか!」

 でも、押せば行けそうな気がして、私も一緒に手を合わせる。神様仏様前園様。何卒よろしくお願い申し上げます。二人同時に拝まれてしまったからか、流石の彼女も、ダルそうなのは変わらないけど、もう一度だけ視線を向けてくれた。

「……何か甘い物奢ってくれる?」

「もちろん!」

 私と竜胆ちゃんは、ほとんど同時に返事をした。背中側から這い寄って来た、貴重な情報だった。

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