あこや南高校剣道部

 入学して三日ほどが経った。その間にクラスでは自己紹介をしたり、委員会を決めたり、週末から始まる授業のための準備が着々と進んでいった。

 日下部さんは、持ち前の明るさで、クラスの中心人物のポジションを危なげなく獲得していった。今さらカーストなんて概念は古いと思っているけど、あえて言うなら、間違いなくクラスカーストトップである。そんな彼女に運良く見染められた私も、そのおこぼれに預かるように、クラス内でのコミュニティの輪を広げていく。話すきっかけさえあれば、島から来たという日下部さんと同じように、道内から内地に越して来たという私のキャラクターは、それなりに優位に働いてくれた。

「鈴音ちゃん、道場いこう!」

 放課後に入るなり、日下部さんがそんなことを言いだした。朝から晩まで続く各種オリエンテーションにより、プリントでパンパンになった鞄を持ち上げようとしていた私は、そのまま固まって彼女を見た。

「え……部活の見学期間って来週からだよね?」

 〝今日行く〟という頭の無かった私は、戸惑い半分、「何言ってんだこいつ」っていう呆れ半分で答えた。そもそも、部活動オリエンテーションが週末の金曜日だし、それが終わるまでは誰一人頭が部活に切り替わっていなかっただろう。日下部さんただ一人を除いては。

「どうせ入ることは決まってるんだし、挨拶は早いに越したことないじゃん」

「でも、期間じゃないのにあっちだって受け入れ体制とか……無茶しない方が良いよ、日下部さん」

「あれ、まだ日下部さん? あたしは鈴音って呼んでるのに、それって不公平じゃない?」

 呼び方に公平差なんてあるのかな。微妙に釈然としなかったけど、ここで断るのもなんなので、仕方なしに頷く。

「竜胆……ちゃん?」

「よーし。それでこそ『りんりん同盟』だ。さっきのじゃ『くさりん同盟』だったよ。あれ、それもカワイイかな?」

 日下部さん――改め竜胆ちゃんは、そんなことをのたまっていたけど、本気で検討するつもりは別にないようだ。

「とりあえず挨拶だけだから。なんなら外から見学でも良いから」

「そこまでして行かなくても……」

「一緒にいってくれる約束したでしょ~?」

 そうやって情に訴える彼女の言葉は、厭味ったらしさのかけらもない、朗らかで可愛げのあるものだったが、『約束』と言う言葉に弱い私にとっては、効果抜群以外の何物でもない。

「迷惑そうだったらすぐに帰ろうね?」

「もち!」

 笑顔いっぱいで頷いた彼女のことを見て、きっと悩みとかない生き方をして来たんだろうなって、羨ましさを感じる私である。


 剣道場は、敷地内に二つある体育館のうち『第二』と銘打たれているほうにあった。普段の校舎とは地続きではなくって、一度外履きに履き替える必要がある。なんていうのも初めての街、初めての学校の私たちにとっては軽い迷路みたいで、竜胆ちゃんのコミュ力を頼りに道行く人(しかも上級生)を捕まえて、ようやくたどり着くことができた。

「お願いしまーす!」

 剣道場の前について、竜胆ちゃんはこれまた躊躇いもなく扉を開け放つ。私の方はと言うと、心臓が口から飛び出しそうな勢いだったけど、おずおずと後から続いて頭を下げる。

「お、お願いします」

 道場に入る時と出る時は、必ず礼をする。たぶん、どこであろうと必ず一番最初に習う礼儀作法だ。武道にとって道場は神聖なもの。神社の境内に足を踏み入れるのと同じであって、実際、神棚のあるところも多い。

 注目を集めるような入り方をしたものだから、中に居た部員らしき人たちの視線を、一心に浴びることになった。これからウォームアップだったのか、道着姿にまだ防具まではつけていない五名ほどの女生徒が、竹刀を手に車座になっているところだった。

「なんだ、てめぇら」

 うち、やたら強面の先輩が、文字通りにガンを飛ばしてくる。ツンツンしたショートカットのいで立ちは、見るからに「スポーツやってるヤンキー」風で、私はすっかり委縮してしまった。

 だけど、鋼のメンタルの持ち主であろう竜胆ちゃんには関係のないことで、もう一度深く、綺麗なお辞儀をしてから、堂々と胸を張って応えた。

「一年三組、日下部竜胆です! よろしくお願いします!」

「日下部竜胆……って、もしかして飛中の日下部?」

 輪の中のもうひとり。こっちは、ふわふわとした明るい髪の毛をポニーテールにした、見るからにギャルっぽい――この部、そういう人しかいないのかな――先輩が目を丸くして食いついた。

 というか、名前、知ってるんだ……あやめが言っていた通り竜胆ちゃんは、地元じゃそれなりに名が通るくらいに有力な選手だということだ。

「へぇ、こっちの噂はマジだったんスね。てっきり鶴南(つるなん)か沢産(ざわさん)に行ったもんかと」

「入学式に遅刻してきた子でしょう? 私、職員室で聞いたよ」

 他の部員たちも、すっかり竜胆ちゃんの話でもちきりになっていた。この話題の中心感というか、〝台風の目〟感は、先輩たち相手でも発揮されるらしい。今度から、心の中でこっそり人間台風とでも呼ぼうかな。もちろん親しみを込めて。

 ほとんど名前が名刺代わりになったところで、さっきのギャル先輩が腰をあげた。それから、やんわりと人畜無害そうな笑みを浮かべて歩み寄って来る。

「はじめまして。副部長の安孫子(あびこ)だよ」

 副部長!?

 と、驚いて声に出かけた言葉をギリギリのところで飲み込んだ。すごくギャル……なのに、副部長なんだ。そうなんだ。じゃあ、あのヤンキー先輩が部長なのかな。女子校だからもう少し朗らかな環境をイメージしていたけど、もしかして南高の剣道部って〝そういう人たち〟の吹き溜まりだったりする?

 別の先輩も、なんか「ッス」とか言ってたし。いや、それは流石に偏見か。

 ギャル先輩――改め安孫子先輩は、さっきよりも笑顔の圧を強める。心なしか、間合いも詰められているような気がした。

「体験入部期間でもないのにわざわざ来てくれたってことは、自主的な見学ってことでいいのかな? それとも――」

「もちろん、入部希望です!」

「は~い、二名様ごあんな~い!」

 瞬く間に私たちの背後に回り込んだ安孫子先輩は、すすきのに居そうなキャッチのお兄さんみたいな口調で、私たちの背中をぐいぐいと押す。私はくるりと身を躱して、慌てて彼女に向き直る。

「いや、私はその、見学に来ただけで……まだ入るとは」

「あれ、もしかして初心者? 大丈夫大丈夫、怖くないよ~。ウチの部のモットーは『来るもの拒まず、去る者追いかけて、通りすがりも部員のレッテル』だから」

 なんだその新手のジャイアニズムは、なんて突っ込んでる暇はなく、どうにか誤解を解くことに頭をフル回転させなくちゃいけない。

「鈴音ちゃんも経験者ですよ?」

 そんな私の気も知らずに、竜胆ちゃんがちゃっかりいらん情報を付け加えてくれた。小首をかしげながら口にしている様子を見るに、全く悪気がなさそうなのが悔しい。

 経験者と言う言葉に、安孫子先輩の目が変わった。それまで幼稚園の先生みたいな柔らかさがあったのに、今はまるっきり獲物を前にした肉食獣のそれだった。

「へぇ、鈴音ちゃんって言うんだぁ。苗字はなんていうのぉ?」

「あ……秋保ですけど」

「秋保鈴音……ね。知ってる?」

 先輩が部員たちを振り返ると、みんな静かに首を横に振る。うん、それが当たり前の反応だと思う。安孫子先輩は、あからさまとまでは言わないけど、いくらかがっかりした様子で、肉食獣から、それを追う猟師くらいの瞳に落ち着けて、私に向き直った。

「どこ中?」

「七重浜……」

「うーん、知ってる?」

 安孫子先輩は再び部員一同にお伺いを立てる。なんだろう、この部のローカルルールなのかな。そして当然のことがながら、全員が全員、首を横に振った。

「ちなみに、中学の最高戦績は?」

 ドキリとした。同時に、何ていやらしい質問なんだと思った。これが「最終戦績は?」だったら、なんてことはない質問なのに。咄嗟に嘘をついてしまおうかと思った。だけど竜胆ちゃんという破天荒な友人を持つ手前、後々面倒なことにしかならなさそうな気がして、仕方なく正直に答えることにした。

「全国大会……個人の一回戦負けですけど」

「全国ぅ!?」

 竜胆ちゃんが、目ん玉飛び出るくらいに驚いていた。ごめんね。

「い、一年の時だから。そっから先は、地区予選でも鳴かず飛ばずで」

「ちょっと待てよ。全国行ったっつうなら、須和黒江を倒したってことか? あ、いや、個人なら二位でも行けるのか?」

 全く望んでないのに、ヤンキー先輩が食いついてしまった。彼女は勝手に自問自答して、半信半疑のまま唸り声をあげる。

「わ、私、三月まで北海道に居たので! 北斗市って、函館の隣の!」

「おお~、北海道ッスか! ついにウチも越境組取るような強豪校に!?」

「んな話聞いたこともねーよ。普通に引っ越しかなんかだろ」

「うー、冗談なのに厳しいッス」

 ヤンキー先輩に窘められて、ッス先輩はバツが悪そうに苦笑する。なるほど、やっぱりヤンキー先輩の部内ヒエラルキーは高いようだ。

 ちょっとテンション落ち目だった安孫子先輩も、一転して目を輝かせて私の形をぐりぐりと揺すった。

「原石! 原石! 磨いてこ!」

「いえ、だから私、まだ入るとは……」

 むしろ、入りたくないのに。このままじゃ、すっかり入部するみたいな流れになってしまう。それだけは断固として阻止したい。だけど、必死に思考をこねくり回いているのを邪魔するみたいに、誰かが私の袖を引っ張った。

「入んないの……? 剣道部……?」

 竜胆ちゃんが、悲しみを通り越して、絶望したような顔で言う。唇を噛みしめながら「何の成果も……得られませんでした!」って言いだしそうな、そんな表情。

 泣きだしたいのはこっちの方なのに、私はぎゅっと目を閉じて、腹の底から絞り出すように口にした。

「選手はちょっと……でも……マネージャーとかなら、考えます」

 わっと、竜胆ちゃん含む部員一同は、お祭り騒ぎみたいに盛り上がった。そんな道場に立ち尽くしながら、私は自分の意志の弱さと気の弱さに生涯いちの恨みを込めて、道内出身の有名ローカルタレントのごとく「馬鹿野郎!」と罵ってやりたい気分だった。

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