第12話【密室の語らい】

 

 十三人の最高意思決定機関「枢密院」が誕生してから早一月が経った。専制公シルフィーナはその議員の一人として議題を審議している。議長は持ち回り制で任期はたったの一年ほどしかないが、一周する頃には無くなっているだろう、というのが貴族諸侯の反応であった。かくいう彼もその一人である。


「閣下。お久しぶりでございます」

「随分と待たされたわ。ハルバート」


 シルフィーナとハルバート以外にはユリシアとエリナローゼがいた。ユリシアは場違い感に余所余所しい態度で落ち着きない。一方のエリナローゼは王女と彼の距離が近いことに嫉妬を覚えていた。


「どうして、こうも遅れたのかしら。すぐに召喚するよう命じたはずだけれど?」

「何の成果も持参できないのは恥と感じ、閉じこもっていた次第でございます」


 彼女は深いため息をついた。そういえばハルバートという男は自己愛の激しい、自分勝手な輩であった。このような無粋な男に見惚れたエリナローゼも大変だと、頭を抱えてしまう。


「まあいいわ。報告を聞きます」

「では、早速一つ目の成果の披露を」


 彼はユリシアが持っていた長い布を手に持って無造作に床に拡げた。布は正方形で、魔法陣がびっしりと描かれている。解析したいと思わないほど緻密で複雑だった。やがて魔法陣は輝き出す。


「この中にお入りください。四人とも」

「……次からは事前説明しなさい」


 全員が入った瞬間、小鳥の囀りが途絶えた。廊下の軋みも風の音もきっぱり消えた。シルフィーナは声を漏らして「あ」と呟いていた。


「これは密室の結界です。エルフの結界魔術から応用したものの試作品になります。改良の余地は大きいですが今日の数刻程度ならば問題ないかと」

「内から外も問題ないのね」

「ええ。どちらも無音にする壁でございます」


 結界に触れようとした手は何も当たることはなく貫通した。だが音は聞こえない。試しに体ごと動かすと何かに弾かれるように壁があった。彼を見据えると小さな魔石を手に、口を開く。


「未完成品ですので自由な出入りはできません。もし停止させるなら魔石を壊せば戻ります。ですが再度動かすことは出来ないので、できればこのまま話を聞いていただけると助かります」

「……面倒な人ね。あなたは」


 シルフィーナは彼を前にすると自分が貴族であるのかすら分からなくなる。王女としての権威も、専制公の畏怖もまるでないのだ。年の近い親戚と話すように距離感を詰めてくる。今もこうして説明すらせずに悪戯をやった。当然、不敬罪である。


「言っても無駄よ。庶民だもの」

「ハルバートさんは礼儀も教養もないですから」


 確かに彼が読んでいる本に哲学や思想はなかったと王女は改める。召喚の使いを送ったとき必ず読んでいる書物を調べるよう言いつけた。様々な思惑があったが、一番はエリナローゼとの密接な関係を憂慮したからである。ハルバートが読んでいた書物は博物学から数学まで多岐にわたったが、基礎教養などにはまるで興味を示さなかったという。

 出世欲とは見合わない短慮さだ。


「これが最初の成果? 密室と同じでないの?」

「同じです」

「魔法陣で作れる点は評価できるわ。けれど相当な制作時間を要したはず。内容と労力が見合ってないのではなくて?」

「いえ。この魔術が優れているのではありませんよ王女。風のマントを着込めば、音を消せるという点が重要なのです」


 シルフィーナは思わず目を開いた。足音も声も聞こえるが、外から聞こえないのであれば、無人も同然なのである。密談するのも良し、密偵に持たせるのも良し。戦術的な考え方は幾らでもできる。


「すごいわ。ハルバート。私の想像以上よ。魔術師は魔術を一つ発明すれば名誉と云われる時代に貴方はもう五つ開発した。将来の大賢者候補ね」

「そうよ。ハルバートは優秀な人材なのよ」


 どこか誇らしげなエリナローゼと純粋な賞賛を送るシルフィーナ。一方で唖然としたユリシアは、恐る恐る彼に訊ねたのである。


「五つ目……。どうやって?」

「君は魔術をどこまで知っている?」

「基礎と応用の授業は取りました。だからこそ分かります。いえ慄いています。人が開拓できる魔術領域はほとんど発明されたはずです」

「なら言説の方が間違っていたんだろう」


 ユリシアは脳内で否と言った。魔術とは三千年つづく連続した現象である。分野ごとに大きな発明と修正が繰り返されて今に至る。三千年で成し得なかったことを男は二十手前で成したのだ。

 ハルバートの評価を何段階も上げた。


「それで実用化の方は?」

「まだ試作品の段階ですから、これから実験と失敗の連続ですよ。ただ一年以内には可能でしょう」

「凄いわ! ハルバート!」


 獣人の耳は優れている。もちろんエルフもそうである。あの蛮族から身を隠す方法が出来たならば戦場では怖いものなしだろう。まだ若いシルフィーナは気分が高揚するのを抑えられなかった。


「一つ目でそこまで喜ばれては困りますね。ですが恐悦至極でございます」

「実用化した際には褒章も授与するわ」

「……名誉は好きではないんですがね」


 ところで彼は一つ目と言った。あとはどれだけの成果を見せてくれるのだろう。期待の眼差しを向けるなか、魔石が音を立てて砕け散った。氷が砕するように粉々になって散っていった。


「もう時間のようです。密室はここまで」

「外の音が確かに聞こえる。戻ったのね」

「ずっと王城ですけれどね」


 軽口を叩いてもシルフィーナの表情は高揚から変化しなかった。彼女は、知らないから笑っていられるのだろう。このあとの地獄を。


「では場所を変えましょうか。例の実験室に足を運んでいただきたいのです。そこに2つ目と3つ目、そして紹介したい人物がおりますので」

「見栄を張って、後悔しても知らないわよ」

「大丈夫です。自信作ですから」


 この時点で予想できただろうか。血濡れた鉄格子にいた悍ましい目を持つ亜人たちを、彼らに薬剤を打ち込む同胞を。過ちと知りながらも、未来に目を向け続けている医者と学者たちの姿を。

 そこは鉄の臭いがした。

 そこには多くの屍が運ばれていた。


「――ようこそ。希望が生まれる場所へ」


 ハルバートはそう笑った。まだ小さな子供を頭から持ち上げて、拳大の魔石を近づける。その少年は昏睡していたが恐ろしい狂気に、悪夢を観たように顔が歪み、魘されている。


「彼が試作品一号。エスタ号です。魔人特有のバカな名前ですが、この魔石を埋めれば、王都近郊にあるシビル山を更地にできるでしょう」


 嬉々と語るハルバートに、彼についてきたことを後悔した。シルフィーナは嘔吐をして、口の中の恐怖を吐き出した。けれど恐怖は虫が這うように全身を駆け巡って離れてはくれなかった。そのまま喉に手を入れようとして彼の手が拒んできた。


「命じたのは貴方ですよ。殿下」


 彼は狂気と怒りを身にまとっていた。


「エリナローゼやユリシアのように逃げることは許しません。覚悟はいいですか。専制公シルフィーナ殿下。あなたが歩く道の、所持道具です」


 地下牢のどこからか悲鳴と嗚咽が木霊する。彼が近付いて顔を合わせた。目が見つめ合った。


「エスタ号です。単なる魔人爆弾ですが山一つくらいは吹き飛ばせます。すごいでしょう。褒めてくださいよ、先ほどのように」


 悪魔に似た悪魔は笑う。


「殿下。復讐を始めましょう。ただ命令をいただければいいのです。奴らを皆殺しにしろ、と」

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