第11話【王女の茶会】

「報告いたします。実験は順調。仔細なし」


 晴れた午後のことである。毎日やってくる少女はここ数週間で窶れて、顔は青白くなった。誰が見ても苦しんでいるのは一目瞭然である。専制公シルフィーナは小さく頷いて、書類に羽を動かした。


「いつもそればかりね」

「も、申し訳ありません……」


 ユリシアは目を背けて下を向いた。ハルバートから託された書類は一枚の葉書しかない。それを使い回すよう命令したのも彼であった。だからユリシアは毎日こうして王城へと赴いて、小さな葉書を復唱する命令を熟していた。惨めな仕事である。


「実験とやらは本当に順調なの?」

「……ごめ」

「なに? もっとはっきり言わないと伝わらないわよ。この執務室は王城で一番に広いから」

「ごめん、なさい」


 呆然としたのはシルフィーナだけでない。ユリシアは頬に雨水のような涙を零しながら、嗚咽を繰り返していた。そうして何度も「ごめんなさい」と言って拳を硬く握りしめていた。彼女の腕力では血すら出ないが、痛々しいまでに赤くなっていた。


「どうして泣いているの?」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

「はあ。埒が明かないわね、休憩にしましょうか」


 王女の言葉は絶対である。またユリシアという少女に同情したものも多かった。錬金術師のユリシアといえば才媛で知られる世代きっての天才のはずである。噂通りなら、高飛車で気障な性格も想像できる。だが目の前にいるのは泣く少女であった。

 とても同じ人物とは思えない。シルフィーナは侍女たちに命令して茶会を開くことにした。


「ついてきなさい。誰か布を渡してやりなさい」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「そればかりね」


 こういう時は小さな部屋を選ぶ。あまり豪華すぎず内緒話にはちょうどいくらいの、質素な部屋がある。本来なら王女に使用の許可など起きないが、宰相と元老院の根回しによって自由にされていた。

 感情は最期の余暇を過ごす老人である。


「さあ座って。心が安らぐ茶葉を用意したの」

「……北方の茶葉ですか?」

「ええ。数年前に海路が開拓されてから、貴族に人気なのよ。落ち着くから飲んでみて」


 一度嗅いだことのある匂いと、味がユリシアを包みこんだ。安心する味は、かつてハルバートと一緒にいたときにエリナローゼ令嬢が用意したものと同じだった。だが流石は王に仕える侍女だ。味の奥深さも、香りの濃さも一段階も違った。


「どう? 泣き止んだ?」

「はい。……美味しかったです」

「慌てずに、ゆっくり飲みなさい。どちらにしろ聴きたいこともあったし、ついでだわ」


 今のシルフィーナに余裕ない。宰相と元老院をはじめとする貴族派は大きな集まりを開いている。現状では権力が拮抗しているが、いつ均衡が崩れてもおかしくはない。あの御前会議以降、国の最高決定機関は十三人が集まる円卓会議となっていた。

 君主が二人いる状態に陥っていた。


「不思議よね。この前まで何の権力もないと思っていた小娘が単なる王族というだけで、宰相や元老院を抑えられるほどの力を手にした。実際に決められることは少ないけど、私の提案も通るのよ」

「……議会や官僚制の話ですよね?」

「彼に聴いたの? あの平民の」

「はい。権力が拮抗している場合は、お互いを否定しながらも手を取り合うと言っていました。だから仮初でも法案は実現するだろう、とも」


 シルフィーナが彼に唆されて提案した官僚と議会は実現の準備が進められていた。一方で宰相が提案したのは騎士団統帥権の移行である。これは妥協点を探った結果、議会の可決と元老院の全会一致がなければ機能しないものとなった。だがシルフィーナから騎士団が離れたのは紛れもない事実である。


「どうやって組織を維持するのですか?」

「戦争特需による外貨と商業の規模拡大。これが叶えば官僚制は容易に維持できるわ。問題は騎士団の代わりに新しい軍隊を作る必要があること、そして市民と貴族たちの権利を見直すこと」

「確かに。市民は移民を嫌っていますね」


 虐殺や強制労働、奴隷落ちによって王国民との差別化を図ったのは宰相である。一定の功績を得たがそれは大きな溝を生むのに充分だった。市民の間には常に移民に対する不信感と嫌悪がある。市井を歩くユリシアも毎月行けない場所が増えていて困っている。早く手立てを考えるべきだった。


「市民権の拡大、貴族の制限。難しいわね、前例がないから何もわからないわ」

「財産の私有を認めればいいのでは?」


 唐突な提案にシルフィーナは唖然とした。彼女は泣いていた錬金術師であるのに、いまは涙を潜めて為政者の話をじっくりと聞いていたのである。あるいはそうやって現実から逃げていた。


「財産の、私有……」

「あとは土地の売買、度量衡の統一、言語と数字の統一、職業の自由、宗教の自由、徴税権と造幣権を中央に集めて、貴族を中央に依存させます」

「……待って、紙を用意するわ」

「軍隊は常備軍を持ちましょう。この際に王国の財政と王朝の財政を別けて、元老院から兵隊の保持を認めさせましょう。そうすれば無駄な税金が減って貴族の収支を王国が握れます。常備軍には開墾をさせて充分な給金を支払えばいいはずです。開拓するのは王国の三分の一を占める大森林」

「あの大森林は魔物の宝庫よ」

「だからこそ存在意義が認められるのです。開墾と魔物の討伐、そこから生まれる大量の木材と土地は王国を存命させる。鉱山でも見つかれば官僚組織の意義は増します。なによりこの点で重要なのはギルドを解体し、専売特許をつくれることです」


 ユリシアは饒舌に語った。シルフィーナと周囲の侍女たちは必死に羽根ペンを走らせた。たとえ彼女の提案が詐欺や妄想の類いであっても、この情報を手に入れることは宰相に抵抗する武器となる。真剣な視線に気付かないユリシアは思考に没入したまま口だけを、脳の命令で動かしていた。


「塩と木材と紙、宝石などは専売にします。金の亡者たちは権利を保持するギルドを潰す協力をしてくれるでしょう。間違えてはいけないのはギルドを解体することは前提だと言う点です。本質は自由な通商制度と職業の自由を認めることで、王国の商業全体を発展させることです。そのためにギルトと貴族など特権階級は膿だと割り切るのです」


 そこでユリシアは周囲の視線に気づいた。小さな談話室である。彼女は顔を真っ赤にして俯く。こうして堂々と話すのは一番苦手とすることだ。


「ご、ごめんなさい」

「すごいわ。ユリシア。あなたは商業にも財政にも強いのね。錬金術師は皆そうなのかしら」

「いえ。私が昔、商業を学んでいただけです」


 もともと男爵令嬢であるユリシアは実家を支えるために侍女教育を施されていた。その合間に学んだのが商業や家計に関することである。いま錬金術師をやっているのは運命の悪戯だが、王女の前では考えないようにした。なにより視線が痛い。


「是非とも続けてほしいわ」

「長く、なりますが」

「大丈夫よ、普段は暇なの」


 果たして軽口だったのだろうか。ユリシアは頬を引きつらせながら訥々と話し始めた。どこまで話して、何を話していないだろうか。補足する部分があればシルフィーナが質問をしてくれた。


「ところで原資はどうするのかしら? 元手がなければ机上の空論よ」

「これは部隊から口止めされていることなのですが……」

「私が許可します。話して頂戴」


 かつて四人が集結したとき。ハルバート、アナスタシア、エドワードはそれぞれ人材を連れてきた。そのなかでも興味深い移民がいた。


「王女は植物紙をご存知ですか?」

「植物紙? 草から紙をつくる昔の方法?」

「そうではありません。木材の繊維を溶媒で溶かして紙にします。草からも作れますが最近開発された新しい方法です。ですが発明者は帝国から国外追放を受けて王国に流れてきたらしいのですが」

「紙? なぜ紙が重要なの?」

「金貨との引き換え券にするのです。紙を」

「ただの紙を、金貨と交換?」


 侍女たちはわからなかっただろうがシルフィーナには衝撃が貫いていた。要は給金を紙で支払うことで現在の王国商業の枠組みに取り入れないのだ。そして定着したあと交換を王国全土に広めれば、それは貨幣として用いられることになる。


「でも、そんな大量の紙、用意できるはずが」

「移民を使います」

「写実が間に合わないわ」

「印刷機があります。印刷する、機械です」


 とにかくシルフィーナはまだ勉強する必要があることを実感した。ユリシアの周囲はとてつもない速度で時代が移ろいでいる。ここで先ほどから疑問だった言葉を、単刀直入にぶつけた。


「ハルバートとエリナローゼを召喚します。二人には洗いざらい吐いてもらわないと」


 周囲が賛同するなかユリシアは顔面を蒼白させていた。これは絶対に怒られる。

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