第10話【御前会議(後)】
大勢の貴族と、また大勢の学者が集った最初の御前会議は『専制公』の位置づけと権力を限定するものである。法学者ベルナール・ドートネスただ一人が考案し、置き去りにした概念は、この三百年間誰にも研究されることなく眠ってきた。詳細は彼が書いた小さな、本とも言えぬ冊子のみである。
『面白い制度を思いついた。専制公である。国王代理が長期化したとき、あるいは統治者がいなくなったとき王国が共和国とならぬように、私は専制公の地位を記すことにした。おそらく専制公は国王と同等かそれ以下の権威を持ちながら、貴族とともに統治することになるだろう。では代理とは何が違うのか。それは貴族を命令、元老院に反発する権力を確固するためである。代理に権力者ではないが、専制公は大公より上の地位にある限り、貴族と元老院は無意味な支持を強制させることはできない。では逆はどうだろう。元老院を封じたとき専制公に与えられる権限は国王を超越するだろうか。あるいは規範を改正できるだろうか。私は一つの課題として、専制公の制度化について考えよう――』
この部分以外はドートネス邸の火災によって失われたとされている。唯一、規範の補足用として写本されていた前文だけが生き残った。だが生存した代わりにドートネスの優秀な知能はなく、あるのは王国の現状と小さな権力者のみであった。
「元老院より進言する。専制公は国王代理の地位を就任すること、新たに五年間の任期を経ること。公の権限は一般的な公爵階級に相当すると元老院は判断した。よって私軍設立も撤回すべきである」
「貴族代表団より進言する。我々は元老院と同一の立場にあることを断言する。我々は王国貴族として新たな公爵も誕生を祝い、国王代理に再任していただくことを強く推挙いたします」
「学者団より具申いたします。専制公には国王陛下と同等の権力はなく、外交権や軍事権の行使には通常より複雑な認可が必要であります。また国王陛下の帰還を歓迎するためにも、我々は影に徹することが最善の手段であると思案いたします」
彼らの意見を纏めれば『何もするな』である。第二王女が国王代理を任せられることすら高貴であるのに、新たに公爵の地位を得るとは不道徳であると指摘する。一方でシルフィーナは化粧のしたでハルバートの意見を繰り返し問答していた。まず何から手をつけるべきか道筋を立てねばならない。
「専制公に就任した以上は国王陛下が帰還するまで職務を全うするつもりです。それにあたって専制公の地位と権力を明確にするために、憲法の制定と議会の設立を提案します。諮問機関である元老院は一度解散し、議会は貴族院と庶民院の二院制に別れて元老院の機能を分散します」
「元老院より反論いたします。専制公の立場は民の上に立つ貴族であって、王ではありませぬ。その点を踏まえた上で発言いただきたい」
「この場で重要なのは専制公の地位と国王陛下が帰還するまでの時間稼ぎです。しかし現状維持をつづけていても陛下が納得するとは思えません。我々に必要なのは小さな変化と革新なのです」
王国は元老院と貴族の力が強い。そのため移民を奴隷のように扱ったところで異議はない。王女を貶そうと侮辱罪すら適用されない。この国の王族に君臨するシルフィーナに向けられるのは幼児を笑う大人のそれである。卑怯な眼差しである。
「官吏達。例のものを」
役人たちは議員や貴族たちに冊子を配布していった。薄い冊子である。開いたものは周囲に目を泳がせたあと大々的に議論を始めてしまう。
「静粛に、これは専制公の権利章典である」
ーー専制公は王国の名誉と安寧を守るために君臨する守護者である。また国王陛下の帰還を死守する騎士である。よって専制公は巨大な「国家」を支配するために最善を尽くさなければならない。それは臣民の平和であり、商業の発展であり、教育の高度化である。我々は生きる権利をもって、大戦を乗り越える義務と権利を確固たるものにする。全ての人族が平和を享受する機会を提供し、全ての人族が成長する拠り所を与える。怪我には癒しを、不安には灯りを、絶望には希望を捧げることを誓う。専制公は信を得てこその君主であることを是とする。
専制公シルフィーナ・フィルベルティア
「私は王ではありません。王でない限り限定的な統治となるでしょう。しかし正当な統治でなければ王国は繁栄と勤勉を忘れることでしょう。私は統治権を放棄し、代わりに官僚制と議会制の導入を提案します。私は、法の上に立つ君主なのです」
またも全体がどよめいた。これまでで一番大きいほどの、大風が建物を軋ませるような轟きが議会を襲った。シルフィーナは言った。統治権を放棄するという言葉の意味を皆は正しく認識していた。
「では誰が統治するというのです。宰相は、元老院は、貴族諸侯はどうなるというのですか?!」
「議会の承認を得て、私が代理統治します。そして議会を経て立法と執行を行います。すべてを議会に移すのです。元老院は助言のための機関です」
「ではシルフィーナ王女に助言しましょう。そのような面倒な手続きや方法を取る必要は、どこにもないのです。単純に、前例に従えばよい」
元老院の長老たちの言葉に貴族たちは不安と混乱を落ち着かせる。長老の眼差しは子供を教育する講師のようだ。自分が上から説教していることを隠そうとせず、正しい道筋を示そうとしている。だがシルフィーナは反骨心のままに対峙した。たとえ道が正しかろうと信念を屈してはならないからだ。
「では今までの国王代理とは何だったのですか。王権を教会が認める儀式は何だったのですか。我々は人の上に立つ王であるならば、人はなぜ殺される運命にあったのですか。教国が滅びた今、王権神授の理念は消えてないと仰るのですか?」
「言葉が過ぎますぞ王女よ。ここには心を苦しめる宗教家も居られぬのです。彼らに失礼だと少しでも思うなら、子供に戻りなさい。王女よ」
「いいえ。続けます。私は専制公の権利を使ったときから専制公を続ける義務を負いました。ならば私がすべきことを、するだけです。元老院の長老たちよ、答えなさい。王権が死すことはないと」
シルフィーナは堂々とした立ち振舞をする。だが本人は咄嗟に出た言葉を並べただけであった。大きな障壁を前に怖気ついてもいた。このまま牢獄や塔に幽閉される未来を幻視した。だが現実でエリナローゼは言ったのだ。あなたが専制公だと。
私は君主にならなければいけないのだ。
「王権とは。王とは神の土地と人を管理するものである。王は神に赦された教皇より威信を受けて、その代行者となる。つまり統治を行う。代行の言葉にある通り、国王は変えが利く存在なのだよ」
「その言葉は私の理屈が正しいと認めても?」
「いいや。理屈と理想は別なのだよ。君が国王代理になれたのは統治者の王、ひいては教皇と神が認められたからだ。統治には神の委任がいる。君のいう専制公には、神がどこにも存在しない」
あの青年は飄々としていた。シルフィーナが嫌いな男の格好と雰囲気をしていた。かつて初恋をした男性とはまるで正反対の男であった。そんなハルバートが事前に言った言葉がある。絶対的な王政を気づくと、だがそれは反発を招くだけだ。
うまく妥協点を探る必要があった。この数年間鈍っていた脳みそが熱を上げるほど回った。
「神は存在します。国王たる父上が、正方教会の教皇が現存である以上は神の委任はあるのです。私は代行権利の一部を応用するに過ぎない。そして国王が帰還するまで待つ使者に過ぎない。だからこそ私は、なるべきなのです。専制公という、絶対的な君主に。民の上に立つ代行者に」
元老院議員たちは目を合わせた。貴族たちも視線を泳がせて、ある者は私兵を動かそうとした。国王代理がいないならば別の王族を使えばいい。専制公など邪魔でしかない。そう信じてフルプレートを着た騎士たちは槍を浮かせる。
その瞬間、小さな拍手が鳴り響いた。
「よく勉強されましたな。王女殿下」
「宰相。あなたも舌戦がお好きで?」
睨むシルフィーナに宰相は拍手を返した。怪訝に見つめていると彼は元老院に背を向けた。
「この続きは一部の貴族のみで話し合いをしましょう。どうやら、王女は不機嫌なようだ」
議会に嘲笑が拡散した。でっぷりと太った男も宝石を弄ぶ初老も等しく女子を笑っていた。だがシルフィーナは決して挫けない。ここで負けることは人族の敗北を意味するからである――。
戦いは、次の舞台へと移っていく。
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