第8話【実験開始】

 実験体を一号から五号と名付けた。その中からエルフ爆弾に相応しい人材を見極める必要がある。これは人族の命運のかかった大事な実験だ。


「君はオパールというのか」


 吸血鬼の薄汚い少年だ。打撲のアザまみれで鎖が固く結ばれている。少年を石の寝床に仰向けにさせて、彩色暸花に聖水を塗った。腕を持ち上げて青い血管に目掛けて慎重に刺していく。肌を貫いて進む葉の茎に、少年は雄叫びに似た悲鳴をあげた。


「痛い! 痛い! 痛い!!」

「聖水の効果だ。死にはしないよ」


 聖水はなぜか吸血鬼に特攻がある。その理由も解明できればいいが、今は時間が惜しいのも事実である。特に専制公にシルフィーナが就任してからはこのような実験をおこなう事さえ大々的にはできないのだ。暗い地下室で人数を絞る必要があった。


「青だ。型は麦粒、光は黒い」

「完全な魔属性ですね。彼は別体候補かと」

「そうだな。本体とは別だ」


 五人の亜人を用意するだけでも相当な時間と費用を要した。二体は研究に使い、残り三体を爆弾の試作品として完成させる。それが特殊部隊に課された最初の任務である。苦しむ少年を横目に、黒布を顔に巻いた助手たちが子らを運んでいく。

 ハルバートは一人の乙女に目を向けた。この実験に参加を表明したアナスタシア研究員である。彼女は学院を卒業したあとは魔術師として研究する毎日を送っていた。今回参加したのも、研究者としての名誉である。本人もやる気に満ち溢れていた。


「聴いてる? ユリシア」

「ごめん。ちょっと気分が悪くて」


 一方で参加したのものの恐怖と嘔吐を繰り返すのはユリシア研究員である。学院を卒業した錬金術師で王国専売局の技術者であった彼女を引き抜いてきた。腕はよく知識も豊富である。しかし実験は苦手なようで、単なる鼠を捌くことすら顔を真っ青にする始末であった。正直いえば使えない子だ。


「……少し離れてもいいですか。吐き気が酷くて」

「薬で治るものか」

「いえ。ただ、ここの臭いは」


 また吐瀉物をばら撒いた。食物の入っていない透明な粘液が彼女の口から垂れていく。嘔吐を二度繰り返して酸っぱい唾液を吐き出していた。アナスタシアは頭を抱えてため息を吐き、ハルバートはそんな少女から目を逸らして椅子に腰掛ける。


「今日はもういい。帰宅せよ」

「……ありがとうございます」

「明日も来れないようなら使いを寄越せ。無断欠席はここでは重罪扱いになるからな」

「……はい」


 ユリシアは這々の体で抜け出していった。アナスタシアはそんな彼女を見て大きく舌打ちをした。


「不良品ね。解雇してはいかがですか?」

「今季の主役は魔術と錬金術だ。優秀な彼女を手放すのは惜しい。もう少し時間を与えよう」

「変わらないと思いますけどね」


 彼女はどこか遠い目をしてユリシアの去っていった方を見据えていた。またどこかで彼女は嘔吐しているのであろうが、心配する視線ではない。


「私も昔、ああいう子が旧友にいたんです。周りに迷惑をかけて、嫌そうな顔をしながらも参加の態度を見せておく。けれど寮に戻れば、明日が嫌だと泣き喚く子に化ける。しょうもない輩です」

「ユリシアがその旧友と違うことを祈るが、その子はどうなったんだ?」

「死にましたよ。首を吊ってね」


 どこで習ったのか知らないが綺麗な結び目をしていたという。寮にある梁に縄を巻いて、ある朝にぶら下がっていたそうだ。遺書と思わしき書き置きもあったが寮長は何も言わず暖炉の火に投げ入れた。


「酷い話だな」

「そうですか? 私は神が救済を与えたのだと思いますけど。合わなかったのでしょう。人生が」


 アナスタシアはどこまでも冷酷そうな瞳で、そのまま作業に戻っていく。器具を洗浄して、メモを清書する。彼女の作業はとても円滑であった。


「アナスタシア。その作業が終わったら次の実験体を呼んでくれ。作業は遅滞させない」

「畏まりましたわ」


 ハルバートは彼女に背中を向けて机に置かれた短刀に手を取った。次はエルフが来る。どこに魔石を埋め込めば最適に拒絶できるか、これから調べないといけない。二人が作業する間に、ユリシアのことは完全に忘れるようになっていた。

 思い出したのはエドワードの来訪時である。


「一人いないね」

「今日も早退だ。そんなことより順調か?」

「こちらは問題ない。一つ残念なことに奴隷の消耗が早すぎる。追加の発注を増やしてくれ」


 彼についてきた助手は顔面蒼白で今にも倒れそうな顔をしている。エドワード・シェルジュ。侯爵家の次男坊で若干二十三歳である。医師としての才能を開花するも、人を助けるために教会に下るのではなく、解剖することで知見を得ようとした。そのあまりの異端さから教会と対立も起こしているらしいが、彼曰く買収費用は安くて済んだという。


「任せたのは薬品の投与だったはずだが? なぜ血に濡れている」

「僕は人を解剖することを使命にしている。投与で死んだなら、あとは趣味の時間だ」

「何を言っているのよ、狂人さん」


 毒舌なアナスタシアにもどこ吹く風だ。いまはこの四名が主要研究員として実験を続けていた。与えられた課題はハルバートが提案した三つの兵器製造である。それを守るなら口は出さない。


「何人消耗した?」

「十は超える。あの劇物は専門外だからね」

「仕方ない。これからは倍にするか」


 もちろん購入する奴隷の話である。エドワードは一見狂人のなりをしているが彼の書く論文は中身も知見も一流である。医学界に革新的な成果をもたらすことも期待されている。なら奴隷投資は安い。


「ねえ。このままだと間に合わないでしょう。やっぱりユリシアは解雇すれば? いまなら書類作業で口封じできるわ」

「まだ深入りはさせない。もう少し様子を見ようと言ったはずだ。質素があるんだよ、彼女にも。劇物や毒薬に対して天性の才能があるからね」


 そうして三人の会談はつづく。悲鳴と嗚咽が混じる地下室で、正義のための実験はつづく。

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