第7話【集結】

 暗い洞窟のなかで、一体どれだけの時間を過ごしただろうか。オパール――少年にとっては過酷で激動の毎日だった。ある日は洞窟での採掘を終えて寝所に転がり込み。またある日は洞窟に湧いた蝙蝠を倒すための戦闘役に駆り出された。まだ若い少年がいる場所は王国にある銅鉱山であった。

 似たような年の少年が多く働いていることを知っていた。だが皆が次々に死んでいくなかでオパールだけが生き残っている事実を、なかなか受け止められないでいた。食事も寝床も便所も、あらゆるところが共有物だった。オパールは優遇されていると他人と寝床や食糧を交換したことがあったが、効果は全くなかった。仲間の死に泣かなくなってから、いつしかオパールだけが生き残り、最年長の古参になっていた。あまり嬉しくはなかった。

「さては魔族だな。お前は」

 管理者たちは一段と扱き使うようになった。食事を少なくして労働時間を増やした。睡眠時間も限界まで減らされ、糞尿をそのまま垂れ流すような生活を送ったが、オパールは倒れることなかった。むしろ生きているのが不思議なほど血色はよく、体力もあった。疲労困憊で倒れた仲間のもとに駆け寄って助けるのは、いつもオパールの役割だった。

 いつしか彼はリーダーとなり、皆の憧れになっていた。兄ちゃん、兄貴――。そう言われるたびに居場所を得た気がして、今までで一番嬉しかった。

 初めて笑えたのもこの瞬間であった。


「ここにいるのか」

「ええ。魔族の生き残りです。もしくは過去に奴隷として連れてこられた孤児でしょうか」


 皆が寝静まった夜のことである。その日もオパールは夜更けに仕事を終えて一番キレイな寝床まで戻ろうとしていた。そこは愛する弟たちが整理整頓と掃除をしてくれた大切な部屋だった。通りを曲がった先にある通路で、三人の男が待ち構えていた。


「ほら、ちょうど来ました」

「……なるほど。確かに魔族のようだ」

「おい。オパール。こちらに来い」


 オパールは純粋に従った。罰としてのむち打ちが嫌だった。だがそれ以上に弟たちから向けられる尊敬を壊したくなかった。自分の名前が唯一覚えられている誇りを、奪われたくなかったのだ。


「従順なようで」

「もう十年以上、使っておりますから」

「そんな大事な奴隷を譲ってもらっていいのか。こう言っては何だが、王命ではないぞ」


 管理者の二人は互いに目を合わせて笑ったような気がした。オパールは暗い場所でも視界が通る。だが今日のような来客があると、煌々しいほどに松明や灯火を点ける。眩しいのは嫌いだった。


「なに。もう時期、この銅山にも移民が派遣されるようになるのです。彼が抜けて代わりは幾らでもおりますから。どうぞ召し上がってください」

「悪いな。無理を聞いてもらって」


 男は管理者たちの裾に袋を通した。見た目で重量のわかるほど重そうな袋だった。オパールは初めて見る光景に何も感じず、ただ見据えていたが、なぜか泣きたい気持ちになった。男が向けてくる視線がとても冷酷で、悍ましい雰囲気を纏っていた。


「では自己紹介しよう。僕が新しい主人となるエドワードだ。よろしく頼む」

「……あの。なんのことでしょうか」


 恐る恐る訊ねた。管理者の二人は血相を変えて睨んでくる。また拳が飛んでくる。不安と恐怖で竦む足を奮い立たせて恐ろしい男を見つめた。


「いいよ。説明してあげよう。ここから遠く離れた場所にある王都は知っているかい?」

「はい。知っています」

「そこで優秀な人材を集めることになった。僕は必死に情報をかき集めて、君のことを知った。鉱山で働く不死身の少年、オパール。君のことだ」


 その時の感情をどう表現すればいいだろう。オパールのなかには確かな喜びと興奮があった。だがとてつもなく大きな不安、後悔、焦り、恐怖が全身を突き抜けた。腐った水を飲んだあとのような、胃を狂わせる不快感が、胸中を駆け巡っていた。


「私が、王都に?」

「ああ。一緒に行こう。いや来い、オパール」


 こう言って命令されたとき本人の意思とは違って奴隷紋は輝き出す。二の腕と背中に刻まれた二つの紋がうっすらと紫に光るのだ。オパールは先ほどまで抱いていた感情がすっと消えていき、目の前に立つ不審な男の言葉に、大きく頷いていた。


「行かせてください。ご主人さま」

「いい子だ。オパール」


 皆が寝静まるなか男とオパールは二人きりで洞窟を抜け出した。管理者たちはその後ろを、警戒するように着いてきている。二人の間に言葉はなくオパールが喋ることもなかった。おそらく彼なら鞭打ちはしないだろう。けれどしないからといって、無駄口を挟めるほど冷静でもなかった。先ほど抱いていた感情が、溢れるように拡がっていくのだ。


「皆に、別れを告げたいです」

「そんな時間はない。早く歩け、オパール」


 感情は消える。いつの間にか馬車の前にたっていて、男が座る横顔を眺めていた。また激情が湧いてくるたび、オパールは咄嗟に口を開いた。だが二の句が繋げない。何を言うべきか、何を尋ねるべきかを、幼い脳は理解しようとして困惑した。


「おいでオパール」


 気がつくと箱のなかで眠っていた。あの薄暗い寝床よりも居心地が悪く、狭い場所だった。身動き一つ取れない箱のなかでオパールは自身に鎖が巻きつけられていると知った。動いてもビクともしないどころか金属音だけが煩く響いた。馬車の振動のたびに金属が肌にのめり込み、打撲が生まれる。

 箱から出れるのは一日に二回、食事の時にあの男が隣に立つ。そしていつも感情が消えている。


「難しいな。子を制御するのは」

「奴隷の扱いは初めてで?」

「いいや。何度もあるが、そう言えば亜人は初めてだったかもしれない。気難しい子だよ」


 朝と夜の境目が無くなることには慣れていたことだけが幸いだった。きちんと寝れるだけでも奴隷のオパールには充分だった。鎖がのめり込んだとしても、鞭打ちの夜よりは痛くない。箱に頭をぶつけても落石した日よりも痛くない。痛くないことから逃げられるのだから、きっと幸せが待っている。


「もうすぐ着くよ。オパール」


 王都が目前に迫ると男は一枚のスカーフを取り出してオパールの目を覆った。視界が真っ暗闇に包まれるが彼に恐れることはない。この主人は奇妙な相手だが、悪い相手ではない。話を聞き、耳を傾けてくれることがその証明である。

 王都は雑音にまみれていた。

 あるいは雑音だけが聞こえる病に陥った。


「しばらく歩くぞ」


 何も聞こえない。何も見えない。鎖に繋がれた感触だけが唯一の頼りである。そして鎖の先を持つ男の先導を信じて付き従うことにした。長い間、歩いたような気もする。もしくは久しぶりの運動に感覚が鈍ったのかもしれない。そうしてたどり着いた家らしきものの地下に降りていく。

 何度も鉄扉の音が鳴って、軋んでいた。

 冷たい床と濁った空気。少しだけ寒気もする。


「ここで座って待っていろ。喋るなよ」


 じっと待っていた。長い間、腹が何度鳴っても待っていた。スカーフが外れる瞬間を待ち望んでいたのだ。深い息を吐いて感情を落ち着けて、暴れそうになる心を、必死に堪えた。いまここで暴れてしまっては何も残らずに死ぬからである。

 あの朝の、仲間たちのように。


「スカーフを外してくれ」


 知らない男の声がした。まず視界に飛び込んだのは一つのちいさな灯火である。指先から橙色の明かりが優しい光を照らしていた。そうして男の顔に目を移すと知らない顔があった。どこか頼りなさそうなのに、目の奥がやけに暗い男だった。


「諸君に集まってもらったのは他でもない。平和と安寧を得て、幸福を享受するためである。私の名前はハルバート。今日から兄になる男だ」


 そうしてハルバートは集められた五人の亜人に挨拶をする。奴隷紋の明かりが五つ輝くなかで、一方的に述べてみせた。彼ら、彼女らに名前を語る権利などない。批判も、疑問も、恐怖もすべて奴隷紋は口封じする。彼らにあるのはこれから実験するまでの、とても短くて、安らかなひと時である。

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