第6話【歴史の糸】
第二王女シルフィーナ殿下の国王代理解任と同時に、専制公に就任する報せは瞬く間に王国全土を駆け巡った。だが殆どのものは専制公の意味するところを知らなかった。それどころか、まだ国王が帰還しないことに不平不満を抱いていた。
いつもの書斎には一組の男女がいた。
「やってしまったわね。一国に二人も君主がいるなんて前代未聞よ。どうするの?」
「所詮は国王と宰相の関係と同じだ。国王が帰還すれば専制公は解任され、単なる王女として暮らすことになるだろう。だがそのためには功績と名誉が必要になる。長い時間が始まるんだ」
ハルバートは勅命を手に取った。専制公直属部隊の設立と、諸々の法案を審議する諮問機関を新たに設置する提案である。シルフィーナがまず行うと決めたのは国の改善と不景気の脱却であった。
いまこの国には巨大な膿が溜まっている。
「忙しくなる。新しい君主は平民雇用にも積極的らしい。平民の発言権も近いうちに可決される」
「そうなると私は不要かしらね。どこかの誰かと違って博識でないし、閃きもないもの」
「いいや。エリナローゼには付いていく。君が主君で俺が従士だ。そういう関係だろう」
彼の真っ直ぐな瞳が貫いた。エリナローゼは頬を真っ赤にして、心音が聞こえないように身体を逸らした。突然のことで自分ですら、何をやっているのか不思議だった。顔が熱くて火傷しそうだった。
「そうね、そうだったわね」
「専制公がお呼びなんだ。また一緒に王城に行こう。いつか平和になるまで、ずっと会議だ」
「平和になっても、どうせ会議よ」
二人はにこやかに笑った。このような時間を過ごせるのも今がきっと最後になる。二人はそんな予感を抱きながら、互いに言葉を紡いでいった。
「そう言えば、あれだけ見得を切ったくせに肝心の戦法は教えてくれなかったわね。どうして?」
「たぶん知らない方がいいと思ったんだ」
「私たちは主従関係よ、教えなさい」
彼の瞳に影が差したことを感じて、エリナローゼは息を飲んだ。越えてはならない一線を踏み込んでしまったような警鐘が鳴る。その仄暗い瞼は、残虐性を許容する怪物そのものであった。
「最近は殺すための方法ばかり考えているんだ。獣人は鼻が利く、目も耳も良い。エルフは器用だが少人数なのが欠点だ。ドワーフは厄介な武器を使うが小さいなら槍で戦える。魔族とは、肉弾戦を避けて魔法で戦ったほうが勝ち目はあるだろう」
「そうね。正しいと思うわ」
「彼らを殺す方法を考えようとして、彼らにも家族や子孫がいることを悟った。だからこの罪は君に押し付けてはいけないと思った。君には天国で笑っていてほしい、だから言えなかったんだ」
エリナローゼは深いため息を吐いた。
「私は天国に興味はないわ。先導者として必ず地獄に落ちる。けれど地獄にあなたがいると知ったから協力することにしたの。だって楽しそうだもの。一緒に地獄から抜け出す方法を考えるのも」
ハルバートは静かに笑みを浮かべた。温かい微笑みが大好きだ、その表情をずっと見ていたい。
彼女はそのために彼を見据えていた。
「出会うだけでも長い時間がかかりそうだ。でもそうだな。君はそういう人だった。なら教えてもいいかもしれない。一応嘔吐袋を渡しておくよ」
「なに。そんなに大袈裟にしないで」
「大袈裟じゃない。本当にやるんだよ」
いつからかハルバートの瞳には狂気と深淵が混じるようになった。そんな彼を知れたことをエリナローゼは喜んだ。彼が分厚い羊皮紙を手に取ると、やや気不味そうに手渡してくる。最初のページには極秘、ハルバート著とだけ書かれていた。
「後悔するかしら」
「絶対にするだろう。戦争をやるんだ」
「貴方の言う。抗う方法なのね」
「ああ。覚悟して読んでくれ」
静寂を壊すようにページを捲った。
『魔術相反を利用した拒絶反応爆発について』
前提として魔術相反は相手の術式を破壊する魔術である。機能は単純で、術式の核を破壊することで魔術を分解する。だが核を破壊する術式は必ず相反の関係になっている。これが魔術相反の根本的な理論であり、同時に調和と拒絶が存在する。
核は代替できない性質を持っている。調和とは魔力を核に込めて膨大で複雑な術式を構成するための要素である。一方で拒絶は、核と核をぶつけることで誘爆反応を引き起こすものである。私はこの理論から三つの実験を行うことを提案する。
――――。
―――――――。
①エルフ爆弾
魔力量の多いエルフを一体の核と見做して素体として活用する。そこに魔獣の核たる魔石を埋め込むことで時限的な爆発装置とする。魔力と魔力が干渉しあい、お互いに拒絶反応を起こすことで、周囲一帯を破壊する爆弾は完成する。
②巨大魔法
魔術と魔法の区分については一先ず置いておく。魔法陣を核となして、大量の魔術師による魔力投入をおこなう。そうして魔法は完成する。大規模な魔法は街一つ吹き飛ばすに十分な効果があり、おそらく上位者を殺す最大の武器となる。
③瘴気散布
六年前の事件をご存じだろうか。学院にはかつて天才と謳われた錬金術師と学生たちがいた。彼らが全員死亡した事件こそが、錬金術学科瘴気事件である。死傷者は二百名を超え、いまだに賠償裁判のつづく事件である。その瘴気を人工的に再現することで、かつての事件を戦地に顕現させる。
――――――。
――――。
私は上記の兵器を開発することを確信した。
人は悪魔となれる。私は大陸最悪の悪魔となる。
「そう……」
エリナローゼは目を手で覆い隠し、口元を固く噤んだ。薄い唇から血が流れた。頬から涙がこぼれていき、机にあった茶器を強引に横に払い投げた。
「これが抵抗なのね」
「そうだ、まだ序章だがな」
「あなたは、何人殺すつもりなの?」
「わからない。だが先に希望はないよ」
おそらく絶望しか待っていないのだ。神は我々だけを救わない。誰かが殺しをすれば、報復に人は殺し合う。そして現在の虐殺ははじまった。抵抗とは虐殺を持って、敵を屍にすることである。
「私は――」
「もうこの話はやめよう。無意味だ」
ハルバートは新しい紅茶をいれた。見様見真似で覚えた作法は酷いもので、色も薄かった。
「北方から届いた新鮮な茶葉だ。心を安らかにする効果がある。一緒に飲もう」
「飲めないわ。飲む気がしないの」
「勝つと決めただろう」
「これではどちらが勝ちかわからない」
そのとおりだ。反論のしようがなかった。
「勝ちか負けの戦いをしているわけじゃない。生きるか死ぬかの分水嶺にいるんだ」
「けれど。聞いたこともない戦法よ」
「水攻めや囲いでもすると思ったか。もうその程度の抵抗では戦地は持たないだろう」
「新しい兵器が、必要なのね」
水っぽい紅茶を喉に通す。ひどい味で心が休まるどころか吐き気がしそうだった。いつしかハルバートに礼儀作法を教えなければならない。そうして一緒に紅茶を飲むことを、彼女は夢にした。
叶わない夢を、いつか叶えるために。
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