家族と息子

 イルニィルがクッキーを食べてから、三十分が経過した。ヴァレクはこの間ずっと、甘い茶を飲んで空腹を誤魔化していた。

(もう少し早くくれば良かった。茶だけでは……もう低血糖気味だぞ)

「時間だな。よし、食べよう」

 ヴァルハラードは手ずからクッキーを取ってアリスドールに食べさせた後、さっさと頬張りはじめた。ヴァレクも、品をなくさないよう気をつけつつ、パクパクと食べていく。甘いものは至高だ。良いエネルギー源になる。肉でも良いが、てっとり早いのは糖分である。


「ヴァルハラード様、ヴァレク様。私はこれで」

 食べている間に、イルニィルが席を立つ。ヴァルハラードは頷き、手振りで、彼に退出を促した。


 扉が閉まって、しばらくした後。ヴァレクは、どうしても言わなければならないと思ったことを、ヴァルハラードに切り出した。

「一つ、お耳に入れたいことがございます」

「話はいいが、三人だけの時は、敬語をやめてくれないか。兄上」

「あ……は、はい。じゃない。分かった」

 ヴァレクは茶を一口飲んで咳払いをする。

「先ほど、イルニィルに、息子の消息はつかめたかと尋ねてみた。イルニィルはこう言った。『いえ。皆の会話を、注意深く聞いてはいるのですが』と」

「イルニィルは、息子の消息を聞き回っているのか?」

「いや。あくまで会話を聞いているだけらしい」

「だったら問題ない」

 ヴァルハラードはくつろいだ様子でソファにもたれる。しかし、ヴァレクは憂いた。

(イルニィルの行動は、どう考えても、洗脳に対する抵抗だな……)


 この城にいる人間は、全員、ヴァルハラードの特殊能力で洗脳されている。こちらにとって都合の悪いことは意識しない。例えば、殺された・殺した身内の存在だ。忘れているわけではないが、関心も興味も持っていない。「行方を探す」とか「墓参り」という思考もできない。皆、消えた人間は放置しておくものという、ヴァルハラードの作った独自の常識で生きている。

 イルニィルにも、洗脳は間違いなく聞いている。彼は、行方不明の息子を、積極的に探そうとはしない。けれども気にはかけている。これが他の人間と違うところだ。


「兄上、まだ心配か?」

「あ……いや」

「それなら念のため、奴を後でこの部屋に呼び、しっかりと言い聞かせておく。『息子など、気にとめる価値がないものだ』とな」

「是非そうしてもらいたい」

 そう返事をした後で、果たして、息子とやらは生きているのかと考える。

(当時、九歳だったそうだな。本来なら命はなかった)

 侵略の際、十歳以下の子供はすべて殺す。子供には洗脳の効果が発揮されないためである。

(九歳なら、物心がついている。こちらに復讐を誓っていてもおかしくない。とっとと見つけ出して仕留めたいが、生死すらも分からんからな……)

 何せ、少年の存在が明らかになったのは襲撃から五年も後だ。イルニィルも、彼の妻も、ずっと言わなかったのだ。ただこれは、ヴァルハラードが『消えた身内を気にしない』という常識を植え付けたせいなので、彼らを責めることはできない。


「イルニィルの息子なら、さぞ強い少年なのだろうな」

 ヴァルハラードが呟く。

「当時九歳なら、今は十七か八。いい年頃ではないか。手持ちに加えても良いな。どうだい、兄上?」

「まぁ……そうか。それより、兄上という呼び名は……。できれば、名前で呼んでほしいのだが」

 呼ばれる度、意識してしまう。自分は長兄で、ヴァルハラードより五歳も年上であること。思ってしまう。自分こそが領主になるべきだと。だがダメだ。自分は、この弟には敵わない。剣では勝てるが、魔法の才が違うのだ。それでも、亡き父がヴァルハラードを次代の領主に任命した時は、弟を呪ってやろうと本気で考えた。跡継ぎは自分だと思っていたからだ。だが、その考えはいつしか消えた。


 時折、こう感じる。自分もヴァルハラードに洗脳されているのではないかと。だが、それでもいい。身内に嫉妬して殺意を抱くより、彼を認め、彼に尽くす方が、ずっと心穏やかでいられる。それに、自分も彼も、抱く目標は変わらないのだ。それは国内を統一し、ユグドラ国の王になり、偉大なる祖先・レオドア=シズクの名を輝かせること。弟を蹴落とすことを企むより、彼を支えて夢を成就させ、妻の間に娘をこしらえる方が建設的だ。そうすれば、ヴァルハラードの息子と――まだ赤ん坊だが――婚姻関係を結ばせられる。


 自分の弟が王になり、孫がその跡を継ぎ、自分はそれを見守ってゆく……こんな筋書きも悪くない。血は何よりも濃いものだ。血族こそ絶対の正義。だからこそ、城の者には意識させない。個人の力は強くていい、だが集団として、余計な力を得るべきではない。彼らは、ただの駒なのだから。

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