第六章
ヴァーゴ城内
ヴァーゴ城は陰鬱な木々に囲まれている。魔獣が住まう危険な森だ。外部へと通じる道は一本のみで、通行人を魔獣の牙から守るため、両脇に高い壁が設けられている。それでもたまに襲撃事件が発生する。だから、城に住む者は皆、滅多に外に行こうとしない。必要な物品は、ガタゴトと揺れる無人のトロッコで毎日運ばれ、生活するだけなら、それでも不便はないのだった。それに、森のおぞましさとは反対に、城は広く清潔で、居心地が良い。
「我らの主はヴァルハラード様。我らの命はヴァルハラード様のために!」
「「「我らの主はヴァルハラード様。我らの命はヴァルハラード様のために!」」」
「我々は、持てる力の全てを主に捧げる。我らの命はヴァルハラード様のために!」
「「「我々は、持てる力の全てを主に捧げる。我らの命はヴァルハラード様のために!」」」
中庭では兵士達が訓練を行っていた。指導に当たっているのは、アドリアナ=ナナセという女性である。ジルゴ村出身の彼女は、此処に連れて来た時は、どこにでもいそうな、田舎臭い十六の小娘だった。この八年で見違えるように成長し、新人兵の教育係となっている。ヴァレクはそれを、三階の窓辺によりかかり、一人、静かに眺めていた。眺めはわりと良い――城は塀で囲まれていないからだ。
敷地内に魔獣は来ない。姿を見せれば、大勢の人間に狙われることを知っているからだ。外で行う戦闘訓練も、彼らに対する威嚇になる。
「此処にいらっしゃいましたか。ヴァレク様」
声をかけられ、ヴァレクは振り向く。ローブ姿の男が立っていた。伸ばされた青い髪は綺麗に整えられており、首の後ろで一つに結んである。彼はイルニィル、アドリアナ同様、ジルゴ村を出身とする。
「ヴァルハラード様がお呼びです。間食の時間だとおっしゃっていました」
「分かった」
すぐ向かおうとしたヴァレクだったが、ふと思いとどまり、相手に尋ねる。
「お前、息子の消息は掴めたか」
「いえ。皆の会話を、注意深く聞いてはいるのですが……まだ手がかりはないですね。早く見つかってほしいものです」
「そうか」
ヴァレクは一瞬目を細めた後、彼と共にヴァルハラードの元へと向かう。衛兵の敬礼を受けつつ階段を降り、城の地下に赴いた。暑さや寒さをしのぐため、領主の部屋は、地面のずっと下にあるのだ。部屋の扉は重たくて分厚く、黒薔薇のリースが彫られている。中央には小さく、眠る赤ん坊の頭が据えられていた。これはヴァーゴの紋章を立体化したもの。赤ん坊に見えるのは、実は悪魔だという説がある。
「失礼します」
花を象ったドアノックを叩く。すぐに「入れ」という声が聞こえた。
中は、領主が座するにふさわしい立派さを持っていた。地下なので太陽光は差し込まないが、代わりに、天井にはシャンデリアが輝いている。これだけで家が一軒買えるほどの価値を持つ。床に敷いてある紅い絨毯も同じだ。壁際には執務用の机があるが、ざっと二百年前のアンティークで、脚や引き出しには植物を象った精緻な彫刻がされていた。室内の中央にはソファとテーブルのセットがあり、前者は魔獣の毛皮で作られた希少な品、後者は古代遺跡からの発掘品だ。遺跡は現在のところ、王都内でしか確認されていないため、発掘品がヴァーゴ領内で出回ることは通常ない。これは数少ない品の一つである。
どれもこれも、息をのむほど素晴らしい。ただし、隅の一角は、少々場違いなものものが見受けられる。ヴァレクはそこを見ないようにし、イルニィルと共に、ソファにいたヴァルハラードに一礼をする。
間食のため、彼はラフな格好で座っていた。軍服の上着は脱ぎ、袖もまくっている。ただしグローブは外していない。指抜きのそれを、ヴァルハラードは常につけている。
「座れ。菓子は既に用意してある」
発掘品のテーブルには白い器が置かれ、クッキーが山盛りにされていた。それ以外に、小さい取皿が並べてある。ヴァレクとイルニィルは、それぞれ、小皿の前に座る。
「イルニィル、食べろ」
「はい。それでは失礼致します」
彼は山盛りの、上・中・下からそれぞれ三枚ずつ取って小皿によそう。毒見だ。
イルニィルが食べている間、ヴァルハラードは部屋の隅に向かって声を張り上げた。
「アリスドール。茶を人数分いれてくれ」
今まで見ないようにしていた場所で、色白な少女が立ち上がる。髪はピンクで、頭のてっぺんには双葉のような跳ね毛があった。瞳はまん丸で、左目は薄緑、右目は水色。ませた光を宿しているが、年齢はまだ十一歳である。
彼女のいた区画には、白い絨毯が敷いてある。棚が二つ設けられ、片方には箱が、もう片方には本が並べられていた。折りたたみ式の机と椅子もあり、奥には簡易の台所が存在している。
「私とヴァレクの分は、いつも通り、砂糖多めで頼む」
「はい」
アリスドールはほどなく、お盆に、茶の入ったカップを四つ乗せて持ってきた。おのおのに配った後、彼女はヴァルハラードの隣にちょこんと腰かける。少女の目はイルニィルに注がれていた。若干不安そうである。
「案ずるな、アリスドール」
ヴァルハラードが言う。
「別の者が一度、毒見を済ませているからな」
アリスドールの頭を、ヴァルハラードは愛おしそうに撫でる。微笑ましい光景が展開されていた。だが、見ていたヴァレクは複雑な心境を抱く。
(ヴァルハラード様はアリスドールを気に入っている。自分の名の一部を与えるほどに。しかし……)
彼女もしょせんは彼の駒。必要とあらば、ヴァルハラードのために命を投げ出すことになっている。だが、一人の男の野心のため、罪のない少女が命を賭けることがあって良いのだろうか。
「サトウキビの栽培地域を支配下におけたのは幸いでしたね」
時計を見つつヴァレクは呟く。時間潰しのため、適当に会話を振ったつもりだった。二人目の毒見係が食べ終わってから、三十分、待つことになっている。
「そうだな。おかげでヴァーゴ内での砂糖の流通価格が下がった」
「あとは……必要なのは遺跡でしょうか。古代遺跡を収めることができれば、我が領も、王都に負けない発展ができます」
「そうだな。だが、遺跡を見つけても、オーパーツを発掘し、それを復元するには、かなりの月日が必要になる。王都を滅ぼす方が早そうだ」
ヴァルハラードの声は少しだるそうだった。糖分が切れてきたのかもしれない。彼はあくびを一つした後、物憂げな手付きでカップを持ち、茶を啜る。ヴァレクも倣って茶を飲んだ。
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