祈りと領主
扉を開けると、藁と獣、土のにおいがムッと鼻をつく。イグニディスはルーベウスと手分けをし、二箇所ある窓を開けた。窓といってもただの四角い穴であり、開閉式の木板がはめられているだけだが、それでも、射しこむ自然光で中が一気に明るくなる。
「はぁ~、まったく」
藁の山に仰向けに寝、ルーベウスは大きく伸びをする。
「あの二人、ほんと手間がかかるぜ。特にディアナ! ほんと、素直じゃねぇんだから」
「叔父さんも叔父さんだよ。見送りに来てって、ディアナにちゃんと言えばいいのに」
「意地っ張り同士だよな~。悪ぃなぁ、手伝わせちまって」
「いいよ別に。僕も、叔父さん達が結婚してくれたらいいなーって思うもん」
「そうすれば、俺ら親戚だな! いや、もう兄弟でいいんじゃね?」
「いいね。兄弟! ねぇルー、ウィクトリア様にお祈りしようよ。あの二人が結婚しますようにって」
「ウィクトリア? 誰それ?」
「神様だよ。教会に行くと、翼があって頭のない、おっきな女神様がいるじゃない」
「あー、あれか。いいぜ。でもお祈りの仕方って、俺、よく分かんない」
「簡単だよ。跪いて両手を合わせて、目を瞑って、ウィクトリア様お願いします、ディアナさんとハーシェルさんを結婚させてくださいって、心の中で唱えるの」
二人で、その場に膝をついて両手を胸の高さで組み、目を瞑って念じること数秒。終わって、イグニディスはズボンを払って立ち上がる。
「これでうまくいくよ」
「そうかなぁ」
「いくよ。神様にお祈りしたんだもん」
「でも爺ちゃん、よく言ってるぜ。祈っただけで何もしないと、願いは叶わないんだって」
「そうなの? ん……でも、僕ら、頑張って走ったじゃん」
「それもそうか!」
じゃあ問題ないと、ルーベウスは明るく笑った。イグニディスもつられて笑った後で、いいなぁ、と漏らす。
「ルーのお爺ちゃん、いろんなこと知ってるよね。僕もお爺ちゃんがほしい」
「俺は兄弟が欲しい。いたことねぇから」
「いたこともないの? 死んじゃったんじゃなくて?」
「母ちゃんの違う兄弟なら、いる……かも。会ったことねぇけど」
ルーベウスは肩をすくめる。
「これは秘密なんだけど、お前には特別教えるよ。俺の父ちゃん、ガルドってところで領主やってるんだ」
「じゃあルーは貴族なの? 凄いじゃん! 土地をいっぱい持ってるんだね!」
「持ってねぇよ。領主は王様から土地を預かっているだけだ。でも、それがずーっと続いたから、領主はみんな、土地は自分のものなんだって、そう思ってるらしい。あいつら、みんな、欲張りでわがままで、勝手だ。税金だって、領主がいなければ少しで済むんだ」
「でも、領主様は、みんなから集めたお金を使って、なんかこう……色々、大きなことをしてるんじゃないの? 道を作ったり、土手を作ったり」
「それもあるけど、ほとんどは、ろくでもないことに消えていくんだ」
吐き捨てるような言い方だった。彼が人をここまで悪く言うのは珍しい。イグニディスは遠慮がちに「贅沢するのかな」と言ってみた。
「それもあるけど、一番ひでぇのは戦争だ。争いを作るのは、いつだって領主だぜ! 領主のせいで、困っている人がいっぱいいる。田んぼや畑を焼かれたり、怪我をしたり、死んじゃったり……領主なんて、ほんと、ろくなものじゃねぇよ!」
「え……えっと」
そう言われてもピンと来ない。イグニディスは村から出たことがなく、戦火も焦土も見たことがなかった。村でおきる派手な争いといえば、山賊や盗賊、大型魔獣の襲来である。戦争とそれらは違うのだろうか。よく分からない。
「それに、俺の母ちゃんとディアナの母ちゃんは、父ちゃんの命令で殺されたらしい」
「え、嘘でしょ。病気で死んだって言ってたじゃん」
「そういうことにしてるんだ。だって、こんなの人には言えねぇだろ? お前には特別に教えるんだからな」
「あ、うん」
「あいつなんて、領主なんて、父親じゃない!」
ルーベウスは身を震わせて嫌悪を示す。イグニディスは返す言葉に窮した。
「……悪い」
少しして、ルーベウスは、ばつが悪そうに謝ってきた。
「お前に怒鳴ったわけじゃねぇんだ」
「うん」
「このこと、誰にも内緒だからな」
「言わないよ」
頷きながら、イグニディスは心の中で、再度、ディアナとハーシェルが結婚しますようにと祈りを唱える。
(実のお父さんは変えられないけど、新しく、家族を作ることはできるよね)
ハーシェルは領主と関係ないし、優しく堅実で、料理が上手で、頼りがいもある。ルーベウスにとって、理想の父親になるはずだ。何より、ルーベウスとは兄弟になりたい。そうすれば、ずっと一緒にいられるだろう。
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