第三章
村の異変
イグニディスは少女の肩を揺さぶり、何度も何度も、彼女の名を呼んだ。
「ラドレナ。ねぇ、ラドレナってば」
彼女の背には深い刀傷があり、地面にはたくさんの血が流れている。もう息はない。それでも、声をかけずにはいられなかった。彼女が死んだなんて信じたくない。仲良しだったのに。好きだったのに。
「お願い。目をあけて。返事をして。ラドレナ。ねぇ!」
だが応答はない。何度呼びかけても、体を揺さぶっても、相手は目を瞑ったままだ。
「ラドレナ……」
悲しさを感じるより、まず途方に暮れた。助けを求めて周囲を見渡すが、大人の姿は、付近に全く見当たらない。
(ラドレナは誰に襲われたんだ? 山賊? 盗賊? 大人はどこにいるの?)
どこかで戦っているのだと思いたいが、気配も痕跡も見当たらない。家も道も荒れておらず、牧地ではいつも通り、牛や羊が草を食んでいる。
(戦わないで降伏したとか? いや、それはありえない)
ジルゴ村の人達は、自衛の意識がとても強い。男も女も子供の頃から鍛えており、魔獣ではないただのクマなら、九歳の子供一人でも素手で倒せる。大人達が本気を出せば、一帯の地形すら変えられるほどだ。もっとも僻地の村なので、実力を知る者は限られているが。
「イグニス。ぼく、お家に帰る」
後ろで、五歳の少年・アイクが言った。
「お姉ちゃん達のところ、行く」
「待って。僕の傍から離れちゃダメだ。何がおきてるのか分からないんだよ」
「レインがいるから平気だもん。ね、レイン?」
アイクは、自分に寄り添っていた大型犬に話しかける。犬は低く吠えて返事をした。
「ダメだよアイク。待って、ダメだよ!」
引き止めたが、彼はさっさと、老いた愛犬と共に走っていく。追いかけたかったが、イグニディス自身、自分の家が気になった。家族は無事だろうか。
イグニディスは立ち上がる。ラドレナを何とかしてやりたかったが、手だてが全く思いつかない。やむなく、彼女をその場に残して家路へと向かった。
走りながら、村に何が起きたのかを必死に考える。どこで狂ったのだろう。
(今朝は、出立するルー達を見送って、羊の世話をして……アイクがレインと一緒に家に来て、砂金採りに誘ってくれて、それで……うわっ!)
石に足を取られて転んだ。幸い怪我はしなかったが、したたかに膝をぶつけてしまい、痛みに泣きそうになってしまう。
「ううぅっ」
急に心細くなってきた。歯を食いしばってこらえ、立ち上がって、また駆ける。
家は、一見すると、いつもと何も変わらなかった。それでもイグニディスは警戒し、裏口からそっと中に入る。そこは台所と繋がっているのだが。
「ひっ!」
幼い弟妹が、血を流して倒れていた。頭と胴体が切断されている。もちろん息はない。
(だ……誰がこんなことを! 父さんと母さんは? こんな時に、どこに行ったの?)
そう思ったところで、恐ろしいことに気がつく。弟も妹も、一太刀で頭を落とされているのだ。父は家畜をしめる時、いつも一撃で首を刎ねるのだが、この刀傷はそれにそっくりだ。
(まさか。そんなの、ありえない)
ただ、人為的な仕業なのは間違いない。イグニディスは、嫌な鼓動を抱えながら部屋を見て回った。しかし誰もいない。
(父さんも母さんも、ほんと、どこに消えたんだろう?)
探さなければいけない。家の外に出る。すると。
『……の、……は、……ード様。我ら……は、……ハラード様……に』
風にのって、人の声が微かに聞こえてくる。村の大人達だろう。イグニディスは耳をすませて方角を探る。
『我々……、……全て、……に、捧……。我らの……ァル……様……』
声は、祭祀場のある方向から発せられているようだ。そこは巨岩に囲まれた空間で、村人全員が入れるほど広い。だが特別な時にだけに使われ、通常は誰も立ち入らない。
(変だなぁ。どうしてあんな場所にいるんだろう。何を叫んでいるの?)
疑問の中、声を頼りに走っていく。
近づくにつれ、はっきり聞こえるようになった。
『A隊列からB隊列へ移行せよ。回れ右!!』
何者かの指揮と、ザッ、ダッと、無数の人間が足を踏み鳴らす音が聞こえる。
『素晴らしい、素晴らしいぞ、ジルゴ村の諸君。見込み通り、いやそれ以上だ。はるばる訪れた甲斐があったよ。決めた――諸君らを精鋭部隊に任命しよう。さぁ、称えよ。我が名を。誓いを!』
『全員、唱和! 我らの主はヴァルハラード様。我らの命はヴァルハラード様のために!』
『『『我らの主はヴァルハラード様。我らの命はヴァルハラード様のために!』』』
イグニディスは顔をしかめた。ヴァルハラードとは誰だろう。聞いたことがない。
(もしかして皆、脅されて従ってる? ……ここは慎重にいった方がいいよね)
祭祀場の出入り口は一箇所だけだ。扉から中に入れるが、イグニディスはそこをスルーし、回り込んで、巨岩の隙間から中を覗く。此処に穴があることは、前の祭りの時に気がついていた。
驚くべき光景が広がっていた。村の大人達が整列している。男女問わず、全員が剣を構えており、それをまっすぐ天に掲げていた。中にはイグニディスの両親もいた。
一段高い場所には、赤い髪の青年が立っている。よくよく見ると、昨日ぶつかりそうになった男である。ただし格好が違う。彼は、前は村人と大差ない格好だったのに、今日はマントのついた軍服だ。襟元に黒い薔薇があしらわれており、中央には小さく、眠る赤ん坊の頭が据えられている。
ふいに犬の吠え声を耳にした。扉が、きしみながらゆっくり開く。
「姉ちゃん!」
アイクが甲高く叫んで祭祀場に飛び込む。レインも隣にいた。
「姉ちゃん、姉ちゃんっ!」
整然と並ぶ村人達の間を割り、彼は自身の姉、アドリアナに駆けよって抱きついた。
「何だ、お前」
アドリアナは冷たく言う。イグニディスは耳を疑った。おかしい。普段の彼女は、弟に対しこんな態度を絶対取らない。これでは、まるでよその女の人だ。
「姉ちゃん、すぐに家に戻ってよ。ちい姉ちゃんも兄ちゃんも、息してないんだ。ねぇ、早く!」
「静かにしなさい。ヴァルハラード様の前で、そんな大声を出してはいけない」
そんなやり取りの間に、壇上にいた赤髪の男が、大股で彼らに近づいた。
「その子供は何者だ?」
「お騒がせして申し訳ありません、ヴァルハラード様」
アドリアナは恭しく頭を垂れる。
「姿をくらましていた弟です。すぐ始末します」
「待て。……おい子供、お前、今までどこにいた?」
ヴァルハラードはアイクを見下ろしたまま尋ねる。傍から見ても威圧的なので、幼い少年には、相当な脅威に感じただろう。
アイクは姉にしがみついたまま、小さく口を動かした。
「ほう、川か。それで、どのように此処を突き止めた?」
彼が尋ねた瞬間、老犬がワンと吠えた。首の毛を逆立て、耳を寝させて唸っている。
「この犬が案内したのか? 賢い奴だ。しかし、私に対して吠えるとは不愉快だな。……おい、ヴァレク」
ヴァルハラードはグローブをはめた手を軽くあげ、指を鳴らす。
死角だった場所から、男性が一人出てきて彼に並ぶ。見たところヴァルハラードより年長だ。こちらも赤髪で、同じように軍服を着ているが、花などの飾りはない。
「子供を始末しろ。この場ではやるな、血で汚れる」
「犬はどうしますか」
「リードがない。連れて行くのは難儀だろう、私が処す」
「かしこまりました。……さぁ、子供。来い」
「何だよ? 待て、やめろ。やた! 掴むな、離せっ。姉ちゃん、姉ちゃんっ!」
襟足をヴァレクに抑えられ、アイクは身をよじってジタバタ暴れる。抑える側は舌打ちをし、左手を腰に当てた。黒光りする縄を取り出す。
「縄・動・結縛(じょう・どう・けつばく)」
縄は彼の手から離れ、少年に巻き付いて身動きを封じてしまう。ヴァレクはアイクを物のように引きずり、さっさと扉の方へ向かった。
「ガウッ、バウワウッ、グルルル……!」
レインが吠え、唸り、男に飛びかかろうとする。刹那、ヴァルハラードが呟いた。
「怨炎・熱・焼(えんえん・ねつ・しょう)」
レインの体を黒い焔が包み込む。地獄から噴き上がったのかと思うほどの禍々しさだ。恐ろしくなってイグニディスは目を瞑る。微かに犬の悲鳴を聞いた。だが、それはすぐにたち消えた。
目を開けた時、地面に残っていたのは、尻尾と、微かな黒いカスのみだった。ヴァルハラードは既に高台に戻っており、村人はレインの残骸を見ようともしない。
一方、アイクは外に出されていた。
「まったく、余計な手間をかけさせるものだ」
ヴァレクは足で戸を閉め、少年に尻もちをつかせる。イグニディスは慌てて腹ばいになった。見つかったらまずい。。
「何するんだよ。お前……何だよ。やだ、離せ。助けて、姉ちゃん!」
アイク少年が叫ぶのが聞こえる。助けなければ、と思った。しかし体が動かない。
ヴァレクが剣を引き抜く。彼の手の中で、それは冷たい輝きを発していた。
「や、やめて。何するの? やだ、やめて……!」
情けを願うしかない幼い子供に、ヴァレクは剣を振り上げる。イグニディスは口を開けた。
(待って、だめだ――やめろ、やめろっ!)
助けなければと思うのに、声すら出ない。
(やめて、やめて!!)
男の持つ凶器が、凄まじい勢いで振り下ろされる。剣先がアイクの胸を貫いた。赤く染まった刃先が背中から飛び出す。
ヴァレクはすぐに剣を引き抜いた。少年は胴をわずかに揺らした後、そのままの格好でガクンとうなだれる。殺しを果たした男は、白い布を出して剣の汚れをさっと拭い、慣れた様子で鞘に収めた。
ヴァレクは再び扉の中に戻った。中と外を隔てる板が、バタンと閉まる。
(どうしよう。僕、どうしたらいいんだ? 戦う? いや、無理だ。きっと敵わない)
助けを呼ぶ方がいい。が、ジルゴ村は僻地である。南に隣村があるが、馬を使っても二日はかかる。それよりも。
(ルー……)
今朝、村を発ったばかりの友達。西に向かったと聞いている。彼らを追いかける方が早い。彼と、ディアナとお爺さんなら、何とかしてくれるかもしれない。
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