第二章

見送り

「誰か! その子達を捕まえて! 爆薬を持っているのよ!」

 女性の金切り声を背中に浴びつつ、イグニディスはルーベウスと共に草原を駆ける。もう九歳、毎日、家畜と共に走り回っているので、足の早さは大人にも負けない。

 走りながら、イグニディスはちらりと後ろを振り返る。金髪を束ねた女性が、スカートの裾をめくりあげ、必死にこちらを追いかけていた。彼女はルーベウスの従姉妹、ディアナである。うら若き十七歳の乙女だが、今は鬼の形相だ。

「ルー、こんな事したら、あとでいっぱい怒られるんじゃないの?」

「へーきへーき、爺ちゃんの許可もらってっから! それより、早く走んねぇと追いつかれるぞ。いいか、つかまりそうになったら二手だからな」

「うん」

 イグニディスはしっかりと麻袋を抱え直す。中には瓶がいくつか入っていて、かすかにカチャカチャ音がする。

「誰か! 誰かあの子達を捕まえて……止めてぇ!」

「こらっ。あんた達、何やってるの!」

 若い女性が行く手を阻む。短く切ったオレンジの髪に、日に焼けた褐色の肌をしている。いかにも活動的な彼女を、イグニディスとルーベウスは、二手に分かれて回避した。

「ごめん、アド姉さん。理由があって!」

「悪ぃな姉ちゃん。捕まるわけにはいかねぇんだ」

「こうなったら……疾風・固・壁――」

「ダメ! 爆薬は魔法に反応するのよ!」

 ディアナが叫び、彼女――アドリアナは詠唱を途中でやめる。代わりに怒鳴った。

「あんた達、止まりな! 爆薬なんて、オモチャにしていいものじゃない。吹っ飛ぶよ!」

「オモチャじゃねぇよ、本気だよ!」

 軽口を叩くルーベウスに対し、イグニディスは再び振り返り、頭を下げた。そしてまた前を向いたが。

「うわ!」

 そこに赤い髪の青年がいて、思いっきりぶつかりそうになった。相手の年は十八くらいか、口元に大きな傷跡があり、口が裂けているようにも見える。村の外から来た人間で、一週間ほど滞在していた。地形の調査をしている研究員らしい。名前は知らない。

「ご、ごめんなさいっ」

 相手は眉根を寄せ、翠の瞳を細めて鋭い眼光を投げてくる。普段なら恐縮するところだ。だが今はそれどころではない。彼をも避けて、ひたすら走る。


 息が切れ、足もガクガクしてきた頃、ようやく家が見えてきた。玄関横に、荷物や鞍をのせた馬が並んでいる。傍に両親と幼い弟妹、旅装束をまとった、青い髪の男が立っていた。彼は叔父のハーシェルだ。細身な父とは異なり、筋肉質で、がっしりした体つきをしている。

「あらイグ、ルベス君を連れてきたの?」

 母が弟をあやしながらこちらを向く。

「その袋は一体なぁに? もしかして、叔父さんへのプレゼントかしら?」

「ううん。叔父さんは王都に行くじゃん。王都には何でもあるからいらないでしょ。そうじゃなくて、僕とルーは――」

「下がって、爆薬よ!」

 ディアナの警告を聞き、イグニディスはルーベウスと共に、せーので、持っていた袋の中身を地面に開けた。

 母は弟を抱きしめて後ろに下がり、父はすぐさま、妹を自分の背後に隠した。

「おい二人共、何を……んっ?」

 声を荒げた父だが、途中で止まる。しゃがみ、瓶を拾い上げた。

「これは――」

「本当……に、とんでもない、ものを……持ち出して。ルベス! それと、イグニス君も。許しませんよ!」

 この時ようやくディアナが追いついた。はぁはぁ言いながら両膝に手をあて、咳き込んでいる。激しく走ってきたせいか、スカートの裾も、足も、泥だらけだった。

「大丈夫かい?」

 ハーシェルが優しく声をかける。ディアナは顔を上げたが、はっと横を向いた。走ったせいで彼女は顔を赤くしていたが、いっそう赤くなったように見える。

 そんな彼女に、父が、瓶の一つを差し出した。

「この子達が持っていたのは、全て空だ」

「えっ」

「爆薬って、どうしてそう思ったの? そもそも、そんなもの扱ってる?」

 母が尋ねる。聞かれた側は困惑顔で肩をすくめた。

「祖父が……。子供達が爆薬を持ち出したから、追いかけてほしいと私に言ったんです」

「あらまぁ、お爺さんがねぇ」

 母はわずかに顔をほころばせる。厳しい顔をしようとして失敗したようだ。

「じゃあ私、この子のおしめを換えなきゃいけないから」

「手伝おう」

 父が妹の手を引いて申し出る。

「それじゃあハーシェル、出立前に悪いけれど、しばらく、ディアナと一緒に此処で待っててくれるかしら。イグは」

「納屋に行ってまーす」

 ルーベウスが代理で返事をした。

「後で呼びに来てください。そいじゃイグ、行くぞ」

「うん」

 ルーベウスにぐいぐいと手を引っ張られ、イグニディスはその場を離れた。

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