大事な友人

 納屋のすぐ隣に手洗い場が一つある。水源はすぐ下に設けた壺で、今朝、川から持ってきたばかりの水が、なみなみと湛えられていた。此処、ジルゴ村は王都と異なり、水道や電気が通っていない。井戸もない。水といえば、川から組むか、魔法で出すかだ。

 ひしゃくで水を汲み、手と刃を綺麗に洗った後、乾いた布を刀身にあてがう。その時だ。

「イグ! イグニディス!」

 少年が一人、跳ねるように駆けてくる。赤い瞳は吊り目がちで、さらさらした金髪は、見る角度によって銀色や青銅色に映る。彼の名はルーベウス=シロエ、一つ年上の親友だ。行商人の子で、昔から、定期的にこの村を訪れている。

 村の大人は皆、彼を可愛い少年だと言う。イグニディスは、可愛さについてはよく分からなかったが、確かに、ルーベウスの見目は整っていると思う。だが外見より、彼のさっぱりした気質が好きだった。


「ルー、もうお手伝いは終わったの?」

「気ぃ利かせて抜け出してきたんだよ。今、お前の叔父さんがウチに来てっからさぁ」

「ふぅん、そうだっ――痛!」

「うわっ!」

 寄ってきたルーベウスが目を丸くする。イグニディスは顔をしかめて左手を見た。てのひらに、ざっくりと切り傷が入っている。血が一筋、手首の方に流れていた。

(そういえば、刃物を扱う時は目を離しちゃいけないって、父さんが言ってたっけ)

「切ったのか。魔法で治療してやるよ。ほら、手ぇ伸ばせ」

 ルーベウスに左手首をつかまれ、引っ張られる。

「消痛・血・止癒・皮・再覆(しょうつう・けつ・しゆ・ひ・さいふく)」

 痛みが和らいだ。だが血はゆるやかに出続けているし、傷口もいっこうに塞がらない。

「ありゃ? おかしいな」

 彼はもう一度詠唱をし直した。だが痛みはこれ以上おさまらず、血も止まらない。

「変だな~。なぁ、ここ、エーテラいるよな?」

 ルーベウスは手をあげて目の前の空気を引っ掻き回す。エーテラは精霊の一種で、大気や水中など、至るところに無数存在する。非常に小さいため、肉眼で見ることは不可能だが、彼らはこちらの魔力と引き換えに、様々な超常現象を起こしてくれる。

「気にしないで、ルー」

 そっと、服の裾で手を拭いた。

「僕、昔から、治癒魔法があんまり効かないんだ」

「えっ、なんで?」

「分かんない」

「医者に診てもらえよ……っても、そうそうかかれねぇよなぁ」

 イグニディスは頷く。ジルゴ村には医者がおらず、産婆が一人いて、彼女が医者の代わりを務めていた。


 幸い、血は自然に止まった。イグニディスは、今度はよそ見せず、しっかりと見ながら布を動かした。乾き、綺麗になったナイフを鞘に戻す。

「ルー。三日後には、うちの村……出ちゃうんだよね」

「そうだなぁ」

「延期とか、しないかな」

「多分しねぇな。天気が荒れれば別だけど」

「そっか」

 相槌を打ちつつ、イグニディスは寂しい気持ちを抱く。

(ルーがずっと、ジルゴ村にいてくれたらいいのに)

 別れが辛いのは毎度のことだが、今回はことさら悲しく感じる。つい昨日、こんな話を彼から聞いたせいかもしれない。

『俺、あっちこっち旅しているから、いろんな村に友達がいるけど、お前といる時が一番楽しい』

 嬉しかった。その分、余計に別れが辛い。これまでは『ルーはよその村に、仲のいい子がたくさんいるんだろうから、僕は僕で、ルーがいなくてもやっていこう』と思えていたのに、それがなくなった。

(嫌だなぁ……)

 涙が出そうになる。だが泣き顔なんて見せたくない。イグニディスは腕をぐいと動かし、目をこすって平静を装った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る