兄弟の夢は殺しの願い

藍江亜衣(あいえあい)

第一章

檻の中の魔獣

 納屋の隣、檻の中で、ネズミが一匹、ギィギィと鳴き声をあげている。針のように尖った体毛、トゲのついた尾、巨大な体。後ろ二本足で立ち上がれば、六歳のイグニディスと、頭の位置を並べるだろう。瞳は真っ赤で、左右に二つ、額に一つ。むき出しの前歯は、犬をも食い殺しそうなほど鋭い。

「ようやく捕まえた。この魔獣め」

 怒りを込め、イグニディスは檻を蹴る。

「お前のせいで、うちは冬を越せなくなるところだったんだぞ!」

 イグニディスは腰につけていたナイフを抜き、勢いよく檻の隙間に差し込む。刃先は獣の足を深々と傷つけた。

「ギィイッ、ギィッ、ギーッ!」

 相手は血を流し、檻に何度も体を打ちつける。いつものイグニディスなら、おびえて後ろに下がっただろう。今は怒りの力でその場に踏みとどまっていた。

「許さない……許さない!」

 何度も何度もナイフを突っ込み、背や脇腹、腰を刺していく。獣は、母屋にまで聞こえるような金切り声を繰り返した。


「イグニス!」

 ふいに、後ろから鋭く呼ばれる。イグニディスはナイフを振り上げたまま振り返った。

「父さん」

「何をしているんだい」

 問われ、イグニディスは体をずらし、檻の中を父に見せた。彼は驚いた顔をした後、そうか、と静かに言った。

「ようやくかかったか。……で、お前はいったい何をしている?」

「僕はこいつをこらしめるんだ。体中刺して、ズタズタにして殺してやる。魔獣はやっつけるものだって、母さん、言ってたし」

「そうだ。魔獣は人間も家畜も襲う。駆除しなければいけない。だが」

 父は手を差し出してきた。ナイフを寄こせという合図。イグニディスはそのまま、持っていたものを彼に手渡した。

 父は血濡れた刃先を眺めた後、ふっと息を吐いた。

「相手を苦しめてはいけないよ」

「でも、こいつを逃したら、うちだけじゃなくて、村のみんなが被害にあうよ」

「逃がしはしない。魔獣は殺さなくてはいけない」

 父はナイフを返してくれた後、腰に下げていた剣を抜く。白い刀身はよく研がれており、すらりと長い。

「やり方がある。イグ、父さんの後ろに下がっていなさい」

 イグニディスが下がると、父は、檻の扉にあるツマミを左手で開けた。手負いの魔獣は動かなかったが、父が剣の柄で檻の後ろを叩くと、身を引きずるようにして外に出る。


「空・固・縛(くう・こ・ばく)」

 父が古い言語を唱える。魔獣の周囲の空気が動き、見えない枷となって、血濡れた体をその場に縛りつけた。

「いいかい、イグニス。こうするんだ」

 父は剣を振り上げ、魔獣に向けてまっすぐ落とした。切るために鍛えられた鋼は、瞬時に対象の首を刎ねる。血とともに、魔獣の頭は地面に転がった。

「覚えておきなさい。苦しめて殺すことはしてはいけない。どんな相手でも一瞬で仕留める」

「どんな相手でも?」

 イグニディスは父の言葉を繰り返す。彼は「そうだ」と頷いた。

「どんなに憎くても、恨みがあっても、嫌いでも……決して、いたぶってはいけない。命を奪う時は一撃で。これが鉄則だ。このこと、決して忘れてはいけない」

 父の言葉はとても重々しかった。イグニディスはかしこまって、はい、返事をする。

「いい子だ。それじゃあナイフを洗っておいで。ちゃんと手入れをするんだよ。でないと、すぐ錆びてしまうからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る