そんな君は知らない

「カミル! カミル! 待ってくれ!」


 大声で呼びながら、数十歩ほど先を歩いている背中を追いかける。


 すれ違う生徒たちから、何事だと訝しむ視線が集まるが、これはわざとだ。ざわめきが周りに広がると、カミルも私に気付いて、非常に嫌そうな顔をして振り向いた。こうでもして大袈裟に騒がないと、彼は泣いて追い縋ってもスタスタ無視して行ってしまいそうなところがある。


 作戦が功を奏したのか、カミルは立ち止まってくれた。私が息を切らして追いつくと、むんずと首根っこを掴まれる。


「別の場所行くぞ」


 連れて来られたのは、人気のない研究棟の文化資料室だった。


 図鑑や貴重書物を保管しておくためだけの用途に作られたような部屋で、図書館はまた別に存在するのだが、教師かつ研究者でもあるこの学園の教員たちが私的に集めた資料や、論文作成のために手元に置いている書物が主に置かれている。


 どういう交渉を先生たちとしたのか、カミルはこの資料室に自由に出入りしていいことになっているらしい。趣味が古文書解読だという歴史教師のエレオノーラ先生あたりが「勉強熱心な生徒は大歓迎ですわよ〜」とでも言って軽く許可したのだろう。


 バタン、とカミルが後ろ手で重い扉を閉めたので、これで部屋には彼と二人きりだ。カミルはこちらを向くなり、刺々しく尋ねた。


「何の用」

「さ、さっきのことで」

「気にしてない。以上。じゃ、失礼」


 ドアノブから手を離していなかったカミルが、ぷいと部屋から出て行こうとするので、私は慌てて駆け寄った。


「は、話を聞いてくれ! 私は知らなかったんだ、君たち騎馬民族があんな風に言われているなんて……いや、知らなかったから悪くないという訳でもないが……なんだ、その、私は彼らの言葉に同調する気はないんだ。それだけは信じてくれ」


 喋っているうちにしどろもどろになって、ますます言い訳がましくなる。

 まずい。こういう中途半端な姿勢こそ、カミルが一番嫌うものだ。あたふたしていると、カミルが長いため息を吐くのが聞こえたので、私はビクッとしてしまった。


「あのさ、アルバ」


 恐る恐る顔を上げると、カミルはなんとも言えない表情で私を見ていた。その琥珀色の瞳には、怒りの色は混ざっていなかった。


「おれは本当に気にしてない。嘘じゃない。そりゃ、出身をあげつらってグダグダ言う野次馬共にはムカつくけど、あんなのもう慣れたし。いちいち気にして暮らせねえっての」


 涼しい顔で手をひらひらと振るカミルに、私は言葉を失った。


 蛮族。異教徒。変な頭。あれだけ偏見にまみれたことを言われて、カミルが平然としていられるとは思ってもみなかった。


 いや、偏見だけなら、まだしもいい。しかし私は、カミルの事情を知っていながら、味方のつもりでいながら、口をつぐんでいることを選んだのだ。軽蔑されても仕方がない。


 なのに、カミルは面倒そうに長い三つ編みの髪をかき上げて、


「あんたも割り切りな。こうなることは分かってたんだよ。あいつらの悪口に同調してたって別にいい。おれだって周りに取り入るために必要だったら、魔族の悪口ガンガン言うんだし」


 やけにさっぱりした彼の態度は、私が初めて見るものだった。少なくとも、幼い頃の彼ならそんなことは言わなかった。


「……でも、私は君の悪口を言いたくないし、周りに君の悪口を言われるのも嫌だ」


 衝撃からか、素直な気持ちがぽろっと溢れた。しかし、カミルは一笑して退ける。


「何の義理があってそんなこと」

「決まってる。我々は幼馴染じゃないか。その幼馴染に、不当な中傷があったら聞き捨てならない。私は反論するべきだった」


 必死で語る私から、カミルが居心地悪そうに視線を逸らして、舌打ちを放った。


「そうやって味方ヅラされたり、無駄な心配される方が嫌だっての。いちいち目くじら立てて余計ないざこざ起こして、せっかく入れた学園追い出されたらどうしてくれんの」


 そういう問題だろうか。と思ったが、そこまで強く言われては、引き下がるしかない。

 ひとまず黙ったものの、納得いかない思いが表情に現れていたようだ。こちらにちらりと鋭い視線を投げたカミルが、「なんだよ」と呟いた。


「だいたい幼馴染つったって、もう三年も会ってなかっただろ。変わるよ、人は。おれも変わった。昔みたいに直情的にキレたりしない。それよりも、うまく世の中を渡って行きたいからね」


 今度こそカミルはドアノブを回して、背中を向けたまま出て行ってしまう。去り際に彼は吐き捨てるように、


「それとも、寿命の長い魔族にとっては、数年くらい大した時間じゃないのかも知れないけどさ」


 皮肉げなその言葉を残したまま、バタンと閉じられた扉の音が部屋に反響した。


 そうして、カミルは行ってしまった。

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