人見知りと猫かぶり 1

 晴れて皇都の名門リセ・ルージュ学園に入学を果たしてから、早一週間。


 友だちが、できない。

 なぜだ?


「人見知りだからだろ」


 カミルは、私が一週間も取り組んでいた難問をシンプルなひとことで片付けた。


「あと授業初回の自己紹介で失敗した」


 悔しい。

 何が悔しいかと言えば、補足まで含めて彼の回答が花丸大正解なのが非常に悔しい。


 確かに私は人見知りだ。見渡す限り知人しかいない、極端な閉鎖環境である田舎のルチア島に生まれ育って十五年。外部の見知らぬ人間といきなり話す経験など、海辺で遊んでいて巨大サメと遭遇した回数よりもはるかに少ない。人見知りにならない方がおかしい。


 しかし! だからこそ、こうして島の外にやってきた今、自分から一歩踏み出して、新しい学校の仲間たちとの繋がりを築いていきたいものではないか!


 ……と、気合を入れて臨んだ初回の授業で、盛大にやらかした訳だが。


「しかし、しかしだカミル、私はそんなにマズいことをしたか? 現に、マッチを食べた私は、ちょっと口の中を火傷しただけで、全然ピンピンしているじゃないか。本人が平気なのだから、周りが騒ぐことはないだろう」

「あんた、本気で魔族なこと隠す気あんの?」


 食堂でふたり、向かい合わせに昼食をとりながら、カミルは呆れきった声で言った。


 魔族、という単語が出てきて、誰かに聞かれないかと一瞬焦ったが、よく見たら私たちのいる席の周りには人がいない。同じクラスの者たちも、若干私たちを遠巻きにしている感じがする。


 これなら私の秘密を口にしても大丈夫だろうが、それ以上になんだか悲しい。がっくり肩を落としつつ、私はシチューの皿をスプーンでかき混ぜる。


「……仕方がないだろう。私はどこを向いても魔族だらけな環境で育ってきたんだ。腕を折ったり関節外したりしないだけライトな芸だと思っていた」

「そもそも自己紹介で一発芸をしようとするもんじゃないの。普通、初対面でお近づきになりたいと思うような奴って、火の玉呑める相手じゃなくて、感じよく話せる相手だろ」


 ぐうの音も出ない。


「分かったら、あんたも話し相手がいないからって、おれにくっ付いて回るのをやめんだね。せっかくリセ・ルージュ学園に入ったんだ、おれは地位と金のある相手と仲良くなりたい。魔族とつるんでる暇はないの」


 ぴしゃりと撥ね付けられて、どん底まで気持ちが落ち込む私を尻目に、さっさとランチを食べ終えたカミルは席を立った。


 揺れる三つ編みの髪を恨めしく見つめて、私を置いていく背中を目で追う。すると、食器返しながら料理人に礼を言ったところで、彼はクラスメートに声をかけられていた。


 その場でカミルは、パッと笑顔に切り替わる。先ほどまで私に見せていた、無愛想な表情や皮肉っぽい嘲笑の影は跡形もない。


 まさに、話しかけたくなるような「感じのいい相手」。

 私は何度目か分からない感嘆のため息を吐いた。やはり、カミルはすごい。薄情だと思いつつ、私が見放されるのも当たり前だと納得してしまう。


 ……彼の自己紹介は、私とは対照的に大成功で終わっていた。


『はじめまして。おれはカミル・アジャール、とあるアカデミー・サロンの推薦と支援を受けてこちらに入学しました』


 あの日、満点の笑顔で彼がそう告げた途端、さざ波のようなざわめきが教室に起こった。


 私も聞いて驚いた。アカデミー・サロン! 上流階級の貴婦人たちなどが「知の擁護者」と称して、さまざまな文化人を呼び集める社交の場だと、噂で耳にしたことがある。サロンの主人たちは、なにぶん権力と資金力があるので、下層階級の貧しい知識人や将来有望な若い学者を支援する役割も担っているらしい。


 しかし、そうは言ってもやはり、基本は貴族の社交場だ。サロンに所属する者からの紹介状やツテがなければ、支援の目に留まることもない。カミルはいったいどうやってアカデミー・サロンとの繋ぎを作ったのだろう?


 いや。私は、彼がそれを成し得た理由を知っていた。


『親切な方々のご厚意により、こうしてリセ・ルージュ学園で学べることを本当に嬉しく思っています。将来は官僚として、ブランシェ帝国の発展のために役立てる人間になりたいと願っています』


 すらすらと、どうせ思ってもないであろう入学への感謝と、持ち合わせているはずもない帝国への忠誠心を語る。その顔には人当たりのよい好青年の笑み。隙がなかった。

 そうなのだ。昔から、彼はこういう人間だった。


『こんな田舎者ですが、どうか皆さんに仲良くしていただきたいです。古代の詩にもあります通り、「海の色は青のみならず、麦の色は金のみならず、」えー……』


 そこで初めて、カミルは立板に流れる水のようだった言葉を切った。

 どうしたのかとクラスメートたちに見つめられたカミルは、みるみる顔を真っ赤にした。するとそこへ、担任のエレオノーラ先生の助け舟。


『「海の色は青のみならず、麦の色は金のみならず、虹の色は虹のみならず、人の心は雪にあらず」。一見、一つの色だけで表せそうなものでも、本当はもっといろんな色を持っている。同じように人の在り方も十人十色で、雪のように一色ではなく、虹の色より多彩である。うふふ、面白い詩を覚えてきましたのね。次は後半まで言えたら素敵ですわよ、アジャール君』

『あはは……。すみません、気負いすぎちゃって、昨日せっかく覚えたのに記憶が……』


 恥ずかしそうに頭を掻くカミルに、笑い声が起きた。格好つけようと頑張りすぎてから回った、初々しい少年に対する好意的な笑い声だった。


 ちなみに私も、件の詩を暗唱できる。三年ほど前にカミルが教えてくれたからだ。記憶力のいい彼は、一度読んだ本、特に詩の本はその場で覚えてしまうので、私が頼むとよく聴かせてくれたのである。

 ただし、その詩に感動していたら「ま、おれには海なんて青一色にしか見えないけどね」と台無しにぶち壊してくる、いらないオプション付きだったが。


 そう、こういう奴なのだ。


 彼の口の上手さ、根回しの上手さ、計算高いくせにそれを外面にはおくびにも出さない社交力の高さは、子どもの頃から目を見張るものだったが、久々に会ったらさらに進化していた。アカデミー・サロンとの繋ぎを手にしていたのも不思議ではない。私には到底真似できない芸当である。


 カミルの挨拶は完璧に終わりそうだった。

 ただ一度だけ、気になる瞬間もあった。それは、終わり際に上がった、誰かの無邪気な質問。


『その長い髪、なんで三つ編みにしているんですか?』


 一瞬、ひやりとしたが、カミルは笑顔を崩さずに答えた。


『実家の風習です。特に意味はありませんけど、これに慣れているので』

『それ、オレ知ってる! 辮髪って言って、東方の騎馬民族の習慣だろ。あれって後ろの髪だけ残して編んで、頭のてっぺんは剃るもんじゃねえの? なんでアジャールは剃ってないんだ?』


 素直な好奇心に満ちた疑問だった。ここの生徒は、貴族の子女か、広いブランシェ帝国の中でも中心地である皇都で主に育ってきた子たちが多い。異民族に触れる機会はこれまでほとんど無かったのだろう。

 カミルは少しだけ眉を動かした。が、笑顔はやはりそのままだった。


『一口に騎馬民族と言っても、何百もの部族がありますからね。辮髪の伝統もその数だけ種類があります。おれは前髪も頭の髪も全部残しているから、ほとんど普通の三つ編みと変わりませんね』

『へー。それにしても、東の蛮族でも古代の詩なんて知ってんだなー』


 蛮族。

 カミルの隙のない笑顔が、一瞬、明確に凍りついた。

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