アルバ・ルチア―ナの事情 2

 蘇るのは、やはり幼い頃の記憶。


『レオンいんちょ、どうして地図には、せかいの果てがかかれていないの?』


 ここが大陸、ここが地中海、そしてその地中海にぽつんと浮かぶ豆粒みたいな島が、ここルチア島。


 そう示されたブランシェ帝国の地図は、ぎりぎりいくつかの隣国との国境が描き込まれているだけで、世界の全体図はどこにもなかった。


『そりゃあな、アルバ。それぞれの国が自分の領土を描いた地図は持っているが、誰も世界全土を正確に描いた地図なんて作ってねえからだよ。世界の果てなんて、まあ、誰も行ったことないし、描きようがないんだろうな』

『だれも行ったことのない場所なんてあるの?』

『ああ。世界には、まだ探検されてない場所がたくさんあるんだ。この大陸の中でさえ、北の極地の果ては分からないし、中央山脈の山頂は前人未踏だ。それに、外国のことは、現地の人々には当たり前のことでも、俺たちは知らないことだらけだろ』

『極地、外国……! すごい、行ってみたいよ、いんちょ! いっしょに行こ!』

『ははは……そうだな。外国はともかく、今の時点で未探検とされる場所は、生身の人間にはちょっと難しいところばかりだからなあ。俺が行けるかどうか』


 レオン院長はルチア島では珍しく、魔族ではない大陸から来た人間だった。そのため外の世界に詳しく、私は暇さえあればレオン院長に質問をしていたのだった。


 私はレオン院長の言葉を何度も反芻して考えた。生身の人間には探検が難しい。なるほど、半魔の私や魔族の子どもたちさえ、拳骨ひとつで黙らせるあのレオン院長がそう言うなら、本当にそうなのだろう。


 では、半魔になら、どうだろう。

 人間が行けない土地も、半魔の私や魔族の仲間たちなら、探検することができるのではないか?


 それで正確な世界地図を作れる、国の役に立つということになれば……私たちを忌み嫌っている人間たちも、魔族が居住区から出るのを認めてくれるのではないか?


 地図は自国の領土を理解し、統治するために非常に重要な物だ。今は魔族を排斥しているブランシェ帝国の政府や皇帝も、私たち魔族の有用性が分かれば、迫害をやめるのではないだろうか?


「……だから私は、この三年間を完璧な模範生として過ごし、主席卒業生として皇帝の前にお目見えする機会を掴む。そしたら、その場で自分の本当の素性を明かし、魔族の地位向上と、ブランシェ帝国のために世界地図作りの旅に出る許可をいただくのだ。どうだ、とても現実的かつ、堅実な計画だろう!」

「なんとも命知らずかつ、身の程知らずで考えなしな妄想としか思えないけど……」

「なんとでも言え! とにかく、私はルチア島の期待を背負い、立ちはだかるレオン院長を三日三晩かけて説得して、やっとこの場所に立ったのだ。だからどうかその、……私のことは黙っていてくれると嬉しい」


 最後の方は尻すぼみになって、弱々しく頼むと、カミルは少し何かを考えるそぶりをしてから、ため息をついた。


「仕方ない。おれも、魔族に古い知り合いがいたと知られたら、厄介なことに巻き込まれそうだし。ここはお互い何も事情を知らない初対面同士ってことにして、学園生活をやり過ごそう」

「すまないカミル。恩に着る!」

「勘違いするなよ。あんたの味方になった訳じゃない。アルバみたいな誇大妄想じゃなくても、おれにも野心くらいあんの」

「野心?」


 私が聞き返すと、カミルは利発そうな琥珀色の瞳をきらりと光らせた。


「そう! おれの座右の銘は損得勘定、それと立身出世! この学園を卒業したら、政府の高官になって金と地位と権力をあり余るほど手にしてやるんだよ!」


 己の野望を語るカミルは、実にいきいきとしていた。性格はひねくれ気味なカミルだが、つくづく目標は単純明快である。すばらしい。


「だから、魔族なんていう危険分子の知り合いなんかと関わってる暇はない。なんなら、いざとなれば、帝国への忠誠心を示すために、あんたを売ることくらい簡単にする」


 脅すようにそう言ってくるカミルの目が、今度は暗く光った。彼がどこまで本気なのか分からず、私はちょっと身を硬くする。


「皇帝のお膝元の皇都で三年ものんきに学校生活を送ろうなんて、お花畑の頭してるとしか思えないけど、せいぜい頑張るんだね」


 背中を向けたカミルは、ひらひらと手を振って去って行った。


 ……せっかく再会できた彼と、これから距離を置かなければならないのは、正直寂しい。しかし確かに、秘密を知る者同士が集まっていると、バレやすさも高くなる。

 それにいざという時、彼が身近にいたら、彼も魔族の保護と隠匿の罪で罰せられてしまうかも知れない。彼を巻き込まないためにも、これが最良の選択なのだろう。


 そう考えた私は、気を取り直して、皇都での己の巣となる学生寮の部屋に向かった。


 ルームメイトはどんな相手だろうか? 歩きながら私は、緊張と不安で冷や汗が出てきた。なにせ、今まで島育ちで、知らない人間と会話する経験がほぼ皆無だったのだ。新たな相手と会う時は、人見知りという言葉では済まないくらい、がちがちに緊張する。


 それでも、いい奴であってくれると嬉しい……。

 私はそう願いながら、男子の学生寮に足を踏み入れた。事前に告げられていた部屋番号を探して廊下を歩く。


 ――すると、自室の扉の前で、先ほど別れた三つ編みの少年とかちあった。


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔。というのを、カミルの顔で見られるとは思わなかったので、なかなか見ものだった。


「……は? 嘘だろ? 部屋同じ?」

「あっ同じだ。なるほど、カミルが私のルームメイトなのか。ああ、知ってる顔で安心した!」

「ふざけんな! もう絶対これアルバが捕まったらおれも共犯扱いされんじゃん! 三年間この爆弾抱えて過ごせっての?!」

「わははは、一蓮托生だな! 無事な卒業を目指して共に励もうじゃないか!」

「クッソ最悪……!」


 結局、旧い友人とは仲良くやっていくしかなさそうだ。地団駄を踏むカミルを眺めながら、私は無限の期待を胸に扉を開ける。


 これから私がこの学園で目にするすべては、未知の世界。開かれる扉の隙間から、リセ・ルージュ学園の三年間へかける希望の光の輝きが溢れてくるようだ。




 どうかこの光が、裏切られることがありませんように。

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