アルバ・ルチアーナの事情 1
小さい頃から外の世界に出てみたかった。
島を出て、広い世界を自由に探検したかったのだ。
「それは無理だ」
その夢は、割と早々に容赦なく打ち砕かれた。
「いいか、アルバ。お前は賢い。体力もある。俺だって、お前の行きたい所には何処へだって行かせてやりたいよ。だがな」
地図を片手に質問に来た私の肩を掴み、普段は放任主義でおおらかなレオン修道院長は、いつになく真剣な眼差しで告げた。
「お前は魔族だ。人間と魔族の間に生まれた半魔なんだよ。お前はこのルチア島から出られない。出たら殺されてしまうかも知れない」
レオン院長の瞳には、魔族の証である真っ紅な目をぱちくりと瞬かせる、幼い私が映っていた。
その通り、私は半魔だった。しかし、そのことを変なことだとは思っていなかった。孤児である私と、私を世話するレオン院長が暮らす修道院のある森を出ていけば、鉱山労働者たちが住む村々があり、そこにいる人々はみな当たり前に魔族だった。
自分に不満があるとすれば、村で仲のいいヤヌスやエーファは、激しく遊んでいるうちにちょっと腕や足がもげてもすぐ新しく生えてくるのに、半魔の私はそこまでの回復力を持っていないことぐらいだった。
それで拗ねて「自分も腕をもぎたい」と駄々をこね、「んなモンもぐな!」とレオン院長から拳骨を食らう程度には、私はアホな子であった。
「レオンいんちょ、なぜまぞくだとルチア島をでてはいけないの?」
「それは……そうだな……」
何も知らない私が純粋な疑問を尋ねると、いつも明快で細かいことを気にしないレオン院長は、珍しく返事を曖昧に誤魔化した。
当時は不思議だったが、どんなにアホな子だった私でも、成長するにつれて事情は察せられてくる。
要するに魔族は、この世界では邪魔者として扱われているのだ。異様な力、異様な見た目をしている魔族は、世界の創り主である光明神に逆らった異端者の末裔として忌み嫌われ、僻地に隔離されているらしいことが分かってきた。
このルチア島も、その隔離先の一つというわけ。身体が丈夫な魔族は、この島で危険な鉱山労働に従事することで、凄まじい迫害の中でもなんとか絶滅させられずに、居住地区内で細々と生きていくことを許された。
ルチア島の魔族たちは、この地で生まれ、育ち、一生を終えて死んでいくことが決定していたのだ。
それは半魔の私も同様だった。
探検家になりたいという夢など、ハナから実現不可能なものだった。そう思い知らされた幼い日の私は、レオン院長にも村の皆にも見つからない場所に隠れて、ひとり海を眺めて泣いた。魔族が一生渡ることを許されない遥かな大陸の影を見つめて泣いた。
私はただ、外に出たかったのだ……。
「――で」
時は過ぎ。
十五歳の私は、永遠に踏むことがないと思っていた大陸の土を踏んだばかりか、ブランシェ帝国でも屈指の名門校リセ・ルージュ学園の制服をこうして身にまとい、これから三年間を皇都で暮らそうとしている。
あの頃の無鉄砲な私でさえ、夢にも見なかった奇跡だ。こうして皇都の空気を吸い、景色を見ている一瞬一瞬ですら涙がにじんだ。
掴んだチャンスを無駄にはしない。私はこの地でたったひとり、まったく新しい人生を始めるのだ!
そうはしゃぎ倒していたところへ、
「何してんのアルバ」
秒で知人と再会した。
「ちゃんと説明してもらうからな。なんであんたが、リセ・ルージュ学園に入るなんて暴挙に出たのか。いや、そもそもなんで入学できたのかから意味が分かんないけど」
入学式を終え、クラスの顔合わせや諸々の案内が終わって解散した直後、私はあるクラスメートに人気のない階段の踊り場まで連れ出され、尋問を受けていた。
いや、クラスメート……というより、幼馴染と言った方が正しい。三年前までは親交があったが、あることをきっかけに疎遠になったまま、互いの近況も知らなかった。
背中までつく赤茶色の長い髪を一本の三つ編みにして垂らした少年は、不機嫌そうに腕組みして壁にもたれている。
カミル・アジャール。私と同じく、リセ・ルージュ学園の新入生。
実をいうと、彼の本名は別にある。彼の出身はいわゆる西方大陸の国ではなく、本来の名だとブランシェ語では少し異質な響きになるというので、カミルという西方風の名前を名乗っているのだ。
と、いう彼の私的な事情を、私は知っている。それだけ彼とは近しい関係だったのだ。かつては。
私は彼の前で、ただでさえ小柄な体躯を縮こませながら、おそるおそる尋ねた。
「あー……説明はもちろんするとも。けど」
「けど?」
「さ、最初に確認しておきたいというか。その……私がここに来た経緯を洗いざらい話したすぐ後に、憲兵がぞろぞろやってきて、私をいきなり連行していくような事はやめて欲しいのだ。なにせ私は、君がよく知っている通り……」
魔族だから。
その単語を口にする前に私は言葉を切った。
そんな私を、彼はもともと吊り気味な琥珀色の目をさらに鋭く吊らせて、じろりと睨んだ。
「なにそれ。おれが憲兵にあんたのことを密告するとでも疑ってんの?」
「ま、まさか! 君のような旧知の友を信用しないはずないだろう!」
「あ、そう。実はさっきまで、最寄りの憲兵所に駆けつけて通報しようか迷ってたんだけど」
「我が友?!」
叫ぶ私に構わず、カミルは心底やる気なさげに耳の穴をほじりだした。
「賞金首の犯罪者と違って、魔族は捕まえて兵士に届けても金一封くれるか分かんないしなあ……。半魔だとますます扱い面倒だし。おれ、金が出ないかもしれないことに労力使いたくないんだよね」
「なるほど……。さすがはカミル、相変わらず損得勘定だけを指標に生きているだけある」
感心と懐かしさで、場違いにも胸が暖かくなってしまった。
そんな私のほっこり顔を見たカミルは、面白くなさそうにそっぽを向いた。彼がこういう仕草をするのは、だいたい照れているのを隠している時である。
なんだかんだ言って、彼もこの再会に懐かしさを感じてくれているようだ。それを誤魔化すように、カミルは横目でちらっと私の全身を眺めて言った。
「ていうか、あんた、なんでズボンなの? それ男子制服だろ。男として生きてくつもり? おれが知らないうちに彼女でもできた?」
「男子制服? ああ、言われてみれば。入学試験で適当に男として登録したからかな、どちらでも良かったのだけれど」
「へえ。なんだ、深く考えてたわけじゃないのか」
それが妙に安心したような響きだったので、怪訝に思ってカミルの顔を覗き込むと、彼はすっと仏頂面に戻った。
「……てことはやっぱり、両性具有の魔族っていう身元は隠して入学してきたってわけだ。密入国プラス密入学」
「うっ。し、試験で不正はしていないぞ! 私は偽造したプロフィール以外は公正な審査を経て、奨学金を手にした。そもそも、入学規定にだって、魔族お断りとは明言されていないはずだ!」
「それはごもっとも。その代わり、ブランシェ帝国の法律では、居住区から逃げ出した魔族は即刻捕まえて打ち首ってことになってるけど」
すさまじい勢いで気持ちが沈んだ。
そう。この国では、魔族は何もしていなくても犯罪者以下の扱いなのである。昔から知っていたことだが、改めて聞くと普通に辛い。
めそめそと落ち込む私を、カミルが意地悪くからかう。
「あんたの泣き虫も変わってないな。レオン院長先生も、よくこんなことを許したもんだ」
「……なんでもいい。こうして出てきたからには、私はもう引き返せない。リセ・ルージュ学園への入学は、私の大いなる野望の序章でしかないのだ。ここで怖気付いていられるものか」
「はあ。大いなる野望?」
「そう! 私は世界を旅する探検家になる! そして前人未到の地を踏破して、史上初めて正確な世界地図を作るのだ!」
拳を握りしめて宣言した。途端に、目に映る世界がきらきらと輝きだす。
これが夢の持つ力なのだ。視界の端でぽかーんと呆れ顔をしているカミルのことなど気にもならない。
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