リセ・ルージュ学園のままならない日常

三ツ星みーこ

第一部 新入生と緋色の学園《リセ・ルージュ》

夢の地、そして望まぬ再会

「 しょうらいのゆめ

  あるば るちあーな


 わたしは しょうらい せかいをたんけんする たびびとになりたいです。


 このしまのことも しまのひとたちも レオンいんちょうも だいすきだけど、 わたしは もっとひろいせかいを あるいてみたいのです。


 いろんなものをみて いろんなたべものをたべて いろんなひととあって いろんなはなしがしたいです。


 そしてついでに わたしの きえた おかあさんや おとうさんを さがしたいです。


 ながいながいたびをして いつか しまにもどったら せかいちずをかいて みんなに みせてあげるから まっていてください。


 これが わたしの おおいなる やぼうです。……」




 ついに皇都にやって来た。


 駅馬車に揺られること一週間弱。プラットフォームに降り立った時から気分は最高潮だ。

 貨物馬車に無理に頼み込んで乗せてもらったおかげで、料金は旅客用の馬車よりも格安な代わり、荷物がぶつかるわ酔いは酷いわで全身すっかりぼろぼろである。


 だが、まばゆい皇都の姿を目にした途端、旅の疲れは吹き飛んだ。


 行き交う人々の煌びやかな服。星のように輝く街灯。淡雪に覆われた白亜と大理石の街並み。


 素晴らしい! 何もかも初めて目にする光景だ。これが噂に聞くブランシェ帝国の中心地、「白の女王」と名高い皇都ラ・グラシアなのか。


 まだ季節は秋の収穫月だというのに、うっすら雪が積もっているのには驚いた。同じ帝国内でも、最南端の島から出てきた私には、北の町の様子は新鮮だった。

 とはいえ、こんな早い時期に薄くとも雪が降るなど、この白き都でも相当に珍しいことらしい。


 入学式の日の初雪。

 これは神の奇跡だろうか。あるいは運命の祝福だろうか。


 重たい灰色の雲が立ち込める空。それを背景にそびえ立つのは、オーロラをガラスにして固めたようなステンドグラスの尖塔。

 あれこそは、大帝国ブランシェにおいて、最も高貴な血筋たる皇族が住まう宮殿である。


 修道院に置いてある古びた本で、何度も眺めていた絵そのままだ。私は言葉に尽くせない感慨に打たれながら、本で見たままの景色の中を歩いた。


 辺境の地で生まれ育った私がまさか、生涯で一度でも皇都の土を踏むことがあろうとは! 


 ああ、興奮が抑えきれない。私は新調したばかりの革靴の中で、足をもぞもぞさせた。あっちもこっちも見て回りたい!


 しかし、ぐっとその衝動を堪える。

 私は自制心のある人間だ。これから皇都の名門、リセ・ルージュ学園に入学する者として、軽率な行動は控えねばならないだろう。


 ただでさえ、貴族や大商人など良家の子女たちが大勢通うリセ・ルージュ学園に、自分は庶民の奨学生という微妙な立場で入っていくのだ。おまけに、辺境の田舎島である我が故郷、ルチア島から皇都の学園に合格者が出るのは、史上初の快挙なのだから。


 気を引き締めろ、アルバ・ルチアーナ。

 己の野望を果たすため、ここで全力の三年間を過ごすのだ!


 武者震いした私は、直後に、へッくしょい! と盛大なくしゃみを放った。

 訝しげな目で見てくる通行人を無視して、冷えてきた耳を覆うようにニット帽の端を引っ張る。もこもこで暖かい。修道院のレオン院長が、下手っぴなくせに慣れない編み物を頑張って作ってくれた、世界で一点ものの紅いニット帽だ。庶民が使うには色が派手だし、不恰好な部分も無いではないが、私はすっかりこれを気に入っている。


 街角のショーウィンドウのガラスで、自分の姿を確認。うむ、今日も可愛い。つやつやの肩につく長さの黒髪に、紅いニット帽がよく映えている。


 よく大きいと言われる瞳は灰色。これは、灰色の魚の鱗で作られたカラーコンタクトを入れているためで、本来の色は違う。生まれつきの瞳の色だと悪目立ちするのでコンタクトを入れたのだが、これもなかなか似合っている。


 ただ、身長がなかなか伸びないのも相まって、子どもっぽく見えるのが難点だ。学園で馬鹿にされなければいいのだが。


 そうこうして街を見物しているうちに、入学試験の際に通った見覚えのある道が現れる。もうすぐだ。はやる気持ちを抑えて、一歩一歩転ばないように進む。


 最後の角を曲がると、私の長年の夢の地の光景が、すぐそこに広がっていた。


 そびえる立派な金の門。その向こうには、焦げた赤茶のレンガ造りの校舎。

 大きさはちょっとした城のような建物で、窓枠のアーチに粉砂糖のような白い雪が積もっており、童話に出てきそうな幻想的な雰囲気を醸し出している。


 ここが、白き皇都の緋色の学園リセ・ルージュ


 周りを見ると、やはり生徒たちには裕福そうな階級の者が多い。同じ新しい制服を着た生徒たちにはそれぞれ一人か二人程度の侍従らしき人が付き添っていて、馬車なんかで送られて来ている者もいる。


 ひとり校門前でずんぐり膨らんだ鞄を抱えている私は、さぞ異質なのだろう。ちらちら視線を受けているのが分かり、私はますます俯いて、ニット帽をずり下げた。


 かまわない。もとより孤独は覚悟の上だ。むしろ、そうである方が都合がいい。なぜなら、私はちょっとばかり、他人にバレてはまずい秘密を持っているからだ。


 ここからは、私はひとり。

 私はここで新しく生まれ変わるのだ。私のことを知るものが誰一人としていない、この新天地で――!




「……え。あんた、アルバ?」




 しかし。


 私の決意と情熱は、横から突如かけられたその声で、一瞬にして砕け散った。


 嘘だ。

 ガクガクと不自然な動きで横を向く。私を見下ろしてぽかんとしているのは、背中まで垂れた赤茶色の長い髪を一本の三つ編みにした少年だった。


 その身にまとうのは私と同じ、キャメル色の地に紅い糸で校章が刺繍されたジャケットから、紅いスカーフとチェックのジレベストが覗く上品な制服。


 そして、幼き日の記憶に焼き付いている、ものすごく見覚えのある顔。


 絶句するしか無かった。


「……か、かかかかか、カミル……?! なぜここに……!」

「い、いや、おれもここの新入生だし……って、いうかあんた、ヤバいだろ! なんで皇都の学園なんて来てんのさ! 見つかったら命も危ないってのに!」

「ばっ、馬鹿カミル、騒がないでくれ!」


 凍りついた全身の硬直が溶けると、私は慌てて、手袋をしたままの手で彼の口を塞いだ。

 もがもがと呻く彼に、悪気がないことはよく知っている。知っているが、今周りに聞かれてはまずかった。


「おい離せ! 見過ごせるわけないだろ、だってあんた……」


 私の手を振り払ったカミルは、それでも一気に音量を落とすと、私と同じくらい真っ青な顔をして、掠れた声で言った。




「あんた、魔族じゃないか……!」




 カミルの瞳に映る私の目が、一瞬、真っ紅に光った――。

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