誕生日
霞草――無邪気、感謝、親切
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「昔のことですが、私はずっと透明は大人の色だと思っていました。あなたならまっすぐに否定するでしょうけれど、当時の私のまわりにはそれをしてくれる人がいなかったと前置きします」
少年は優しく頷いて真船の目を見た。真船も少年の瞳を見返しながら続ける。
貧しいおじいさんは自分の誕生日など覚えていないと文披に言った。
じゃあ明日をあなたの誕生日にしませんか。
彼の心は奇麗だった。でも彼にはお金がなかった。鍵っ子に持たされるお小遣いなどないに等かった。
でも彼はおじいさんに贈り物をしたいと思った。同じ寂しさを持つ人を慰めたかったのか、自分がそうして欲しいことを無意識になぞっていたのかはわからない。
彼は花を盗んだ。小さくて白い花で数本無くなったって気にされないだろうと思ったから盗んだと後で彼は言っていた。
おじいさんは喜んだ。二人は年齢とかその他のいろんな違いが気にならなくなるくらい通じあっていた。
真船は『友達』を盗られたような気がして良い気持ちではなく、彼と話すことは少なくなっていた。
だから気づけなかった。
君の誕生日を祝いたい。明日を君の誕生日にしてもいいかとおじいさんは彼に言った。冬の寒い日だった。
生活費にも困るような一人暮らしの老人が他人の贈り物をしたらどうなるのか。文披はまだ子供だった。
学校が終わって彼がおじいさんの家に行くとおじいさんは眠っていた。椅子に腰かけ、その手には小さなケーキがあった。灯油が切れたストーブは風音よりも小さい声で存在を主張しようとしていた。
「どうして寝ているんですか?」
おじいさんの手は冷たかった。
「一緒にケーキを食べようよ」
文披はケーキの上に置いてある蝋燭に火をつけた。小さな炎で彼はおじいさんの体を温めようとした。隙間風が蝋燭をいとも簡単に吹き消した。窓際に白い花が生けられた花瓶は凍っていた。
「おじいさん……!」
もう認めるしかなかった。おじいさんは亡くなっていた。
「冬の白い花なら霞草とかですかね…」
少年は静かに言う。
「さあ。わかりません」
もしそれが霞草だったならなんて皮肉だろう。なんて悲しい親切だろうと真船は思った。
彼が盗んだ花の値はおじいさんが支払っていた。彼は自分を責めた。自分の寂しさを理解してくれて、大切にしてくれた人の運命がこれならやりきれない。
花屋に謝りに行ったが、おじいさんが盗んだんだから気にするなと的外れな優しさを浴びせられた。
そうじゃないんだ。自分の罪を責めてもらうことすらできないのか。寂しいのは僕一人で、おじいさんは強かった。
誰もわからないならもう僕は一生これでいい。だれも自分の気持ちなんかわからなくていい。自分のことなんか気にしないでほしい。
「消えたい」
彼は病院で見舞いに来た真船にそう言った。4年後、彼はマンションの3階から飛んだが、足を折っただけで助かった。
「それじゃあ一緒に消えましょう」
真船は花を差し出した。
「私にはあなたの気持ちなんか今も昔もこれっぽっちもわかりません。同時に、私の気持ちも理解してもらおうなんていう高慢な感情もありません。盗んだ花で人を見舞うのは間違いですか?」
ずっと彼が死にたがっていることは気づいていた。でも自殺が失敗したことをこんなにもほっとしている。私はわがままだ。
「私はあなたを大切にしません。死にたいあなたを無理に生かしているんですから。だから大丈夫です。二人で透明になりましょう。誰にも理解されないままで透明になりましょう」
彼は泣いた。困った顔をしていた。それから一言、うん、とだけ言った。
「もう会えないね」
彼はその一か月後、退院とともに転校していった。お互い、透明を手に入れようとしていた。彼の痛みをとることができなかった私にも透明の罰はふさわしい。
「それで…?」
「それだけです」
真船はお茶を口の中で転がした。
「切ないですね」
少年は言った。
「でも、今は少し違うんですよね」
「ええ。もう今は誰かのせいで、透明になる以外の方法で彼と生きることができたんじゃないかと思うんです。彼のことは今もわかってるなんてことは言えませんが、二人して透明にならなくったってよかった。おじいさんだってきっと彼の色を守ろうとした。私がすべきだったことはもっと違うことだったのではないかと思うのです」
「心変わりは僕のせいですか?」
「その花束のせいかもしれませんね」
時間が来る。真船は立ち上がった。
「それでは」
風は冷たかったが、空は鮮やかだった。
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