10月31日
(真船…?)
変だ。彼女の姿はアイコンでも、マスクの表示でもなく、ただの白い点として津野の眼鏡には映った。つまり、彼女は透明人間になれるデバイスを何一つ身に着けていないということだ。
「津野。こんばんは」
(仮面はもういいのか?)
「うん、もういいんだ。それより今日は君に言いたいことがあるんだ」
(いや、待ってくれ。俺のを先に聞いてくれ)
「……いいよ」
二人はビルの間を歩いた。
(まず言わせてくれ。誕生日おめでとう)
「ありがとう」
(いいレストランを予約してあるんだ。君のために)
「いつになくキザだね。そういう演出?」
(昔話をしてもいいか?)
「……どうぞ」
真船は津野のいるであろう方を向いた。お互いに表情が見えないので意味はない。
(今年で俺たちは8年になる。大学の時ほとんど会わなかったけど、形式的に8年になる)
八年。それは人生の四分の一以上である。
(俺は大学の四年間君と距離を置こうとした。君を困らせたくないと思った)
「本音を言わせてもらえば、君に告白された時からずっと私は困ってたよ」
(知ってたさ。でも俺は子供だったし、近くで君を見ていたかった。例えるなら、そうだな、君はいつも澄んだ透明で、僕はそれにずっと憧れてたと言えるんだ)
真船は自分の手を見つめた。辺りは暗く、手のひらはぼうと白く浮かぶ。
(俺は君と同じ色になりたかった。会わない間考えた。やっぱりそばにいたい)
「そりゃあ成長が見られないね」
真船は茶化した。
(変わらないものがあったっていいじゃないか)
津野は言葉を切って立ち止まった。いつの間にかビルを抜け、色とりどりの夜景を映して東京湾が見えていた。
「君が好きだ」
かすれ声で津野は言った。
まだ息を吸おうとする津野の唇に人差し指をあてて静止した。
「そっか、ありがとう。…君はさ、私の透明なとこが好きと言ってくれたよね」
真船は手すりにもたれて湾を見下ろした。
「ここにはたくさんの色があるでしょう。君もそれがわかる。つまり私たちはこの夜景を共有できる。空もわかる。ビルもわかる。でもさ、私たち、お互いのことはわかんないんだよ。私にはもう色がついてしまった。でも君はそれをわからない」
「どういうこと…?」
「君は告白のせりふは口で言った。色を付けた。透明に憧れながらもやっぱり世界には色が必要だってわかってるんじゃないか?人は変わるんだよ。大人になるんだよ。透明の君も認めるよ。でもね、―ごめんね。無色の君には興味はないよ」
そのまま二人は別れた。その近くにレストランがあったそうなのだけれど、仮面がないと入れない店のようだった。津野は透明な夜の雑踏の中に溶けて行った。かぼちゃのランタンと幽霊のオーナメントがこの世界の象徴みたいに光っていた。
私は今日、生まれたんだ。
悲しいなんて感情はない。これでいいのだ。
透明を目指した私は周りをたくさん透明にした。透明を憎むわけではない。でも、お互いがお互いの色を認め合えたなら、この世界はまた色を取り戻せるんじゃないか。
気づくのが少し遅すぎたかな、と真船は笑う。世界も、私も。でも大丈夫。成長しようとし続けるかぎり人は成長できる。
明日はどんな色を見に行こう。
私に色を教えてくれた少年に再び会うことはないだろう。彼はこれからもきっと、色を盗み出す仮面屋で、訪れる客に次々に色を付けていく。
今は見えないだけですべてには色がついている。お互いにそれを守りあえたなら、それ以上きれいなことはないはずだ。
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