運動会
そもそも、真船は昔も今も運動会というイベントをあまり好かなかった。
自分が運動がやや苦手な僻みが入っているかは自分には何とも言えないが、透明化が謳われる時代にこの行事はあまりにも浮いている。
小学校に通うような子供ではまだ自分の仮面を持っていない子も多く、人と比べられながらその姿を親と他人に存分に晒すという羞恥の行事だ。もちろん、観客は皆、仮面を付けている訳だから、誰かがかけっこで転んでも笑ったりしないし、笑ってもそれが届くことはない。自分のチームが勝利しても祝福の拍手はしない。とてもシュールな行事だ。
妙なものだ。学校という施設は今も昔も『伝統』を愛しすぎる。時代の流れに抗い、奇妙さだけが残った。
真船の眼鏡が微かに電波を受信した。真船が感度を上げると、どうやら学校のアナウンスだ。
(これより、1時間お昼の休憩となります。児童の皆さんは5分前には自分の席についていてください。午後の最初のプログラムは4年生の徒競走です)
子供の声以外しない校庭に真船は入っていった。
少年を探さなくては。
彼は思いのほか早く見つかった。他の子供たちが両親の元へ行ってテントに入るか、家族の中で一人色を付けたまま空中から差し出される豪華なお弁当にぱくついている中、彼は校庭から逃げるように出た。
「待ってください」
マスクをずり下げ、真船は少年の肩を叩いた。
彼は目を丸くしたが、真船が弁当の包を掲げると何故か泣きそうな顔をした。
「ツノさん――ありがとうございます」
二人は校庭の外の植え込みのレンガに腰掛けた。
少年が弁当箱の蓋をとると、惣菜のおかずとビニールに包まれて買ってきたまんまの菓子パンが出てきた。
「いただきます」
少年は手をあわせた。
「ツノさん。マスクをしていてもいいんですよ?」
顎にマスクをずり下げたまま、半透明の真船を気遣うように少年は言った。
真船は鼻の下までマスクを上げた。ほんの少しだけ透明度が上がった。
「あなたが今、他の生徒と同様、顔を晒しているのでいいんです。今私が透明になったらあなたは運動会の日に一人で外で弁当を食べてる寂しい子供に見えますよ」
少年は真船をまじまじと見た。
「そっか。ありがとうございます」
少年はそう言って少しだけ腰をずらして真船の方に近づいて座った。
「運動会は楽しいですか?」
真船は尋ねた。少年は人差し指で自分の顎を軽くなでた。
「うーん、まあまあ楽しいです」
「どこが?」
「いつもは学校って他の人が来ないんですけど、運動会の日はたくさん来て見てくれるから、それが楽しいです」
「あなたは人に見て欲しいと思うんですか」
真船が心底理解できないという風に言うと、少年はその様子が変だったのか目を丸くし、少しだけ考えてから大真面目な顔をして続ける。
「そりゃ、見てくれたら嬉しいです」
「仮面を作る店の店主がそんなのでは良くないのでは?」
「良くないですかね。だって、がんばってるのを見てもらえる所なんて大きくなったらもうきっとないですもん。僕は見てもらいたかった」
少年は視線を弁当箱に落とした。
省略されているのは『お母さんに』だろう。残念ながら彼の母親がこれを見に来れることははい。
彼の様子を見て、彼の思想が自分とはかけ離れた到底理解出来ないものに思われた。
「見て欲しいなんていう感情は単なる自己顕示欲です。自分の事をわかって欲しいと思うことこそ全ての紛争の始まりなんです」
真船は吐き出すようにまくしたてた。少しムキになっているようだった。少年はまた顎をさすった。
「...大人になったらその、じこけんじよくは無くなるんですか?」
彼はそうですかとは言わなかった。
「それがきっと大人です」
「無い方がいいんですか?」
「じゃなくちゃ今世間の大人は仮面なんか買ってません」
少年はしばらく黙ってご飯を食べた。弁当箱の蓋を閉めてからつぶやいた。
「僕はそうは思わないなあ」
秋の風が吹いていた。彼は意見を消さなかった。
誰かと意見を交わしたのは久しぶりのことだったと感じた。
少年は箱を丁寧に包み治し、立ち上がった。
「ツノさんはこの後の競技を見ていきますか?」
真船は首を振った。
「いえ、私はここで帰ります。ここの生徒、誰の保護者でもないですから」
「透明ならそんなの関係ないですよ」
少年は口を尖らせたが、真船は立ち上がった。
「それでは。楽しんでください。店にはまた明日向かいます。それと、傘、ありがとうございました。立て掛けておきました」
事務的に言って踵を返す。
「じゃあまた明日、お待ちしています」
(休憩終了10分前です。4年生は準備を始めましょう)
放送が入った。トンボが飛んでいた。
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