大人

 少年は手紙を書いていた。真船が来店しても気づかないほどに真剣に一画一画丁寧な手書きで手紙を書いていた。


「あっ、いらっしゃいませ」


 真船がカウンター前の丸椅子に座ってようやく彼は顔を上げ、言った。手紙を慌ててカウンター下にしまい、取り繕うように咳払いなんかをした。


「誰への手紙なんですか?」


 連絡はメールで済むこの時代にわざわざ凄く丁寧に書いていたので聞かずにはいられなかった。


「僕の、おかあ...ええと、母です」


 尋ねられたのが嬉しかったかのように少年は照れて言った。手紙を書くということは少年のそばにはいないのかもしれない。


「母がここの仮面職人なんですけど、今は実は病気なんです。僕が手紙を書いたらすごく嬉しそうな顔をしてくれるので早く良くなって欲しいんです」


「だからここで店番を?」


「はい。僕が早く大人になって、僕一人でもこの店を守っていかないと、帰ってきた時母がきっと悲しみます」


 少年は無邪気に言う。


「他に家族とか、店員は?」


 少年は首を振った。


「この店の店長は僕で、ここに住むのも僕だけです。あ、大人の人がいた方がいいってみんな言うんですけど、僕が大人になるから大丈夫ですよ」


「……」


 真船はなんと返せばよいか分からなかった。


「あの、お茶を入れたんで飲みますか?」


 真船が黙ったままでいると少年はいそいそと準備をし、ミルクティーを真船の前に置いた。


 やっぱり薄い。


 少年はスケッチブックを取り出した。真船はもうひと口紅茶を口に含む。それでもやっぱり美味しくない。


「……大人ってなんでしょうか」


 少年はページを開きかけた手を止めてふいにつぶやいた真船の方を見た。


 こくりと首をひねって慎重に言葉を紡ぐ。


「自分のことはなんでも自分でできる、て人でしょうか」


 なるほど。では私は大人ではない。私はこんな少年に透明にならせて欲しいとお願いしている。


「そんなこと言ったら、この世の人からものやサービスを受ける全ての人はどうするんですか」


 少年は人差し指で顎を触った。


「買い物する人はお金を自分で稼いでいます」


「隠居したおじいさんやおばあさんは子供ですか」


「おじいさんやおばあさんは元気な頃稼いだお金があります」


「じゃあお金を持ってる人はみんな大人ですか」


「……ううん、違う」


「大人ってなんですか」


「……」


 少年は考え込んでしまった。しばらく沈黙が続いた。


 私が『大人』だったなら少年に正しい答えを教えてやれたのかもしれない。私だって知りたいのだ。でも分からないからこうして透明に守ってもらう事を願う日々だ。


 意地の悪い質問をしてしまったと反省する。


「すみません。関係の無い話をしました。今日伺ったのは仮面の進捗のことについてでした」


 少年は考え込んだ顔をやっと崩して、スケッチブックをめくった。


「ええと、前回ご注文頂いたデザインで方向は固めました。色、模様無しで、できるだけ早くとの事でしたので、一つサンプルを作っておきました」


 少年はカウンターの下から一つ白い仮面を取り出した。


 本当は。


「一度試着頂いてもよろしいですか?」


 あんな質問をした本当の理由はきっと、彼が一生懸命大人を目指しているのに嫉妬したのだ。


 自分でさえまだなにかも分からないようなものに彼がだんだん変わろうとしている。


「付け心地はどうですか?」


 実際、前の仮面と遜色ない出来だった。


「―少し違和感があります。問題ない範囲ですが、可能ならばもう少し視界を大きくお願い出来ますか?」


 真船は仮面をカウンターの上を滑らせるように少年に返した。


「わかりました。次の御来店までに修正します」


 眼鏡の脇のボタンを押すと視界の隅に時刻が表示された。


 午後7時半を回っていた。


「それでは」


 真船は立ち上がった。


「ありがとうございました。外は雨が降っているのでそこの傘を使ってください」


 ノブを握ったまま耳を澄ますと確かに雨音がした。

「ありがとうございます」


 真船はドア脇に置いてあった薄い桃色の傘を手にとった。


「明日もきます」

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