第61話 ハロウィンと提案
他の生徒の視線に見送られて図書室を後にする。
部活が終わった時間帯だけあって廊下は静まり返っている。金瀬さんグループの談笑が通路を賑やかす中、奈霧は複雑そうな表情をしていた。
「不服そうだな」
横目を向けられた。
「当たり前でしょ。彼氏にアプローチを掛けられたんだよ? 平静でいられる彼女なんていないって」
「嫉妬が引き金になった事件なんて珍しくもないしな」
恋愛は綺麗なことばかりじゃない。愛憎劇の前では、数年を経て築き上げた友人関係も木っ端みじんに破壊される。男性を巡って友人を手に掛けた挙句、何故か男性も退学になった事例があるくらいだ。もたらされるエネルギーが凄まじい分、さじ加減を間違えると大変なことになる。
それを踏まえても気分は悪くない。図書館で声を張り上げた奈霧からは、普段見られない独占欲がうかがえて嬉しかった。気を抜くと口角が上がりそうになる。
「釉くん、顔がニヤついてるんだけど」
俺は誤魔化すべく咳払いする。
「仕切り直そうとしても無駄だからね?」
「誰もそんなこと考えてない」
「そもそも、釉くんがちゃんと断らないのがいけないんだからね」
「付き合えないって言ったぞ?」
「でも好きでいるのは構わないってスタンスだよね」
「さすがに嫌いになってくれとまでは言えないからな」
「でも満更でもないんでしょう?」
栗色の瞳がすぼめられて、俺はそっと目を逸らす。
そりゃ嬉しいに決まってる。浮気をするつもりなんて更々無いけど、可愛い女子に好かれて悪い気分にはなる男子はいないだろう。
「奈霧は嫌か?」
俺が悪い気分にならないだけ。
奈霧が嫌な気分になるなら話は別だ。金瀬さんのことは気に入っているけど関係性はあくまで友人。しっかり一線引くだけの心構えはある。
「そこまで嫌じゃないよ」
予想と違って、俺はきょとんとした。
「何その顔? 嫌って言うと思ってた?」
「ああ。数秒前まで責められてたし、てっきり嫌なのかと」
「誰彼構わずキープされるのが嫌なだけだよ。個人的には、金瀬さんならいいかなとは思ってる。佐郷みたいな悪行には走らないだろうし、私としても緊張感を持てるからね」
「緊張感?」
「取られないために色々する気になるってこと」
「凄い上昇志向だな。単に一緒にいたいってだけじゃ駄目なのか?」
「幸せならそれで良いとは思ってるよ。でも恋愛で自分を高められるなら、それに越したことはないでしょ?」
「まあな」
同じ時間を消費するなら、より役に立つ方が良いに決まっている。努力は苦しいものだけど、無駄なものを敬遠したがるのも人の
「その姿勢は凄く良いと思うけど、辛くならないのか?」
「休みたくなる時はあるよ。釉くんは二度と離さないって言ってくれたし、これくらいでいいかなって思う時もある。でも私だって、離されないための努力はしたいの。だったら離し
ね? と奈霧が柔らかく微笑む。
二度と離さないだなんて、小っ恥ずかしい台詞を吐いた羞恥が脳内から吹き飛んだ。眼前にある笑顔にただただ視線を吸い寄せられる。
「お二人さーん、痴話喧嘩は俺達がいなくなってからにしてくんない?」
奈霧から視線を外す。
前方で尾形さんと佐田さんが苦々しく笑っていた。金瀬さんに至っては、餌を溜め込んだリスのごとく頬を膨らませている。
「痴話喧嘩なんてしてない」
「じゃあいちゃいちゃ?」
「それもしてない」
「こう言っちゃなんだけど、あの大馬鹿の気持ちが少しだけ分かった気がするわ」
「もーっ! 愛し合うならわたしがいない所でしてよね! 嫉妬で抱き着いちゃっても知らないよ?」
「それは遠慮してくれると助かる」
嫉妬されるだけならまだしも、スタイル抜群の金瀬さんに抱き着かれたら表情の維持が甘くなるかもしれない。奈霧に目を細められたら、うっかり口元を緩ませる自信がある。
金瀬さんの膨らんでいた頬が引っ込む。
「冗談はさておき、みんなはハロウィンの日に何か予定ある? 無かったら仮装して渋谷行かない?」
「それいいな!」
「久しぶりに行ってみるか。市ヶ谷と奈霧さんはどうする?」
「せっかくだし行ってみようかな。奈霧も行くだろう?」
「うーん、私はちょっと遠慮したいかな」
俺は目を瞬かせる。
ハロウィンとは違うけど、奈霧が夏祭りの場にいたことはこの目で視認した。ああいったイベントには好んで参加すると思っていただけに、少し意外だ。
金瀬さんも目を丸くする。
「どうして? 奈霧さん綺麗だから絶対コスプレ映えるのに」
「コスプレが嫌ってわけじゃないよな? コスプレ喫茶の店員やってたくらいだし」
「元々裏方の予定だったけどね。一回メイド服を着たし、コスプレをすること自体は大丈夫だよ」
それならコスプレ以外に要因があるってことだ。
人混みが苦手ってわけじゃないだろう。夏祭りに友人と足を運んだ事例がある以上、その可能性は除外できる。
コスプレ姿で人と接することも問題ないはずだ。文化祭の日には客の視線を浴びていたし、俺の応対をしてくれた。
あの室内と渋谷ハロウィン。両者の違いはと言えば……。
「もしかして大勢に見られるのが嫌なのか?」
細い首が縦に揺れた。
「入学式で散々見られてたよな?」
「あの時は事前に何度も練習したからね。体に動いてもらうくらいの意気込みだったし、誰が総代だったかなんて周りはいちいち気にしないでしょ?」
「いや、めっちゃしてたけど」
「教室に戻ってから奈霧さんの話題で盛り上がったもんね」
「そう? じゃあ中学の作文コンクールで賞を取った生徒の名前は? 一字一句ちゃんと覚えてる?」
「それは覚えてないけど」
そこまで来ると意味合いが違う気もする。
新入生総代の名前を覚える生徒が少数派なのは認める。興味を持ったとしても教室まで押し掛けないし、数日すれば誰だったっけ? の問い掛けを発するくらいには忘れるだろう。
一方で、奈霧は別の意味で注目を集めていた。新入生総代の同級生ではなく、見目麗しい新入生総代に興味を持ってクラスに人が殺到したという。入学式と集団の形成。順序が逆だったらカチコチの奈霧が壇上に上がっていたかもしれない。
「何というか、怪我の
大半は総代なんて気にしない。奈霧はそう思い込んでいたからこそ、新入生総代として答辞を読み上げることができたのだろう。思い込みなんて全部マイナスだと思っていたけど、世の中は中々どうして広いものだ。
「話が逸れたけど、奈霧は大勢に見られるのが嫌なんだよな?」
「うん」
「それなら渋谷に出なくてもいいんじゃないか?」
奈霧が目をぱちくりさせる。
「どういうこと?」
「外には出ずに、俺達だけでハロウィンをすれば良いってことさ」
「ああ、なるほど。俺達だけで楽しむってことか」
「いいねそれ! これまでと違ったハロウィンになりそう!」
金瀬さんグループが盛り上がる。奈霧も異論はないようで頷いてくれた。
問題はどこに集まるかだ。やるなら店を貸し切るか、誰かの家にお邪魔するしかない。学生の財布で貸し切りは難しい。実行するなら後者になる。
とはいえ家だ。コスプレパーティの実行には休日が好ましいけど、当然その場には家族がいる。集まってハロウィンをやる以上は、俺だけ私服って訳にも行かない。視線のない好都合な場所なんてあるだろうか。
「じゃあ釉くんの自宅で良いかな?」
「待て、話し合おう」
俺は反射的に手をかざした。
「さんせーい! わたしも市ヶ谷さんの部屋見たーい!」
「話し合おうって言ったよね?」
「俺、他の男のベッド下覗くの夢だったんだよな」
「おいこら人の話を聞け」
尾形さんと佐田さんがにやっと笑む。悪戯が見つかった子供みたいな表情だけど聞き流してやらない。そもそもベッド下なんか覗いて何になるんだか。
「何で駄目なの? リビングが狭いとか?」
「さすがに五人すら入れないほどのスペースじゃないよ」
「じゃあ何が問題なんだ?」
「気恥ずかしいんだよ。今まで誰かを招いたこと無いし」
奈霧達が目を瞬かせる。顔を見合わせ、数拍置いてくすくすと笑い声を響かせる。
炎で炙られたように顔が火照った。
「笑うな! 悪かったな高校に入るまでぼっちで!」
「悪い、馬鹿にしたわけじゃないんだ。ちょっと可愛いなと思ってさ」
「男が男に可愛いとか言うな」
「えーっ、わたしは市ヶ谷さん可愛いって思うよ?」
「ごめん。話がこじれるから、金瀬さんは口を閉じてくれないか? そもそもどうして俺の自宅なんだ? 尾形さんの家でもいいじゃないか」
「別に良いけど、集まるの土曜日だろ? 親と妹いるぞ」
「じゃあ駄目だな」
「市ヶ谷もコスプレしてるところ見られたくないのな」
尾形さんが苦笑する。
無視だ無視。
「佐田さんの家は?」
「親いてもいいなら」
「金瀬さんは?」
「いいよー。来て来て」
「家族はいないのか?」
「いるよ」
「じゃ駄目だ」
「そんなに嫌なら私の自宅にする? 両親は遅くまで出掛ける予定だから、少し早めに解散すれば鉢合わせすることも無いと思う」
奈霧の自宅。
興味はある。さすがに奈霧の自室に踏み入る度胸はないけど、恋人が毎日どんな空間で生活しているのか興味はある。
「いや、それは遠慮させてくれ」
だけど拒否一択だ。奈霧の両親の予定がいつ終わるか分からない。予定が早めに終わって鉢合わせる可能性は否定できない。
母の方はまだいい。問題は勲さんだ。
ファミレスでの一件で釘を刺されたばかりの身。知らない内に彼氏が上がり込んでいたら、勲さんはどう思うだろうか。
「私の家族に会いたくないんだ」
奈霧が目を細めた。
「何でむくれてるんだ?」
「むくれてない。話戻そっか。私の自宅も駄目ってことだし、会場は釉くんの自宅で決定だね」
「そう、なるよなやっぱり」
「そりゃ俺達の家が駄目なんだし、市ヶ谷の家しかないだろ」
「よろしくね市ヶ谷さん!」
金瀬さんの笑みに押されて、俺は渋々首を縦に振る。
案を吟味した挙句に、自分の首を絞める。以前同じ過ちを犯した気がするけど、敢えて気にしないでおこう。
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