第62話 今はデジタルの時代だ
マンションの自室に戻って整理整頓に取り掛かる。
日頃から整頓はしている。定期的に掃除機を掛けているし、窓ガラスもしっかり拭いている。
なのに友人を招くとなると不思議なもので、部屋の中が気になって仕方ない。放課後に購入した粘着クリーナーを握り締めて、床の上でころころ転がした。
俺は金瀬さん達に了解を取って、電話越しに芳樹を誘ってみた。
断られた。すでに予定があったようだ。何でもハロウィンの日は念願の合コンに臨むらしい。セッティングしたのは友人。いつぞやの食堂で交わした会話を思い出して、実現させた事実に感嘆した。
土曜日の朝。胸の内からあふれ出る焦燥のままに掃除機を掛ける。
ハロウィン用の衣装はレンタルで済ませた。各自ハロウィンに相応しい衣装で臨むというのは、金瀬さんによって定められたルールだ。気恥ずかしさは抜けないけど、一日を楽しくするためなら
待ち合わせの時刻が近付き、俺はレンタルした衣装を身にまとう。
インターホンが鳴った。スリッパで廊下の床を踏み鳴らし、客用スリッパを確認してからドアの鍵を開ける。
チェーンを外して玄関のドアを開くなり、狼頭と対面した。
「えーっと……」
思考が漂白されて言葉が出ない。
誰? 知り合い? それとも他人? 思考がぐるぐると意味もなく巡る。
狼の口が開いて俺の頭を咥える。喉の奧に見知った顔があった。
「よ」
「何だ佐田さんか。誰かと思ったよ」
「驚くのはまだはえーぞ? 右見てみな」
「右?」
狼の口が俺を解放する。右方を見た先で大きな目玉と目が合った。
「尾形さん?」
「よく分かったな。顔隠れてるのに」
「消去法だよ。奈霧と金瀬さんはそんなコスプレしないだろうと思っただけだ」
「同感。二人とも奇をてらうタイプじゃないし、市ヶ谷を意識してるからな」
俺は視線を逸らす。面と向かって言われるとバツが悪い。
「市ヶ谷のそれはピエロか?」
「ああ」
自分の身なりに視線を落とす。
白と黒のダイヤ模様に飾られたシックな衣装。頭の上に乗せた帽子は、裂かれた紙のごとく左右に分かたれている。
「メイクしないの? ホラーに出て来るアレみたいにさ」
「やり方分からないし、これでいいかなって」
「適当だなぁ。ガチすぎてホラーになるよりは良いけどさ」
「そういう尾形さんは、どうしてそのコスプレにしたんだ?」
「意外か?」
「ああ。尾形さんはもっと格好良いのを選ぶと思ってた」
妖怪の漫画に出てきそうなくらいシンプルイズベストなデザインだ。大人びた雰囲気の尾形さんが着るとギャップすら感じられる。
「たまにはネタに走るのも有りかと思ってさ。振られた手前、奈霧さんの前で格好付ける理由も無いし」
狼頭が首を振る。
俺はとっさに身を屈め、突き出た口をやり過ごす。
「尾形、振られたって何の話?」
「俺、奈霧さんに告白して振られたんだ」
「まじで⁉」
狼の頭からくぐもった声が発せられた。佐田さんは初耳だったようだ。
「言いふらすなよ? 恥ずかしいから」
「そんなこと言いふらさないけどさ、らしくないじゃん。尾形ってもっとかっこつける奴だろ?」
「佐田、お前俺のことそんな風に思ってたのか?」
「ガウ」
狼頭が縦に揺れる。
大目玉が腕を伸ばして狼頭を挟み、ぐわんぐわんと揺らす。くぐもった悲鳴が通路の空気を伝播した。
外は寒い。俺はじゃれ合う二人を自宅に招き入れる。
二人がスリッパに足を挿し入れてリビングに踏み入る。
「思ったより広いな」
「これが愛を形作った部屋か」
「無理やり俺の異名に繋げようとするな」
二人がリビングの床をスタスタ鳴らす。高所からの景色を眺めて、狼の頭部からくぐもった声が漏れる。
「市ヶ谷さん、トイレ借りたいんだけど、トイレどこ?」
「廊下を戻って左だ」
「こっちのドアってどこに繋がってんの?」
「洗面所だよ」
狼頭と大目玉が顔を見合わせ、小さく頷く。
「市ヶ谷の自室行こうぜ!」
「よっしゃ!」
「よっしゃじゃない! おいっ!」
突如走り出した二人を追う。先程の質問は、自室に繋がるドアを突き止めるための布石だったのだろう。自らの迂闊さにくちびるを噛む。
二人に続いて自室の床を踏みしめる。
尾形さんと佐田さんがベッドの下を覗き込んでいた。
「何してるんだ?」
「いやね、昔の漫画を見て習ったんだよ。ベッドの下には男の夢があるって」
「そんなの初めて知ったぞ。いつの漫画だよ」
「知らね。さすがにそこまで調べてないし」
二人が腰を上げる。
「市ヶ谷、奈霧さんの写真集ってどこにあるの?」
「あるわけないだろうそんな物」
何だよ写真集って。彼氏は彼女の写真をコレクションするのか? それが普通の恋愛観なのか?
……ちょっと。いや、ほんの少しだけ気持ちは分からなくもない。
「なあ尾形。俺、大変なことに気付いちまったよ」
「何に気付いたんだ?」
「今はデジタルの時代だ」
ハッと息を呑む音が聞こえた。
狼男と大目玉が俺に向き直る。
「市ヶ谷さん。スマートフォン重いでしょ? 持ってあげる」
「どうして今の流れで、俺がスマートフォンを渡すと思ったんだ?」
「いや、もう何かノリで」
「ノリノリで」
「はいはい、いいから戻るぞ」
俺は一足先に廊下の床を踏む。後ろでスリッパの音を聞きながらリビングに踏み入る。
お茶の準備をする内に二度目のインターホンが鳴った。二人にリビングから動かないよう釘を刺し、一人玄関へと歩を進める。
玄関を開けるとコート姿の女性陣が立っていた。
「こんにちは! 来たよーっ!」
「シックなピエロさんだね」
二つの笑みで視界が華やぐ。
ぱっと見てコスプレをしているようには見えない。二人が手にしているバッグはやたらと大きい。衣装なんて丸々入ってしまいそうだ。俺の自宅で着替えるつもりなのだろうか。
「いらっしゃい。佐田さんと尾形さんも来てるよ」
「早いね。二人はどんなコスプレをしてきたの?」
「入ってからのお楽しみだ」
「意味深! さては相当出来がいいんだね!」
お邪魔しまーす! 金瀬さんが言い残して玄関に踏み入る。よほど興味を駆り立てたのか、ぱぱっと靴を脱ぐなり廊下を駆ける。バッグ持つよと声掛けする暇もなかった。
「金瀬さんは相変わらずだな」
「一緒にいると元気出るよね」
奈霧も足を前に出す。俺の横を擦れ違う前に、すらっとした脚が止まる。恋人の視線を追った先には写真立てがあった。
「この写真に写ってるのって、釉くんのお母さん?」
「ああ、そうだよ」
このマンションじゃない、一軒家をこさえていた頃に父が撮った写真だ。
水の出るホースを握って笑む母。幸せのワンシーンを切り取った写真を見て、幼馴染は何を思ったのだろう。
感想を問う前に、華奢な体の前で手が合わされた。
「ありがとう」
「うん。綺麗な人だね、お母さん」
奈霧が歩みを再開する。外履きを脱ぐと察して、俺は腕を差し出す。
「バッグ持つよ」
「ありがとう」
俺はバッグを受け取る。想像よりも大分軽い。
奈霧がくるぶし丈のブーツから足を抜き、用意したスリッパに足を通す。
初めて恋人を自宅に上げた感覚は、何ともこそばゆいものだった。
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