第11話 復讐後の校舎

 ドアの向こう側で慟哭が上がってから数分後。廊下から教師らしき男性の呼びかけが聞こえた。ドアを開けるように促されて素直に従うと、二匹の悪魔が廊下の床に崩れ落ちていた。魂が抜けたように、口をだらしなく開いて固まっていた。


 事情聴取を兼ねて、俺達は生徒指導室に連行された。昼休みの放送を乗っ取った動機や、放送の内容が真実かどうかを聞かれた。教師も気が気じゃなかったのだろう。内容が確かなら、不良もびっくりの問題児を三人も抱えていたことになるのだから。

 俺は一週間の自宅謹慎を命じられた。昼休みの放送は食堂や各教室で流される。校舎内にいる人の数は三桁だ。広めないように注意喚起したところで、全員がSNSの魔性に抗えるわけじゃない。事件のことがネット上に広まれば学校の評判に関わる。俺は情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地があると判断されたらしいけど、実際のところは大きな問題にしたくなかったのだろう。


 処遇に不満はない。俺は潔く自宅にこもって反省文を書いた。復讐を遂げたことへの達成感に浸り、仏壇の前で膝をたたみ亡き母に報告した。


 謹慎期間中は色々なことを考えた。主に、これからの学校生活をどうするかについて思考した。俺は大勢に迷惑を掛けた。謹慎が開けても今まで通りに過ごせるとは思えないけど、憂鬱でも高校生はやめられない。復讐の目的は、幸福な人生を歩むために心の整理を付けることだった。母は俺が幸せになることを望んでいた。母が俺にどんな人生を歩ませたかったのかは知る由もないけど、選択肢を広げておくに越したことはない。自主的な勉強をこなし、教師に質問すべき事項をまとめる。ノルマを終えて寝床に入る毎日を繰り返した。


 何度か悪夢を見た。暗い空間にて、佐郷や壬生が足元にまとわりついてくる夢。許さない、お前も道連れにしてやる。怨嗟の声をもらして、足から胴へと不快害虫のごとく這い上がってくる。何度嫌な汗で気持ち悪い思いをしたか分からない。


 起きて、勉強して、寝て、うなされる。

 起床して、本を読んで、床に就き、うなされる。


 似た毎日を過ごすうちに謹慎期間が終わった。鉛のように重い足を動かし、鏡の前で身なりを整える。久しぶりに着る制服の重量に顔をしかめ、玄関に足を運ぶ。写真立てをつまみ、写っている母を見つめる。見るたびに復讐の決意を新たにしたものだけど、今朝はやけに清々しい気分だ。心を覆う霧が晴れて蒼穹が顔を覗かせたような、抗いがたい解放感がある。


「行ってきます」


 亡き母に挨拶を投げ掛け、ドアノブに指を掛ける。エレベーターに乗り込み、寒々しいエントランスを踏みしめて外に出る。街並みは一週間前と変わらない。空も見飽きた青色なのに、やたらと趣深く映る。


 思えば、俺は長い間空を鑑賞していなかった。見ることはあっても、心はどこか遠くを見つめていた気がする。空だけじゃない。街を歩けば、人々はこんな顔をしていたのだと気付かされる。文字通り、心の一欠片を過去に置き忘れたままだったのだろう。見るもの全てが新鮮に映る。


 すっきりした心持ちを胸に歩みを進める。ガラス張りの校舎が視界に入り、重りがのしかかったように足取りが鈍る。帰りたい。踵を返したい衝動を抑え込み、昇降口に靴先を入れる。


 特に視線は感じない。事件があったことは知っていても、俺の顔を知らない生徒の方が圧倒的に多い。疎む視線に突き刺されることを想定していたけど、要らない心配だったようだ。


 俺は内履きに足を通し、階段の段差に体重を乗せる。足を持ち上げ、より高い段差に重みを預ける作業を繰り返す。昇降口は突破した。問題は教室だ。俺は一週間椅子に座っていない。交流したことのないクラスメイトも、俺と事件の結び付きに勘付いているはず。好奇の視線に晒されることは避けられない。


 俺は教室の前で足を止める。

 鼓動が早まる。空気が凝固したような息苦しさに襲われる。逃げ出したいけど、ここで背を向けるとそのまま不登校になりそうだ。思い切ってドアの取っ手に指を掛ける。

 予想通り、幾多もの視線に出迎えられた。敵意は感じられない一方で、強風に顔を叩かれたような錯覚を受ける。俺は小さく会釈して自分の席に着く。元より友人はいない。誰に気兼ねする必要もないんだ。スマートフォンを取り出し、画面を適当にタップする。


「よっ!」


 近くで声がした。顔を上げると、一週間前は友人だった男子と目が合う。まくられた袖から露出した右腕が九十度に曲がっている。まるで挨拶をしたかのようだ。


「……よっ!」


 左腕も上がる。パントマイムを想起させる格好だけど、教室で披露する意図は分からない。大方、友人とのジャンケンで負けて罰ゲームでもやらされているのだろう。不憫な男だ、加藤芳樹。


 芳樹が両手を合わせて祈るように掲げる。


「ちょーっぷ!」

「痛ったッ⁉」


 視界がぶれた。脳天から腹部へと衝撃が突き抜けてスマートフォンが手を離れる。


 隆々とした腕が机の下に伸びて長方形の端末をキャッチした。


「えーなになに、独りでの過ごし方……お前、こんなこと検索してたのかよ」


 俺はクラスメイトの手から携帯端末をひったくる。


「勝手に見るな。何でチョップするんだよ?」

「いやぁ無視されたから、もしかして俺が見えてないのかと思って」

「見えてるよ。下手くそなパントマイムしてると思って、心の中で嘲り笑ってたんだ」

「ひっどいな!」


 張り上げられた声が室内に伝播する。


 一週間前と変わらないノリを前に自然と口角が上がる。昼休みの出来事があっても俺を友人として扱ってくれるらしい。その温かさが心に染み渡る。


「お、おい芳樹、大丈夫か?」


 第三者に視線を振る。呼びかけたのは名も知らない男子だ。縮こまった様子は、猛獣を刺激しまいと委縮する小動物を思わせる。


 落胆はない。これが普通の反応だ。俺は周りに怖がられることをした。敬遠されるのは想定内だ。


 芳樹がニッと口角を上げる。


「大丈夫だって。市ヶ谷のことはよく知ってる。こいつはお前らが心配するようなことはしねえよ」

「そ、そうか? ならいいけどさ」


 男子が身を翻して自分のグループに戻る。俺は遠ざかる同級生の背中を眺め、芳樹に向き直る。


「拍子抜けだな。もっと突っ掛かられると思ってたよ」

「お前なぁ、自分がしたことを思い返してみろよ。復讐のために昼休みの放送を乗っ取るような奴だぜ? 嫌がらせする命知らずなんかいねえって」

「確かに」


 納得してしまった。芳樹のくせになまいきだ。


「ところで、さっきのは新しい友人か?」

「ああ。市ヶ谷は一週間謹慎だったし、そりゃ友達くらい作るって」

「彼女もできたか?」

「聞くなよ」

「そりゃ悪かった」


 冗談めかして身を震わせる。割と強めに背中を叩かれた。


 挨拶がてらの冗談はここまで。俺は意図して口角を下げる。


「芳樹、いくつか聞かせてほしい。あれからどうなった?」

「それは何についての質問だ?」

「全てにおいて」


 芳樹が腕を組んで唸る。


「全てっつってもなぁ、何から話そうか……よし、お前の立ち位置からにしよう」

「それはもう見た」


 腫れ物扱いというか、猛獣扱いだった。三年間孤独に過ごす覚悟はしていたけど、いざ目の当たりにすると心にくるものがある。


「いいから聞けって。知っての通り、お前は多少敬遠される立場にある。何をされるか分からないって、みんなビクビクしてんだ」

「君はどうして俺を怖がらないんだ?」

「言ったろ? どういう奴か知ってるからってさ」

「それ本気で言っていたのか」


 事件前に面識があった。それも確かに要因としてはあるだろうけど、芳樹は暴露されて困る秘密が無さそうだ。隠し事が無いなら、誰かに暴かれることを恐れる必要もない。


 佐郷と壬生。俺にとっては悪魔以外の何物でもない二人だけど、周囲にとっては同じ制服を着た同級生だ。他人事じゃない。


 俺には秘密を暴露した前科が付いた。俺に笑顔で接することができるのは、裏表のない芳樹のような人間だけだ。初対面で人を二股野郎呼ばわりした礼儀知らずだけど、最初の友人が芳樹で本当に良かった。


 芳樹が手の平で受け皿を作り、拳の底を落とす。


「そうそう、これを言い忘れてた。お前に二つ名が付いたんだ」

「二つ名って、異名のことか?」

「それそれ。漫画やアニメに出てくるかっちょいいやつな」


 心がふわっとなった。格好良い名前が付けば学校生活のテンションも上がるというものだ。気恥ずかしいけど耳当たりの良い二つ名なら悪くない。


 こんなことではしゃぐのはちょっと子供っぽい。浮ついた心持ちが露見しないように口元を引き締める。


「特に気になるわけじゃないけど、聞かせてくれ。どんな二つ名なんだ?」


 早まる鼓動を感じながら芳樹の言葉を待つ。


 昼休みの事件が元になったんだし、昼休みの支配者なんてどうだろう。それとも放送部の裁断者? どちらにしてもいい感じだ。


 芳樹が満を持して口を開いた。


愛故あいゆえに」

「何でだよッ⁉」


 想像の斜め上だった。俺は驚愕のあまり席を立つ。椅子の脚がガタッと鳴り、クラスメイトの視線が殺到する。そんなことが気にならないほど耳たぶが熱い。愛故に? 何だ、その蟻の反逆も許さなそうな異名は。


 芳樹が不思議そうに目をしばたかせる。


「何でって、お前が音声を流したんじゃねえか。佐郷と壬生が凶行に走るくらいには、毎日奈霧さんといちゃいちゃしてたんだろ? 羨ましいぞこのやろ」

「待て、誤解だ。俺と奈霧はいちゃいちゃしてない」

「マジで?」

「マジで」

「本当は?」

「してない」

「でもみんなはそう思ってないぜ? 復讐した理由も、奈霧との仲を引き裂かれたからじゃないかって推察されてるし」

「誰が推察してるんだよ」

「有志のサイト。あ、メンバーを見つけ出すのは無理だと思うぜ? 匿名だし」


 歯噛みする。


 匿名サイトを特定して止めろと書き込んでも、興奮している相手に効果があるとは思えない。話題の人物降臨! と騒ぎ立てられるのがオチだ。話題から察するに、悪意のある書き込みがされているとは考えにくい。開示請求も通るか怪しいものがある。


「ちなみに『愛に生きた男』って候補もあるんだ。どっちがいい?」

「聞きたくない」

「個人的には『愛故に』がお勧め。言いやすいからな」

「聞きたくない!」


 俺は椅子に腰を下ろした。顔の火照りを無視して次の問いかけを紡ぐ。


「佐郷と壬生はどうなった?」

「退学したらしい」


 胸の奥に、針で刺されたような痛みが走る。俺は机の下で拳を握り、爪を手の平に食い込ませて自分を戒める。こうなることは分かっていた。それを踏まえた上で、俺は二人の学校生活を握り潰したんだ。そこに後悔はない。


「その後は?」

「さぁ? 引っ越した先で別の高校に入るんじゃねえの? まあ妥当な判断だろ。あんなエグい話を暴露されたら、そりゃ居場所も失うって。あ、市ヶ谷を責めてるわけじゃないからな? あいつらとつるむのはリスクが高いって話だ。お前以上に何するか分かんねえ連中だし、近付くのもおっかねえよ」


 犯罪者の社会復帰が難しいのと同じこと。本人にその気がなくても、周りは自分も被害者にされるかもしれないと警戒する。


 失った信用を勝ち取るのは至難の業だ。ましてやあの二人がデマを流した動機は色恋沙汰。ありふれている事情だけに、誰がいつターゲットにされてもおかしくない。警戒するなという方が無理な話だ。


「あの二人、奈霧に謝ったか?」

「別のクラスだから分かんね。お前のことを考えると胸糞悪くて、正直視界に入れたくもなかったわ」

「そりゃそうだ」


 ファミレスで目の当たりにした二人の態度を思い出す。


 どうせ謝らなかったんだろう。


 放送室で謝罪の大切さを説いたけど、考えてみれば彼らが犯したことは謝罪で覆ることじゃない。下手に謝っても奈霧を怒らせるだろうし、頭を下げることなく罪業と共に沈むのが、加害者としての正しい在り方なのかもしれない。


 ガラッとドアの開く音が鳴る。


「市ヶ谷さん。奈霧さんが呼んでるよ」


 意図せず背筋が伸びた。教えてくれた女子に礼を告げて、早まる鼓動を感じながら廊下の床に靴裏を付ける。


 土に似た色合いの床に一輪の花が立っていた。栗色の瞳と目を合わせて少女の元に歩み寄る。


 そわそわして落ち着かない。背中越しに数十もの視線を感じる。


「場所を移そっか」


 奈霧が踵を返した。


 俺も見られるのは苦手だ。反論せず背中を追う。何を勘違いしたのか後方で同級生が騒めいた。黄色い声を無視して歩を進める。


「久しぶり、でいいんだよね?」


 人の気配が無くなったのを機に声が発せられた。


「ああ」

「どうして名字が変わってるの?」

「母方の姓なんだ。父の姓を名乗るのは抵抗があってな」


 父は母を残して消えた。どこで何をしているのかすらどうでもいい。名字を名乗るたびに思い出すのは御免だ。


「そう」


 奈霧が身を翻して向き直った。


 俺も足を止めて整った顔立ちを正面から見据える。


 どれだけの時間そうしただろう。奈霧が静謐とした表情を崩した。


「駄目だね、何を話せばいいのか分からないや。話したかったことはたくさんあったはずなんだけどな」

「そうだな。俺も同じだよ」


 安堵で床に崩れ落ちそうになった。


 奈霧と言葉を交わすのは、水族館で的外れな怒りをぶつけて以来だ。奈霧に嫌われたと思っていたけど杞憂みたいで何よりだ。


「私、怒ってるんだからね」

「え?」

「え? じゃないよ。何で人の思い出を暴露しちゃうかなぁ」


 奈霧が小さく頬を膨らませた。


 放送で流した内容のことだろうか。あの会話に具体的な内容は含まれてなかったし、聞かれて困るようなこともなかったはずだ。『いちゃいちゃする様を見せつけられる』という佐郷の発言を除けば。


「一応、あれは俺が言ったわけじゃないんだけど」

「似たようなものでしょ。あの部分だけ切り取ればよかったのに」

「編集された音声だと思われたら台無しじゃないか」

「そんなこと思わないって。釉くんは昔から細か過ぎるんだよ」

「奈霧が大雑把すぎるんだ」


 意図せず口調が強まり、むっとする奈霧と視線で牽制し合う。ようやく本当の意味で邂逅できたのに、俺達は何をしているのだろう。可笑しくなって笑みを交わす。


「あの頃と変わってないみたいで安心したよ」

「釉くんもね。髪が金色だから、雰囲気は大分変わったけど」

「高校デビューとでも思ってくれ」 


 母を想起させる黒髪。復讐に関わらせまいとして染め上げたけど、今となっては執着する理由もない。時間経過で黒に戻るのを待つのみだ。


 俺はスマートフォンを取り出す。連絡先の交換を提案しようとするも、口が接着剤でくっ付けられたように開かない。小首を傾げる奈霧の視線を感じて、俺は誤魔化すように咳払いする。


「そろそろショートホームルームが始まるな。教室に戻らないと」

「じゃあ連絡先を交換しようよ。校舎内は人の目があるから会いにくいけど、端末越しなら会話してもばれないでしょ?」

「そうだな。と言っても、俺はチャットアプリの使い方知らないけど」


 壬生や佐郷とやり取りはしたけど、正直ノリと雰囲気で返答していただけだ。ファミレスに呼び出す時も、元からあったルームを使って呼び掛けた。自分から相手を指定する方法は分からない。調べようとも思わなかった。


「私が入れてあげるよ。スマートフォンを貸して」


 しなやかな所作で手が差し出される。断る理由はない。俺は長方形の端末を手渡す。誰かの手に自分の端末を渡す。入学式が終わってすぐの休日にも似たことをしたけど、あの時とは心持ちが違う。左胸から伝わる脈がバクバクとうるさい。奈霧に聞こえてしまわないか不安になる。

 すらっとした腕が俺の端末を差し出す。


「終わったよ」

「ありがとう」


 繊細な手からスマートフォンを受け取る。仄かに残った奈霧の体温にどきっとする。心なしか、悪魔に穢されたスマートフォンが浄化されたように感じた。


「また後でね、釉くん」


 奈霧が微笑んで軽く手を振る。つられて俺の口角も上がる。


「ああ。また後で」


 俺は元来た廊下を戻って教室に戻った。担任が踏み入ったのを機にクラスメイトが席に着く。


 これまでとは違う意味で、ショートホームルームの内容が頭に入らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る