第10話 完遂


「なあ佐郷、聞いてる?」

「聞いてる聞いてる! ウインナー美味いって話だよな? バッチリだ!」

 休日明けの月曜日。俺は食堂で親指を立てる。

「何がバッチリだよ! てめ、聞いてなかったなこのやろーっ!」


 体格のいいクラスメイトにアームロックされた。さすが陸上部期待のルーキー。凄い力だ。野郎が触るなよ暑苦しい。


「いいぞもっとやれー! 私の話を聞き流した罰として、そのウインナーはもらった!」


 短髪の女子が腕を伸ばし、フォークの先端でひき肉の腸詰めを刺す。からっとした雰囲気ながら、健康的な色気に溢れるさまは美少女に相違ない。


「いいなーっ! わたしもわたしもーっ!」


 そして本命。染められた金色の長髪が軽やかに揺れる。元気一杯な声に続き、二個目のウインナーが皿から消える。グラビアアイドルもかくやといったスタイル。天真爛漫な性格も相まって、あどけない顔立ちとのギャップが際立つ。グループの付き合いで知り合った金瀬さん。俺の彼女候補のクラスメイトだ。


「おいっ! お前らアレだぞ? 次やったらアレだかんな?」

「アレって何だろ」

「気になるーっ。えいっ!」


 金瀬さんのフォークがさらなるウインナーを貫いた。


「ああっ、俺のウインナー……さらばっ!」


 待ってましたとばかりに、俺は眉の上に手刀を当てる。さながら敬礼する軍人のごとし。美少女の口に消えるウインナーを見送る。くそっ、羨ましいぜ!


「あはははっ! 佐郷面白いのーっ」


 金瀬さんがにこやかに笑う。俺も冗談めかして笑う。コメディの番組で違和感のある笑い声が混じるように、笑い声も人を笑わせる道具として機能する。ここは笑わなければ損だ。面白さも立派なステータス。運動や顔の良さには上がいる。他の要素で攻めないと俺には勝ち目がない。目指すはおもしれー男。この一点に尽きる。


「可哀想だし、俺のウインナーやるよ」

「野郎のウインナーはいらん」


 手をかざして施しを拒絶する。こんにゃろーと絡みを受けてまた笑う。くだらない冗談をかまして、それをネタにじゃれつく。これが今の俺。どこまで賢く陽気なムードメーカー。トップカーストの友人に恵まれ、成績もそこそこ。悔しい思いをすることはない。


 今日に至るまで二つの懸念があった。

 一つは解決した。市ヶ谷に真実を知らせないようにする試みだ。大局的に見れば大失敗もいいところだが、市ヶ谷は暴露しないことを誓った。自分の口であの件を時効と言ったのだ。もう気にする必要はない。

 全ては順風満帆。残った一つの要素を除いては。


「あ、奈霧さんだ」


 友人Aが顔を上げる。思わず顔をしかめるが、周りは笑みを浮かべて一点を見ている。ここで混ざらないのは不自然だ。

 俺も振り向く。視界に美麗な女子が付け足される。さらっと流れる艶髪。波打ったスタイル。すらっとした手足を振るだけで、喧噪の中においても一際目立つ。例えるなら雑草の中で咲き誇る花だ。否応なしに視線を惹かれる。


 俺は下くちびるを噛む。あれは駄目だ。俺を振ったバカだ。高校に入ってからもう一度告白してやったのに、また俺を振りやがった。もう用はない。

 高校生は多感な時期だ。恋愛絡みの話は凄い勢いで伝播する。振られ男と認識されたら俺のグレードが下がる。あいつから広める可能性は無に等しいが、友人AやBがウザ絡みして奈霧が口を滑らせるかもしれない。これからも注意を払う必要がある。


 スピーカーから垂れ流されていた曲が終わる。放送部がお昼休みを返上して流す音楽だ。超スピードで昼食を摂り、放送委員としての仕事をする。無償なのにご苦労なことだ。


『デマを広めたのは、君達だったんだな』

「……ん?」


 一瞬思考が止まった。聞き覚えがあった。声と言葉、その両方に。

 思い出すのに苦労はしない。今流れたのは市ヶ谷の声だ。休日ファミレスで会った際に、放送部に入部したと言っていた。今日の昼休みの放送を任されていたらしい。

 俺は友人に視線を戻す。今喋っているのは俺の知り合いなのだと自慢しようとした――その時。


『聞かせてくれるな?』


 呼吸を忘れた。凍てついた塊を、喉に捻じ込まれたような錯覚があった。問い掛けの言葉は、自分以外の誰かがいなければ発しようがない。放送室にいる別の部員に話しかけたと考えるべきだが、言葉選びがまずい。

 これは。

 今流されているのは、もしや――!


『俺さ、奈霧のことが好きだったんだよ』

「ッ⁉」


 口から変な声がもれた。間違いない! これは俺と壬生、伏倉の三人で交わした会話だ! あの野郎、録音してやがったのか……ッ!


「あれ、これ佐郷の声じゃない?」

「ほんとだな」


 友人が人の気も知らずに盛り上がる。

 もはや昼飯どころじゃない。俺の記憶が合っていれば、この後にはまずい内容が控えている。すぐに止めなければ!


「さごっち、どうしたの? 顔色悪いよ?」


 金瀬さんが首を傾げる。普段は凝視するほどにキュートな仕草だが、今は視界を楽しむ余裕がない。むしろあざとくてイラッとする。


「ちょ、ちょっと行ってくる」


 俺は椅子から腰を上げ、愛想笑いを残して廊下に出る。早歩きからダッシュに移行。振り千切らんとばかりに手足を振る。進む先で、横一列に広がって談笑する女子が見えた。通り抜けられるスペースはない。


「どけッ!」


 妖怪ぬりかべもどきを押しのける。後方で悲鳴が上がるものの、一刻を争う事態だ。廊下を塞いで歩くお前らが悪い。

 今度は男子。体格がいい。押しのけることは諦めて迂回する。


「佐郷!」


 壬生だ。頭の軽い女が髪を振り乱して追る。頭お花畑な壬生も理解しているのだろう。このまま市ヶ谷の放送を許せば、俺達の学校生活が幕引きになることを。


「あのバカを止めるぞ! ついてこい!」


 走る、走る、走るッ!

 人型の障害物を押しのけること数十秒。放送室の前に辿り着く。息を整える時間も惜しい。我先にとドアノブに指を掛ける。硬質な感触が指先を通じて伝わった。


「どしたの佐郷! 早く開けてっ!」

「開かないんだよッ!」


 時が止まったようにビクともしない。何度取っ手を下げても、微かにドアノブの角度が深くなるだけだ。正規の手法による開放は不可能。拳を作ってドアを叩く。


「開けろ! 放送をやめろ! おい!」

「やめてぇぇぇぇっ!」


 甲高い叫びに顔をしかめる。しかしこれだけの声量、あいつにも聞こえているに違いない。俺も叫ぶ。吼え猛る。ドアも叩く。もう滅多打ちにする。

 返答はない。痺れを切らして壬生を突き飛ばす。三歩後退し、疾走の勢いを乗せてショルダータックルをかます。


「ぐっ⁉」


 肩が外れたかと思った。相当な衝撃だったはずなのにドアは健在。日本製特有の良質さが心底憎たらしい。腹いせにドアを蹴飛ばす。


「いるのは分かってんだ! 開けろっつってんだろ! 市ヶ谷ァッ!」


 喉元がヒリヒリする。このまま叫んでいたら喉が火傷しそうだ。

 ドアの向こう側で大きなため息が聞こえた。


「そんなに大声を出さなくても聞こえているさ」


 反応した! 肩の痛みを無視してドアに駆け寄る。


「だったら今すぐ放送を止めろ!」

「それはできない」

「何故だッ⁉」

「君達を破滅させたいんだ」


 強烈な圧を感じて数歩たじろぐ。ドアの隙間から極寒の冷気が漏れ出る光景を幻視した。壬生が糸の切れた人形のごとくへたり込み、頭を抱えて絶叫する。鼓膜が破れそうなほど騒々しいが、殴って黙らせる時間も惜しい。改めてドアを睨む。


「復讐って、お前時効って言ってただろ!」

「俺が本気で納得したと思っていたのか? じゃあ想像してみろよ。俺が今やってる所業、君達は数年後に笑って許せるか?」


 許せるわけがない。当たり前だ。偏差値七十オーバーの壁を突破するために、俺がどれだけの時間を勉学に費やしてきたと思ってる。好きでもないイケメンに媚びを売り、トップカーストのグループに面白枠として加わった。それら全ての努力が水泡に帰すんだ。数年後に時効だから許せなんて言われれば、俺はそいつを殴り殺す自信がある。

 だがこれは別だ。他人事はあくまで他人事だから笑える。自分が被害者になるなんて耐えられない。俺は再度ドアに肩をぶつける。


「問答してる時間はないんだよ! 開けろっつってんだろ! 壬生ゥッ! お前も泣き叫んでねぇで説得しろッ!」


 何度タックルしてもドアは微動だにしない。鍵を閉めるだけじゃなく、室内にある物でドアを補強しているのかもしれない。どこかに道具を取りに行くか? でもここまで戻って来るのに何分かかる? そもそも放送はどこまで進んでいるんだ?

 焦燥感に屈して膝を折る。ドアの前で、額を床にこすり付ける。


「頼む、もう……やめてくれぇっ」


 声が震えた。裏返った。友人に聞かれたら自殺するレベルの情けない声色だが、撤回の選択肢はない。少しでも市ヶ谷の情に訴えかける。それ以外に打開の手段はない。


「駄目だ。やめない」

「何故だァッ⁉」


 廊下の床を殴りつける。室内から大きな嘆息の音がもれた。


「自覚しているか? 君達は、この期に及んでさえ一言も謝罪を口にしていないんだ。どれだけ態度を取り繕っても、全く反省していないのがバレバレなんだよ」


 ドンッ! ドアが鈍い音を立てる。俺はタックルしていない。今のは内側から発せられた衝撃音だ。ドアがなければ、暴漢を沈めた一撃が俺を打っていた。明確な敵意と憎悪を感じて、俺は廊下の床に尻餅を付く。

 呪うような声が続く。


「お前達は、悪魔だ。ここは人の子供が集う場所なんだよ。悪魔は悪魔らしく、罪業を抱いて地獄に戻れ」


 地獄はもぬけの殻だ。全ての悪魔はここにいる。ならば悪魔が帰る先は地獄だ。憎しみに穢れた声が、静まり返った廊下の空気を淀ませる。

 説得の可能性は潰えた。俺は呆然とドアを見つめる。思い描いていた学校生活が瓦解する音を聞きながら、教師が駆け付けるまで放心した。

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