炭酸抜きコーラ

Aoi人

300円

 心は人間にとっていささか手厳しすぎるものだ。もしくは人間が心と相容れないだけなのか。まぁ、考えたところで無駄なことだろう。そんなことより私は今、ある重大な病に侵されている。

 そう、それは恋の病だ。

 多くの人はくだらないと感じるだろう。ただ、私、奥山おくやりんにとっては他の何よりも重大な問題なのだ。でも、それでも今一番重要なのはそこじゃない。

 目の前に座る彼女をじっと見つめる。

 彼女の名前は河谷かわたに綾音あやね。高校1年生の春に初めて出会った、いわゆる一目惚れの相手。もっと言うのであれば、私の初恋の人。

 そんな私の人生を大きく狂わせた相手と今、二人っきりでファミリーレストランに来ています。

 なぜこのような状況になってしまったのか。事の発端は特に特別というほどのものではなかった。



 放課後の教室。部活動生のやかましい声だけがうっすらと聞こえてくる、誰もいない少しだけ寂しげな空間。そんな空間が、私は少しだけ好きだった。小学生の頃からずっとぼっちで友だちなんか一人もおらず、いつも寂しい感じがしてた私にどこか似ている気がして、謎の親近感を持っていたのだろう。だからいつもこの空間で小一時間ほど本を読んでから帰るのが、私の日々のルーティーンになっていた。

 「さてと、そろそろ帰ろうかな」

 放課後一時間経ってもまだ明るい空を見て夏を感じながら、帰宅の準備を進める。本屋で一冊何か買ってから帰ろうかなと思いながら鞄を持って外に出ようとしていると、教室の前のドアが勢い良く開いた。

 「ちょ、閉めるのもうちょっとだけ待ってくれない?忘れ物しちゃって」

 その声が耳に届いた瞬間、私の心臓が嫌というほどに大きく跳ね上がった。忘れるはずもない。あの可愛らしくも活気のある元気な声のクラスメイトは、私の知る限りだと一人しかいない。

 「綾音さん…?」

 「ん?そだけど…どしたー?」

 そう、彼女こそが私の一目惚れの相手で、かつ初恋の人。誰にでも分け隔てなく接し、いるかいないかも分からないような私にすらも声をかけてくれた心優しき人。

 「んー?なんでもないならあたし忘れ物探すからさ、その間ちょっと待っててくれない?」

 「えっ、あっ、はい。ゆっくり探してて大丈夫ですからね」

 「ありがと!マジ助かる!」

 そういうと彼女は自分の机の中を漁り始めた。私なんかにありがとうを言ってくれるなんて、本当に優しいなと改めて彼女に惚れてしまう。思わず顔がニヤけてしまいそうだった。

 「あった!」

 探し物は案外すぐに見つかった。机の中を漁り始めて1分も経ってないように思う。

 「あって良かったー。これなかったら宿題できないからさ」

 そう言って彼女が見せたのは、自立するタイプの筆箱だった。可愛らしいキーホルダーなんかも付いていて、無機質な百均の筆箱を使ってる私との女子力の差を感じてしまう。

 「いえ、お力添えになれたのなら良かったです」

 「あははっ、クラスメイトなんだから、そんなに畏まらなくてもいいのに」

 コミュニケーション能力が著しく欠如している私からすれば、そんなに気軽に人と接することのできるあなたの方が異常なんですとはさすがに言えず「ぜ、善処します」としか答えられなかった。

 「あ、そうだ。このお礼といっちゃなんだけどさ…このあと二人でファミレスにでも行かない?ちょうどクーポン券の期限が今日だったからさ」

 あまりに唐突なイベントのせいで脳内が真っ白になってしまう。

 (ファミレス?私が?綾音さんと?)

 疑問符が脳内を支配する。鍵を落とした音が聞こえてからようやく意識がはっきりとしてきた。

 「ちょ、大丈夫?嫌ならちゃんとそう言ってね?」

 「い、嫌だなんてそんな…ちょっと驚いただけです」

 「そ、そう?ならいいんだけど…」

 冷静さを取り戻すために一度大きく深呼吸をする。初恋の人と放課後にファミレス…意識するだけでもまた目の前が真っ白になりそうだった。

 「と、とりあえず鍵を返してきますので、校門前で待っていてください」

 「うん、分かった。じゃあまた後で!」

 元気に手を振りながら廊下を駆けていく彼女の愛らしい仕草に心を奪われる。また興奮して気を失いそうになったが、ゆっくりと深呼吸をしたお陰かギリギリのところで耐えることができた。

 また彼女に心配されるわけにはいかないと強く思う。だから、次彼女に会うときは落ち着いた状態でいるためにも、心を鎮めながら職員室へと向かった。



 というわけで、今ファミレスに来ているのだ。改めて落ち着くためにも、ドリンクバーで入れたコーラを一口だけ飲む。

 「てか本当に何も頼まなくて良かったの?」

 「は、はい。夕食前に何か食べると母に怒られてしまうので…」

 「あっはは、りんちゃんはお利口なんだね」

 「そ、そうですかね…ははは」

 他愛もない、ごく普通の会話が繰り広げられる。折角の二人きりの時間が特に意味もなく過ぎていくことに少しだけ残念な気持ちになっていく。

 「いやー、たった300円とはいえ、ドリンクバー無料だなんて、ここのファミレスは良心的だねぇ」

 そう、先ほど言っていたクーポン券とは、ドリンクバーの無料券だったのだ。綾音さんの父がここの株を持っていて、その株主優待でもらったものらしい。

 「わ、私も使って良かったかは微妙ですが…」

 「どうせ期限今日だったんだし、クーポン券も二枚あるんだからいいって」

 そうはいっても、学生にとって300円は小さいわけてはないだろう。それをこんなにも気前よく振る舞うことができる彼女の優しさは、過小評価されていいものではないと強く思う。

 「あ、そうだ。じゃあさ、お礼にと言ってはアレだけど、ちょっと恋バナしない?実はあたし、恋バナってしたことなかったんだよね」

 正直とても以外だった。綾音さんなら恋バナの一つや二つくらいしててもおかしくないと思うのだが、まあ本人にもいろいろと事情はあるだろうから、深くは聞かないようにした。

 「でさ、凛ちゃんって好きな人とかいるの?」

 「えっと、それはまぁ、はい」

 「えっ、マジで!?誰誰!?」

 正直言うのはあまりにも恥ずかしかったが、グイグイ来られるため、すっかり圧に負けてしまった私は正直にその名を伝えてしまった。

 「綾音さん…です」

 「それって…もしかしてあたしのこと?」

 困惑した様子で聞き返される。私の顔がゆで上がっているのは鏡を見るまでもなかった。

 「あー、ごめん。その気持には答えられないかな…」

 正直、その返答はあまりにも簡単に予想できていた。だから、傷つきも驚きもしなかった。

 「だってあたし、もう彼女いるし」

 女の子同士なんて普通受け入れられな…

 「ちょっと待ってください」

 聞き間違いだろうか。うん、きっとそうだろう。そうに違いない。まさか綾音さんが女の子もイケる口だなんて、まさかそんなことは…

 「あたし、もう彼女がいるから、凛ちゃんとは付き合えないの。ごめんね」

 どうやら聞き間違いではなかったようだった。予想外の返答に頭がこんがらがっていく。脳内の考えが全てぐちゃぐちゃになって、私の脳ミソは完全にショートしてしまった。



いつの間に眠っていたのだろうか。スマホで時間を見ると、もう20時を過ぎていた。

 「…フラれちゃったな」

 眠る前の会話を鮮明に覚えているわけではないけれど、それでもフラれてしまった事実だけは嫌というほど脳にこびりついていた。自分では悔いなんてないと思っているけど、それでも悔いがないかと言われると、たぶん嘘になるんだと思う。でも、なんだか気分だけはとても清々しかった。

 「さて、そろそろ帰ろうかな」

 席を立とうとしたとき、彼女が書いたであろう書き置きを見つけた。

 『先に出ちゃってごめんね。起こそうとしていろいろたけど、結局起きる前にバイトの時間になっちゃって。私の分のお代とクーポン券は置いてあるからね。じゃ、また明日、学校で。』

 書き置きの置いてあったすぐ近くにそれらしきものを見つける。私はそれを黙って財布の中に入れた。

 「…未練がましいか」

 いろいろなことを考えそうになっていたから、中途半端に残っていたコーラを一気に飲み干す。炭酸の抜けたそれはもう、ただの砂糖水だった。

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炭酸抜きコーラ Aoi人 @myonkyouzyu

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