第四十三話 異母弟の報復

 たかしなともひさは、久しぶりに顔を合わせた異母姉を前におおぎようたんそくした。

 はっきり言って、ていかんけいは良好ではない。

 それは今に始まったことではないが、都合が悪くなった時しか〝弟扱い〟してこない姉だったため、呼ばれたときに「またか」という予感があった。

 高階家は藤原一門に比べれば位は五位止まりであったが、知久がとくを継ぐと従四位まで昇進、二十半ばでさんとなった。それは彼の異母姉・からが先にじゆだいし、中宮・藤原瞳子に次ぐけんをもったせいもあるが、おおかたは知久のさいかくだろう。

「まったく、頼りにならぬの。そなたは」

 久々に顔を合わせる異母弟ともひさに、唐津の最初の言葉がそれだった。

 昔から彼女は知久を無能の役立たずと言う。知久の母親は、高階前当主が酒に酔った勢いで手を出したというしらびようで、高階家に世継ぎが生まれなかったために知久が迎え入れられたのだが、父の期待はやはり唐津にあった。

 きようようぼうもある。帝の目にとまれば、がいせきとなる。そんな父の期待を受けた唐津がごうまんに育つのは無理はない。知久の出世もおのれじゆだいし、中宮に次ぐ力をもったお陰と思っている。この唐津こそ、れいけい殿でんにようである。

 だが、高階父娘の思惑は外れた。

 帝が麗景殿を訪れたのは最初の数度、彼女が帝の子を宿すことはなく、きつい性格もたたって、女房は何人も入れ替わり、他の殿舎への嫌がらせもしていた。ゆえに、すっかり嫌われものとなったが、唐津本人は痛くも痒くもないようだ。

 なんでも思い通りになると育った彼女の誤算はもう一つ、内裏を離れ、別邸にて暫く静養したいと帝に話したことからだ。

 麗景殿ではここ最近難が続き、帝もこうりようしてすぐに許しが降りるだろうと思っていたが、いまだに許可が下りない。れた唐津は異母弟の知久をせっついたのだ。

 しかし知久に、帝にものをいう力はない。

異母姉上あねうえ、なにゆえに急に里下がりなど言われるのです? 入内されて三年、私とも顔を合わせようとしたあなたが今になってなぜ……」

 知久の問いに、麗景殿の女御は明らかに動揺していた。

 おうぎで顔を半分隠すも、額には汗が浮かび、扇を持つ手が震えている。知久は、そんな姉の姿を見るのは初めてだった。

「そなたは――、知らなくてよいことじゃ」

 苛立たしげに言い放つ異母姉に、知久はついに彼女の態度に耐えることをやめた。

「そういえば麗景殿に来る際に噂を聞いたのですが、昨夜女のゆうが出たとか」

 知久がそう言った途端である。麗景殿の女御は扇を落とした。

 実に、わかりやすい反応である。

 聞けば、数日前から鈴の音が内裏の何処からか聞こえてくると言う。

 鈴の音に女の幽鬼、ここに麗景殿で続発する事件が絡みがしなければ、知久は知らなかっただろう。幽鬼の正体は恐らく――。

「異母姉上、あなたは敵を作り過ぎる」

「黙りゃ! このわらわに説教かえ? 何もできぬそなたが!」

「本当になにもできぬとお思いですか?」

「なに……」

 女御が目を見開いた。

 これまで反抗しなかった異母弟が、挑むような態度を見せたのだから当然だろう。

「これまで、あなたの傲慢さには耐えてきました。ただ一つ、赦せないのは――」

「なにが言いたい……?」

「もうお遭いになっているのではありませんか? 彼女に」

 昨夜現れた幽鬼がもし知久の知っている女なら、異母姉がなぜ動揺し始めたのかわかる。

「知久……そなた……」

「あなたがわすれなぐさきみに妙な嫉妬心を起こさなければ、良かったのです。私が初めて愛した人に――、あなたがなにをしたか、私が知らないと思っていましたか? 異母姉上」

 まさに野に咲くれんな姫・勿忘草の君――、入内が決まったために知久の恋は終わったが、一年後に病没してしまった。いや、殺されたのだ。

 それを知久に告げた男がいる。陰陽師だと名乗るその男は、異母姉が勿忘草の君をじゆしたという。もともと嫉妬深く短気な異母姉で、何人も女房がやめさせられたと聞いてきたが、勿忘草の君の件だけは知久の忍耐は切れた。


 ――貴殿の望みを叶えて差し上げよう。


 その陰陽師はそう言った。知久は望みを口にすることはなかったが、その時願ったのは一つ――、異母姉がいなければ。

 今回の一連の騒動が、その陰陽師の起こしたことかは不明だが、異母姉は完全に追い詰められた。自業自得だと、知久は冷ややかに彼女を見据えた。

「私はあなたのように下手に欲はかかぬようします」

 きびすを返した知久に、女御がすがった。

「知久、妾を見捨てるのか? 姉である妾を!」

「都合が悪くなった時にだけ弟扱いするのはおやめください」

「許さぬ……! そなたなど、主上に言って官位を取り上げさせる! 卑しい血筋のそなたが、高階を継ぐのも妾は反対だったのじゃ!!」

 しかし知久が彼女を振り向くことはそれ以降なかった。

 

                     ◆◆◆


 きくづき(※九月)――、はなの時期を終えた池のはすは緑一色となった。べんを落とした花芯は次代への種をいずれ宿すだろう。

 晴明はつり殿どので冬真とともに、酒を酌み交わしていた。

「内裏にまた幽鬼が出たそうだな」

 晴明の問いかけに、冬真が苦笑する。

「ああ。麗景殿近くで消えたらしい。場所が場所だ。麗景殿の女御さまを恨んで出て来ただの、なな殿でんしや(※後宮)では噂になっているそうだ」

「今回だけは、怖くなったということか……」

 今度は、晴明が苦笑した。

「あ?」

「その女御さまに、昼間呼ばれたのだ。幽鬼をはらえと。どうやら、幽鬼に祟られるような身に覚えがおありになるらしいな」

 しゆつした晴明は、内裏をするところを女房に呼び止められた。

 麗景殿の女御が会いたいという内容に、いつしゆんちゆうちよした。

 彼女も晴明を半妖と知って、あまり良くは思われて名なかったからだ。

 だがこの時はいやではなく、幽鬼を退治して欲しいと言ってきた。

 これまで幽鬼が内裏に出たと動じなかった彼女が、なにゆえ今回だけはあわてだしたのか。

菖蒲あやめの話では、かのじんはその手の話は他にもあるらしいが?」

 冬真の話では、麗景殿の女御が女房たちからよく思われていないことも、恨んでいる人は多いという。

「だが今回だけは、必死なようだな。ま、私には関係ないことだ。陰陽師のりようぶんを果たすまでだ」

「陰陽師と言えば――」

 不意に、冬真の口調が変わった。

「どうした? 冬真」

「高階知久さまを知っているか? 晴明」

「お会いしたことはないが、若くしてぎようになられた方と聞いている」

「その方の姉が、麗景殿の女御さまでな。性格は女御さまと違っておんこうな方なんだが――」

 

 ――どのような依頼でも引き受けてくれるという男がおりましてね。今にかの殿舎の噂は聞こえなくなりましょう。


 殿てんじようにて、高階知久はそう冬真に言ったという。  

「どのような依頼でも引き受けてくれるという男……?」

 晴明の頭に浮かんだのは、叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさいである。

 もし高階知久がその男に接触し、依頼しているとしたら――。

 だが、冬真の話にはまだ続きがあった。

 夜中のらくちゆう(※都の中)警備に駆り出された際に、妙な女性にであったというのだ。

「深夜に何処ぞの貴族の姫が、一人で朱雀門にいた――というのか?」

「そりゃあ俺だって、近衛の人間として警戒はしたさ。しかも、幽鬼を追っていたら大内裏に逃げ込まれたっていう。妙だろう?」

 確かに妙である。

 普通、貴族の姫は夜中に一人では外には出ない。

 しかも、幽鬼など異界のモノに対しては恐れののくのが普通の反応だ。

「その姫、名前を名乗ったのか? 冬真」

 晴明の問いに、冬真は眉を寄せ、視線を上へ向けた。

「確か――、づきと言ったな……」

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