第四十二話 麗景殿を見舞う厄
ああ、
なにゆえ、
嫌じゃ、嫌じゃ。
あの
「――まったく、
彼らといっても、青く燃えている状態の火の玉だが。
これでも彼女は、れっきとした貴族の姫である。
しかし今は
世間一般の貴族の姫と異なる状況に置かれたのは、彼女の親族に
幼い頃から鬼や幽鬼は普通に視え、枕元に
閻魔王に見込まれてしまった氷月は以後、夜はこうして彷徨う魂魄を捕まえている。
「
彼女の説得にも、目の前の魂魄は
人には寿命がある。それがさだられしものならば、逆らうことはできない。
人は死して、生前の善悪によって転生先が決まるという。彼らの先は、おそらく閻魔王も知らないだろう。
「
かの
そんな夜――。
晴明は横になったまま、
こんなときは、決まって招かざるモノの侵入である。陰陽師の
結界を張り直す必要があるなと思っていると、さらさらと衣擦れの音がした。
視界に入ったのは、
若い女――であることはその衣から
『かれを……さ、ないで……』
女が
『かれは……ほんとうは……、優しい……』
その声は哀しくもあり、
「彼とは――」
晴明が起き上がると、女の気配は消えていた。なぜか季節外れの、春の
お陰ですっかり目が
『女と
「この薫りは、何処かの
『お前……、幽鬼に手を出すとは。趣味が悪いというか、怖い物知らずというか……』
幽鬼が残していた薫りに、彼の妙な誤解は解けない。
「玄武……、お前、私をなんだと思っている?」
『性格が悪くて、神使いも荒い。面倒くさがりでもあり、表情にも
十二天将を式神として
「…………いや、いい」
晴明は肩を落とすと、髪を乱暴に掻き上げた。
彼を、殺さないで――。
晴明の枕元に立った幽鬼は、そう言いたかったのだろうか。
問題は、その『彼』が誰なのかだ。
その『彼』は、殺されねばならぬ理由があるのか。
いや、そもそも『殺す』という表現は間違っている。晴明は陰陽師であり、相手が人に害をなす
結果として、妖の程度によっては『死滅』を意味することになることもあるが。
お陰で目が
「――それで、お前が降りて来た用件は?」
『内裏の屋根で、獣の妖を見つけたのだが……』
いつもならはっきりものをいう玄武に、晴明は
「が――、なんだ?」
『その妖、見た目に似合わぬ小さな鈴を首につけていた』
◆◆◆
――聞いたか? 昨夜、
――可哀想に。柏と申す
このとき、藤原冬真も同席していた。しかし噂話を始めた彼らは冬真がいようと構わず話をしている。彼らは同じ藤原姓で、まったく知らない関係でもなかったため、同族意識が働いたに違いない。
冬真にすれば同じ穴の
そこの女嬬が妖に襲われたという。
女嬬といえば最下位の女官だが、かの女嬬が仕える麗景殿の女御は参議・
しかし、瞳子の身に危険が及ぶ事件が
彼らは果たして、妖に襲われた者を本当に『可哀想』と思っているのかは疑問だ。
異母弟である知久に、藤原一門と対抗しようとする意思は見られないものの、かの女御が今も野心を燃やしているとするならば、瞳子どころか東宮の身も危うい。なにせ、場所は七殿五舎である。
ふいに、噂がピタリと止まった。
高階知久が入ってきたためだ。
「――左近衛中将どのがおられるとは
高階知久の歳は冬真の一つ下で、
知久は冬真を見つけると、苦笑して隣に腰を下ろす。噂をしていた連中はといえば、明らかに
「噂は気にされることはありません。高階さま」
「お気遣いは無用です。
苦笑する和久だが、冬真は妙な違和感を抱いた。
「陰陽師に相談されては如何です?」
「――もうしておりますとも。どのような依頼でも引き受けてくれるという男がおりましてね。今にかの殿舎の噂は聞こえなくなりましょう」
口角をきゅっと上げた和久に、冬真の背を嫌な汗が伝う。
このときの和久の笑みが何だったのか、このときは知るよしもなかった。
麗景殿に妖が出たという話は当然のこと、陰陽寮は賀茂忠行も知っていた。
出仕してきた
「最近の妖は、随分と大胆になったものよ……」
都ではなく内裏に出没するようになった妖を、忠行はそう皮肉った。
「麗景殿の女御さまはご無事とのこと」
「殿舎を出られ、しばらく山荘に籠もられるそうじゃ。これまで殿舎を出たいと言われなかったかの御仁にして珍しいと、
「師匠、妖の狙いは女御さまご本人かも知れません」
晴明の言葉に、忠行が
「人に恨まれているならわかるが、妖に狙われる理由はなんじゃ? 晴明」
「それはなんとも……。ですが、事の発端は麗景殿にあると」
忠行は数拍唸り、麗景殿の女御が内裏を出ることを取りやめるよう帝に奏上してみようと答えた。
◆
刻の王都――、青い火霊がまるで明らかな目的を持っているかのように大路を進む。
「まさかと思うけど――」
火霊を捕まえるために追っていた氷月は、嫌な予感がした。
間もなく朱雀大路に出る。そのまままっすぐ向かえば大内裏である。
そして火霊は築地塀を越えて、大内裏へと侵入したのだ。
こうなると、おいそれとは中へは入れない。
朱雀門の衛士は、金剛杖を手にした彼女に不審そうな視線を送っている。確かに、女性が一人でいるのも不審ながら、金剛杖を持っているのも不審だろう。
だが衛士が声を掛けるよりも、氷月の背後から声がした。
「如何された?」
その人物は騎乗し、
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