第四十一話 なにゆえに。 

 聞け、陰陽師。

 我が声が聞こえるならばこたえよ。

 なにゆえ、ここでち果てねばならぬ。

 なにゆえ、命を絶たれねばならぬ。

 口惜しや。

 応えよ。

 応えよ。

 我がこくの声を聞き、それに応えよ。

 


 づきも末――、そぼ降る雨の中ではくな霊が揺れていた。

 若い男のようだが、あまりにはかないその姿はいずれ溶けるように消えてしまうだろう。

「お前もあやかしわれた一人か?」

 晴明の問いに、男は口を開くが、声は音にはならない。

 何かを訴えたくて出てきたのだろうが、もはやその訴えも響かぬほどに、彼の存在は薄れていく。

 彼らを無残に腹に沈めたモノはまだこの世に存在し、彼らの無念の鬼哭は止まることはないのだろう。希薄な霊は雨にき消え、雨音が葉や地を打つ。

 お陰で纏っていた狩衣はしっとりと水気を吸い、晴明は足早に帰邸きていした。

『なんだよ、晴明。ねずみのようだぞ?』

 つまを開けるなり雑鬼たちにされ、晴明は半眼になった。

 今朝――、晴明はいつものように今日の吉凶を占った。あまりいいではなかったが、近くに住む貴族にれいを届けるだけだからと、やしきを出たまではいいが先ほどの希薄な霊と遭遇してしまった。

 一度視えてしまうと無視はできない。向こうは何処かまでもついてくるかも知れないし、といってに祓うのもどうか。あの希薄な霊はさすがに晴明の後をついてこられる力はないようだったが、妖によって無残に散ったならば哀れと思うのが人の情というものだ。

「うるさい……」

 晴明は雑鬼たちをにらんで、脇をすり抜けた。

 濡れた狩衣を手早く脱ぎ、代わりにうちぎを羽織る。そして気がついた。

 物の配置が、微妙に変わっていることに。

 晴明の目が、次第に据わっていく。

かなう

 叶は狐火として、妻戸の陰から現れた。どうやら悪いことをしたという、自覚だけはあるらしい。

「なにか? おさま」

「お前だな? 雨を降らせたのは……」

 叶は気に入らないことがあると、雨を降らし、軽い物なら宙に浮かせる力を放つ。

 貴族の邸を出るまでは晴れていたそらが、突然曇り雨になった。こんなことはよくあることではあるが、室の様子から叶が降らせたものだと確信した。

『酷いんですよっ、奴ら。お師さまの弟子である僕に向かって、いぬっていうんです。狗と狐の区別もつかないようなあの連中のほうがおかしいと思いませんか? お師さま』

 ふんぜんと抗議する叶に、晴明はたんそくした。

 あまりにもくだらなすぎて、怒る気力も失せた。

 喧嘩の相手は雑鬼らしい。

 彼らは叶を弄ったのはいいが、部屋が散らかってしまった。おそらく慌てて片付けたのだろう。まったく厄介なモノを招き入れてしまったものである。

 ほどなくして、藤原冬馬がやってきた。

「お前なぁ……、他に行くところはないのか?」

大内裏では左近衛中将を務める冬真が、非番となるや晴明の所にやって来る。単にくか噂話を持ってきては酒を呑みに来るのだが、まえれもなしにくるのはいささか迷惑なのだが。

 そんな冬真が腰を下ろした途端『ギャッ』と悲鳴が聞こえた。

「今――、変な声が聞こえなかったか? 晴明」

 冬真には視えていないようだが、冬真の背後から狐が一匹、すのへ出て行く。

 どうやら冬真は、叶のしつを踏んだらしい。

「いや……」

 晴明はそんな叶を半眼で見送って、嘆息した。

 叶が降らした雨は冬真が来るまでは止んでいたようで、雲間から月がのぞいていた。

 一雨ごとに秋が近づくというが、池のなもを撫でるように運んできた風は、ひんやりとしている。池のはすも、そろそろ見頃は終わりだろう。

 晴明の父・ますは「さびしくなるな……」とつぶやくが、晴明にとっては毎年のことだ。

 そもそも池があるような広い邸も欲していなかった彼には、花をでる暇はなかった。子供の頃はくらがりを好み、大人になってからは陰陽寮と自邸の往復、自邸では依頼されたれいの山に追われ、あやかしが出ればはらい、中には向こう側からちょっかいを出してくる輩もいる。けんさいが特に秀でていたお陰で、なにかと忙しいのだ。

 それだというのに、この男は――。

 晴明は口にかわらけを運びつつ、冬真を睨む。

 その冬真によれば、紛失したとされる帝のせきたいの?《か》は、意外な場所で見つかったという。

 その場所を聞いて、晴明は口に運びかけていた土器をぴたりと止めた。

れいけい殿でん?」

「朝方、簀子に落ちていたらしい。問題はその後だ。麗景殿の女御さまはこれがまた気位の高い人でな。お付きの女房が何人も去っている。そんな彼女の殿舎でかの代物が見つかった。誰かの罠だと咆えているらしい」

 また麗景殿か――、晴明はまたもその名を聞いて軽く舌打ちをした。

 最初は壁の鬼が消えた事件にて、麗景殿から出てきた女房が中宮を襲い、二度目は自身の割れた文箱と似たようなものを麗景殿で見たと聞かされ、そして今度はその麗景殿の簀子で紛失した玉が見つかったという。

 壁の鬼の件は、晴明がかの女房が何処のものか黙っていたお陰で大事にはならなかったが、こうも同じ殿舎の名を聞くと、妖よりも、人間が深く関わっているような気がしてならない。

「いや、違うな」

「誰かが持ち込んだというのか? 晴明」

 冬馬が眉を寄せる。

「その可能性が高いな。しかもその何者かはうっかりそれを落とした……そんな所だな」

 見つかったのは大内裏のかいもんたいが鳴る前のそうしん(※早朝)、まだ掃き清められる前だ。その何者かは深夜から朝方にかけて、玉を落とした可能性が高い。

「どちらにしろ、かのじんかいだろうよ」

 嘆息する冬馬に、晴明は「そうだな」と苦笑し、再び土器に口をつけた。



                ◆◆◆


「どうして……」

 かの女は声を震わせつぶやいた。

 その手は小刻みに震え顔はどうしてもこわってしまう。

「私は、見ただけよ……」

 いったい誰への告白なのか、女はへやの中で震えていた。


 清涼殿・くらのつかさで、女は衣の片付けをしていた。たまたま目に入ったそれに、女は思った。

 これ一つがあれば、美しいうちぎが着られるだろうと。

 女の父は、昇殿を赦されぬの身、それでも年頃の女ならば美しく装いたいと望むだろう。ああ、この一つ一つがあれば。

 女は誰かの気配がしてからびつふたを慌てて閉めた。

 事件が起きたのはそれから間もなくである。


「私は盗ってはいないわ……」

 今思えば、蓋をもどすとき、そこにそれはあったのかなかったのか。

 慌てていたために、確認しなかったことが悔やまれる。

 恐らくその時に外れて転がり落ちたか、それともその後に誰かが持ち出したか。それなのに、よりによってどうして――。

 女は、天罰だと思った。

 女は盗ってはいないが、発見された玉は女がいる麗景殿。


 ――チリン……。


 不意に。鈴の音がした。

「え……」

 何処からか、鈴の音がする。     

「あ……」

 彼女の罪の意識が、過去を思い出させる。

 鈴の音を響かせていた、まだ少女のような顔をした一人の女性を。

 名は、なんと言ったか。


 ――わすれなぐさ


 ふと、誰かの声がした。

 そう、確かそんな名前の――。

藤原一門ではなかったが、せちまい(※だいじようさいにいなめさいの後の宴で舞われる舞)の舞姫として帝の前で舞い、のちにげいしやじゆだいしてきた姫。まさに野で咲くれんな勿忘草のような姫の若さに、女のあるじれいけい殿でんの女御はしつした。


 ――わらわより上に立つとどうなるか、思い知らせておやり。


 主の言葉に、女は否とは云えなかった。

 そんなことをすれば、自分が破滅する。


 ――チリン、チリン。

 鈴の音が近づいてくる。

 女は怖ろしさのあまり叫んだ。

「私は頼まれただけだわ……! 勿忘草の君を何とかせよと、言われたから!!」

 鈴の音は女の前でピタリと止まり、白く大きな獣が彼女を見下ろしていた。

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