第四十話 失せモノ探し
あのひとは、
優しい《やさしい》目をしたあのひとは。
またいつでも来なさいと、いってくれたのに。
優しく頭を撫でて《なでて》くれたのに。
あのひとは、何処にもいない。
ねぇ、何処にいるの?
僕に優しく微笑んで《ほほえんで》くれた、あのひとは。
◇
鬼はただ立っていただけだったが、挑んできたので退治した。
大内裏からの帰りであった晴明は、
目の前では十二天将・
『大体ね、チリンチリンとうるさいのよ!』
「そっちこそ、うるさい」
ああ、そういえば――、晴明ははたと気づく。
夜中、内裏で鳴るという鈴の音。
鈴は叶の首や、太陰の足にもついていた。口論の原因はお互いの鈴のようだが、内裏で聞こえるという鈴の音は、彼らではないだろう。
――お前たちの声のほうがよっぽどうるさいのだが?
晴明はそう思うも、あまりの馬鹿らしい口論に怒鳴る気も
『十二天将の私に向かってよくも言ったわね……、このばか
「狗じゃないっ」
叶は怒ると雨を降らせ、物を浮かせてしまう。最近は雨のほうは降らせなくなったが、『狗』というのは禁句なようで、怒りを爆発させてしまうようだ。
「いい加減にしろ!」
晴明の声に、浮いていた書や巻物が派手な音を立てて落下した。
『あ、逃げたわねっ』
叶は
「太陰、お前がここにいるわけは?」
『内裏でまた騒動があったそうじゃない』
太陰は腰まである波打つ赤毛を
情報を
「騒動と言っても、夜中に鈴の音が聞こえるのと帝の石帯の飾りが一つ紛失しただけだ」
『それって、猫の仕業じゃないの?』
晴明は、眉を寄せた。
「猫?」
『飼い猫に鈴をつけるのは珍しくはないわよ?』
晴明も、最初は
『内裏で、猫を飼っている人間はいない。第一、石帯の飾りなど猫には用はないだろう』
人間にとっては高価なものでも、獣にすれば単なる物での認識だろう。わさわざ外して持って行くなど不可能である。
『それもそうだけど……』
「言い出したついでだ。この件はお前に任せる」
『えっ、私?』
まさか、内裏で探れと言われるとは思っていなかったのか、太陰は目を
「それと――」
『まだなにかあるの? こう見えて忙しいんだけど? 晴明』
不服そうな太陰に、晴明は告げた。
「ここを片付けてからいけ」
叶の口論の末に散らかった邸内、ここは散らかした者に片付けさせるのがいい。
『ひっどーい! 私が散らかしたんじゃないのに!』
◆◆◆
帝の石帯の飾りが紛失した件は、発覚から三日目にして帝自身も知るところになった。
事態を知らない女房の一人が、
当然、内侍所の女房たちは勾当内侍・藤原章子の叱責を受ける羽目になった。ただ、彼女のなかでは『紛失』であり、『盗られた』という認識はなかったようだ。
お陰で検非違使の取り調べを一人一人受けることはなかったが。
「私どもの
そういって申し訳なそうな章子に、帝は微笑んだ。
この日、帝は
「そなたたちの所為ではない、藤内侍。のう? 中宮」
「ええ。主上がうっかり何処かに落とされたのかも知れませんわ」
さりげなく帝の
「ですが、そうなりますと
そう、厄介なのだ。
石帯の玉は小石より小さく、庭の
「気に致すな。なにも、アレでなくはならぬということでもあるまい。代わりのものがあれはよいではないか」
「
「それはそうと――、
章子を見送って、帝が
「主上の
「いや、責めているのではない。またなにやら危ういものがあるのかと思ってね」
「違いますわ。割れてしまった私の文箱を見たいと申されますの。そうだったわね?
話を振られ、菖蒲は飛び上がった。
「えっ、あ、は、はい」
おかしな返事の仕方になったが、瞳子も帝も気にするでもなく、割れてしまった瞳子の文箱に関心が向けられる。
「はは……、彼なら元通りに直してしまうかもしれないね? 瞳子」
いくら晴明でもそんなばかなと思いつつも、菖蒲も笑い合う二人に合わせるのだった。
◆
晴明は陰陽寮の
精神を集中させるには誰にも邪魔をされたくないのだが、自邸には雑鬼がいて、無視をすればさらに邪魔をしてくるため集中ができない。
もちろん晴明邸にも塗籠はあるが、大声で呼んでくるわ、妻戸を
この
――妙だな……。
冬馬に頼まれていた件を占ってみたのだが、何故かそれはあちこちと移動していた。
蔵司から紛失したという石帯の玉は、何者かが持ち歩いている可能性が高い。泥棒の仕業となれば陰陽師としての仕事はここまでだが、晴明が妙と思ったのはこれではない。
微かだが、妖気も感じられたからだ。
意味不明な行動に、晴明は渋面となった。
その時――。
――チリン……。
晴明しかいない塗籠に、鈴の音がする。
晴明はすぐに片手で印を結び、臨戦態勢に入った。
――チリン……、チリン。
鈴の音は晴明の前で止まったが、それっきり音はしなくなった。
明きからに。何かがいた。
敵意は感じられなかったが、何かしらの存在が確かに。
晴明は直感した。
石帯の玉は、鈴の音の主が持っていると。
しかし、なにゆえそんなものを……?
渋面で視線を天井へ向けると、
雑鬼は
更に謎は――。
「……」
弘徽殿を訪れた晴明は、割れてしまったという中宮・藤原瞳子の文箱を前に
至って普通の文箱である。
文箱は棚に置かれているという。
だがそこから落ちたとしても、こうも割れる代物ではない。
「晴明どの、なにか気がかりなことでも?」
瞳子が
「……いえ、
それを聞いて
「文箱で思い出したのですけど、これと似たような文箱なら以前見たことがありますわ」
「それは何処でございますか?」
「たしか――
晴明は
まさかかの殿舎の名を、ここで聞こうとは。
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