第四十話 失せモノ探し

 あのひとは、何処どこにいるのだろう。

 優しい《やさしい》目をしたあのひとは。

 またいつでも来なさいと、いってくれたのに。

 優しく頭を撫でて《なでて》くれたのに。

 あのひとは、何処にもいない。

 ねぇ、何処にいるの?

 僕に優しく微笑んで《ほほえんで》くれた、あのひとは。



 炎夏えんかが過ぎると五風十雨ごふうじゆううといって、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る順調な気候となる。この世もそうであってほしいが、あやかしたちはそんな人間の思いなどお構いなしに跋扈ばつこする。この日も、みちの真ん中に鬼がいた。

 鬼はただ立っていただけだったが、挑んできたので退治した。

 大内裏からの帰りであった晴明は、やしきつまを明けるなり嘆息たんそくした。

 目の前では十二天将・たいいんと、人の子供にへんしたようかなうにらみ合っていた。

『大体ね、チリンチリンとうるさいのよ!』

「そっちこそ、うるさい」

 ああ、そういえば――、晴明ははたと気づく。

 夜中、内裏で鳴るという鈴の音。

 鈴は叶の首や、太陰の足にもついていた。口論の原因はお互いの鈴のようだが、内裏で聞こえるという鈴の音は、彼らではないだろう。

 ――お前たちの声のほうがよっぽどうるさいのだが?

 晴明はそう思うも、あまりの馬鹿らしい口論に怒鳴る気もせ、ぶんだいの前に座った。

『十二天将の私に向かってよくも言ったわね……、このばかいぬ

「狗じゃないっ」

 たちままわりのものが浮き始め、晴明は渋面になった。

 叶は怒ると雨を降らせ、物を浮かせてしまう。最近は雨のほうは降らせなくなったが、『狗』というのは禁句なようで、怒りを爆発させてしまうようだ。

「いい加減にしろ!」

 晴明の声に、浮いていた書や巻物が派手な音を立てて落下した。

『あ、逃げたわねっ』

 叶はきつねに変化して、すすすとすのえんに出て妻戸の陰に隠れる。

 たびたんそくする、晴明である。

「太陰、お前がここにいるわけは?」

『内裏でまた騒動があったそうじゃない』

 太陰は腰まである波打つ赤毛をき上げつつ、ときいろそうぼうを晴明に向けた。

 情報をつかむ早さは、さすがである。

「騒動と言っても、夜中に鈴の音が聞こえるのと帝の石帯の飾りが一つ紛失しただけだ」

『それって、猫の仕業じゃないの?』

 晴明は、眉を寄せた。

「猫?」

『飼い猫に鈴をつけるのは珍しくはないわよ?』

 晴明も、最初はちようじゆうが入り込んだのかと疑ったが、その痕跡はないらしい。

『内裏で、猫を飼っている人間はいない。第一、石帯の飾りなど猫には用はないだろう』

 人間にとっては高価なものでも、獣にすれば単なる物での認識だろう。わさわざ外して持って行くなど不可能である。

『それもそうだけど……』

「言い出したついでだ。この件はお前に任せる」

『えっ、私?』

 まさか、内裏で探れと言われるとは思っていなかったのか、太陰は目をしばたたかせた。

「それと――」

『まだなにかあるの? こう見えて忙しいんだけど? 晴明』

 不服そうな太陰に、晴明は告げた。

「ここを片付けてからいけ」

 叶の口論の末に散らかった邸内、ここは散らかした者に片付けさせるのがいい。

『ひっどーい! 私が散らかしたんじゃないのに!』

 ふんがいする太陰だったが、彼女は式神である。しぶしぶ応じたのであった。

 

◆◆◆


 帝の石帯の飾りが紛失した件は、発覚から三日目にして帝自身も知るところになった。

 事態を知らない女房の一人が、くらのつかさからびつを開けたためだ。

 当然、内侍所の女房たちは勾当内侍・藤原章子の叱責を受ける羽目になった。ただ、彼女のなかでは『紛失』であり、『盗られた』という認識はなかったようだ。

 お陰で検非違使の取り調べを一人一人受けることはなかったが。

「私どものぎわでございます。かみ

 そういって申し訳なそうな章子に、帝は微笑んだ。

 この日、帝は殿でんにいた。昼間から渡ってくるのは珍しいとあやは関心していたところに、苦手とする勾当内侍・藤原章子の登場である。

「そなたたちの所為ではない、藤内侍。のう? 中宮」

「ええ。主上がうっかり何処かに落とされたのかも知れませんわ」

 さりげなく帝のそうだという瞳子に、帝は苦笑する。

「ですが、そうなりますといささやつかい

 そう、厄介なのだ。

 石帯の玉は小石より小さく、庭のじやまぎれてしまえば見つけるのは困難。さらに内裏の中と外は毎朝掃き清められ、最悪処分されていてもおかしくはない。

「気に致すな。なにも、アレでなくはならぬということでもあるまい。代わりのものがあれはよいではないか」

けんめいなご判断ですわ。主上」

 かんとした瞳子に、章子は納得したのか弘徽殿を退室していく。

「それはそうと――、弘徽殿ここに、安倍晴明を呼んだそうだが?」

 章子を見送って、帝がかわほりおうぎを開く。

「主上のきよを得ず、申し訳ございませぬ」

「いや、責めているのではない。またなにやら危ういものがあるのかと思ってね」

「違いますわ。割れてしまった私の文箱を見たいと申されますの。そうだったわね? 藤典待とうないしのすけ

 話を振られ、菖蒲は飛び上がった。

「えっ、あ、は、はい」

 おかしな返事の仕方になったが、瞳子も帝も気にするでもなく、割れてしまった瞳子の文箱に関心が向けられる。

「はは……、彼なら元通りに直してしまうかもしれないね? 瞳子」

 いくら晴明でもそんなばかなと思いつつも、菖蒲も笑い合う二人に合わせるのだった。

 


 晴明は陰陽寮のぬりごめの中で、めいもくしていた。

 精神を集中させるには誰にも邪魔をされたくないのだが、自邸には雑鬼がいて、無視をすればさらに邪魔をしてくるため集中ができない。

 もちろん晴明邸にも塗籠はあるが、大声で呼んでくるわ、妻戸をたたいてくるわでこれも不可。いっそはらってやるかとすごめば逃げられる。

 このいたちごっこにさすがに疲れ、晴明は陰陽寮の塗籠に籠もることが多くなった。

 ――妙だな……。

 冬馬に頼まれていた件を占ってみたのだが、何故かそれはあちこちと移動していた。

 蔵司から紛失したという石帯の玉は、何者かが持ち歩いている可能性が高い。泥棒の仕業となれば陰陽師としての仕事はここまでだが、晴明が妙と思ったのはこれではない。

 微かだが、妖気も感じられたからだ。

 意味不明な行動に、晴明は渋面となった。

 その時――。


 ――チリン……。


 晴明しかいない塗籠に、鈴の音がする。

 晴明はすぐに片手で印を結び、臨戦態勢に入った。


 ――チリン……、チリン。


 鈴の音は晴明の前で止まったが、それっきり音はしなくなった。

 明きからに。何かがいた。

 敵意は感じられなかったが、何かしらの存在が確かに。

 晴明は直感した。

 石帯の玉は、鈴の音の主が持っていると。


 しかし、なにゆえそんなものを……?


 渋面で視線を天井へ向けると、はりにいた雑鬼と目が合った。

 雑鬼はけんのんな晴明の視線にびくっとすくみ上がり、そそくさと梁の裏側へと隠れていく。

 更に謎は――。


「……」

 弘徽殿を訪れた晴明は、割れてしまったという中宮・藤原瞳子の文箱を前にちんもくした。

 至って普通の文箱である。くろうるしきんまきでんと豪華さはあるものの、割れるような仕掛けは一切ない。それがなたかなにかで割ったように、綺麗に二つに寸断されていた。

 文箱は棚に置かれているという。

 だがそこから落ちたとしても、こうも割れる代物ではない。

「晴明どの、なにか気がかりなことでも?」

 瞳子がおうぎしに、目を細める。

「……いえ、あやかしの気配は致しませぬゆえ、ご安心を」

 それを聞いてあんしたのか、瞳子が笑う。そして、なにかを思い出したらしい。

「文箱で思い出したのですけど、これと似たような文箱なら以前見たことがありますわ」

「それは何処でございますか?」

「たしか――れいけい殿でんだったような……」

 晴明はどうもくした。

 まさかかの殿舎の名を、ここで聞こうとは。

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