第三十九話 割れた文箱と鈴の音
――チリン……。
一つ二つと鳴り、一度止まっては、また鳴り出す。
音はしばらくそれを繰り返し、やがて消えた。
それは
いつもなら、どこどこの
「――次の
勾当内侍とは別名・
この日――、
中宮・藤原瞳子が、新しい
瞳子はどこか痛んでいたのだろうといっていたが、その文箱は
「もうすぐ
章子は眉を寄せつつ、彼女たちを見据えている。
「め、
そういいながらも、彼女たちの顔は引きつったままだ。
しかし章子はその理由を尋ねることなく、内侍所を退室する。
重陽の節会とは、内裏内において九月九日の重陽に行われた節会のことである。
大陸から伝わった重陽の概念・儀式が宮廷行事に取り入れられたもので、菊の花の鑑賞や長命の効能があるとされた
当初は
だが、今年は帝も出御する紫宸殿である。
「どうしましょう……!?
勾当内侍・藤原章子が退室した直後、女房たちの顔が一斉に菖蒲に向く。
「わ、私にいわれても……。正直にお話しするしか……」
中宮に渡す新しい文箱を選びに来ただけなのにと、菖蒲は自身を嘆いた。
「無理ですっ。絶対に! あの方を前にいるわけがありませんわ」
「きっと烈火の如くお怒りになるわ」
「ええ、そうですわ。鬼のように」
やはり彼女たちも、勾当内侍・藤原章子は苦手のようだ。
性格はきつく、笑った顔を誰も見たことがないという彼女についた
当の本人は、そんな風に思われているなど知るよしもないだろうが。
彼女が困っているのは、帝が
それに気づいたのがつい三日前だというから、顔も強張ろうというものである。
帝の衣装は
重用の節会には、帝は束帯を召される。
それまでに見つかるかどうか。
泣きそうな目で訴える女房たちにたじろぎ、菖蒲は天を仰がずにはいられなかった。
◆
一条――、安部晴明邸。
堀川が流れる一条戻り橋近くに建つ彼の
だったら来なければいいものを、
しかしそんな貴族の中にも、人の都合などお構いなしに、
「――それで? 私になんとかしろと……?」
「お前の忙しいのはわかっているさ」
いや、わかっていないだろう。
晴明は
「だったら他を当たれ。
冬馬に寄れば、清涼殿・蔵司に、賊が侵入したかも知れないという。
内裏に賊が侵入するのは珍し事ではないらしいが、盗まれたのは帝が召す石帯の飾り一つのみ。それが何処にあるのかという内容であった。
「検非違使にいんから、お前に頼んでくれ――と菖蒲にねじ込まれてなぁ……」
「つまり、その賊が誰であれ、管理不届きを大事にされたくないというのか?」
「宮仕えの性ってやつさ」
晴明は
素直に紛失したことを報告すればいいものを、保身に走るとは。
考えられるのは、帝が石帯を外したときに取れたかだが、唐櫃にしまわれるまでは、飾りはあったらしい。
「一度だけだからな」
◆◆◆
――チリン……。
人々が寝入ろうという
チリン……、チリンとその音色は、移動しているようであった。
暗闇の中で、小さな鈴の音だけが鳴っている。
「あ……」
全身が総毛立ち、足がすくむ。
――チリン……。
鈴の音は男のほうへと近づいてきて、やがて止まった。
◆
出仕した晴明は、内裏へ
――泥棒の次は妖か……?
晴明が参内したのには帝からの求めに応じてのものだったが、聞かずとも予想はできた。
おそらく、この広まりつつある妖の正体についてだろう。
最近は、内裏の中も外も妖が忙しない。
都では妖が人を喰っては骨して
そして今回の妖だ。
いくら陰陽師の
「――鈴の音がするそうだ」
清涼殿・
「は……?」
思わず出た晴明の返事にも関わらず、帝は話を続けた。
「昨夜、宿直の右近少将がその音を聞いたらしくてな」
帝曰く、その右近少将は内裏の中で、奇妙な鈴の音を聞いたのだという。しかもその音は移動しながら鳴っているらしい。だが音だけで、それが何によるものかはわからないという
「妖の姿を見てはいないと……?」
「そのようだ」
「
晴明の問いに、帝は答えた。
「そういえば――、中宮がおかしなことをいっていたな」
なんでも、中宮・藤原瞳子の文箱が突然割れていたらしい。
「文箱が?」
「中宮は、どこか
「そこまでは……」
「まさか今回も、中宮が狙われているのではないだろうな?」
「――中宮さまには
「そなたらを責めるつもりはないが……、いつになったらこの都は落ち着くのかの」
そこを突かれると晴明もきついが、国と民の
一方――。
「――
後宮・七殿五舎――、かの女人は檜扇越しに口の端をつりあげた。
「なにかと申しますと? 女御さま」
仕える女房の前で、彼女は
「さぁ、なにかの。でも――また面白くなったきたわ」
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